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病毒の王  作者: 水木あおい
6章

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最後の命令


 私も参加した、簡単な軍議が終わる。


 優しいっていうか甘い事に、陛下と魔王軍最高幹部全員が、私に後方へ下がってもよいと仰せになったが、私は元々囮役が仕事だ。

 幻影魔法は見破られる可能性があるし、ドッペルゲンガー達に任せるつもりもない。彼女達はもう、十分に働いた。

 それに蚊帳の外は、嫌だった。


 この場に集ったリストレアの者達を、一人でも多く生き残らせ、連れ帰る。


 私は、そのためにいるのだ。


 そのために、この名前を、敵軍に憎悪に満ちて呼ばれるようにした。

 戦局に関わらず、あらゆる理性的な判断を無視して仕留めたいと思うほどの――実に理想的な囮役。


 ……"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の名が、自軍には信頼を込めて呼ばれるようになったのは、誤算だったが。

 元々、嫌われ役が仕事だったというのに。

 嬉しい誤算、というやつだろう。


 基本的には、正面から迎え撃つだけだ。

 絡め手は、ここまでの道中でしてきた。物量の差は未だ絶対的だが、その優位性こそが長距離の行軍には重くのしかかる。

 それでも三年前なら、なんとかなっただろう。


 ここが、正念場だ。


 私達は勝利条件を、この戦いの後、リストレア魔王国が存続する事と規定した。


 この場に集った戦士が何人死のうとも。


 死んでほしいわけではない。

 私は誰一人だって死んでほしくないのだ。


 ただ、私は、魔王軍最高幹部で。

 責任が、ある。



「……さて、こうして戦闘前に話すのが、最後である事を祈っている。こんな一大決戦の後に、まだ戦争があったのでは、たまったものではないからな」



 私は、ハーケンを含む、四百十二人の騎士の前に立っていた。


 "病毒の騎士団オーダー・オブ・ディジーズ"。そんな名前で呼ばれるようになった、規格外の不死生物(アンデッド)達だ。


 私が乗っているのはただの木箱で……今の私には、実にお似合いの演台だった。


「――そうだな。現実的な話からしよう」

 

 全員が黙って聞いている。


「この度の戦いは、お互いのほぼ全ての戦力をぶつけ合って勝敗を決する、文字通りの決戦となる」


 今までの全てが、この戦いのためにある。


「何人死ぬか、分からん。だが、最悪でも相討ちに持ち込まねばならない」


 敵戦力を削り、引きずり回し、こちらも相応の犠牲を払って整えた舞台だ。

 それでもまだ、未来は分からない。


「こちらも、多くが死ぬだろう。そういう戦いだ」


 私は、誰一人だって死んでほしくない。

 けれど、もうそれは望めない。


 私はこいつらを、『強くしすぎた』。



「お前達は、確実に死んでもらうために、最前線を命じられる」



「ま、マスター!?」

 背後で呼びかけるリズを手で制した。


「お前達は……強くなりすぎた。お前達は、生者からの魔力供給が必要な、不死生物(アンデッド)だ。……この国は、お前達のような大食らいを、とても養えない」

 胸を貫く痛みで止まりそうな口を、動かし続けた。


「だから死ね」


 ぽたり、と涙が落ちた。



「"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の名において命じる。最前線を切り開き、英雄的に死ね」



 泣いても何にもならないのに、歯を食い縛っても涙は止められなかった。

 ぼたぼたと、涙が後から後から、頬を伝って、足下の木箱を濡らしていく。

 一瞬左手の仮面を見てしまった。

 これを着ければ、私は"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"になれる。

 公式には未だ種族不詳の、非道の悪鬼に。



 仮面を、足下に落とした。



 これは、ただの自己満足。

 大切な物が失われるなら、せめて自分の手で壊したいというだけの事。

 こいつらに、嘘だけはつきたくなかった。


 ……私は、信じているのだ。

 こんなクソみたいな命令だって、こいつらは従う。

 軍人だから。序列があるから。――騎士だから。


 私を主と、定めたから。


 私が、この世界で手に入れた物。

 私を主と慕う、私の騎士団。

 心地よい、居場所。


 それが失われるのは、いつかではなく、今この瞬間だ。

 私は、自分を信じる、自分を慕う相手へ、こんな非道な命令を下さなければならないような馬鹿なのだから。


「気休めにしかならないだろうが、私もまた、囮として最前線へ配置される。……お前達の、奮戦を期待する。お前達はリストレアの騎士だ。……責務を果たせ」


 私が、本当に、世間が噂するような"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"なら良かった。

 私の心が、非道の悪鬼なら、よかった。


 涙が、流れて。

 風が、冷たくて。

 冷えた涙で、凍えそうで。


 私は、ローブの袖に涙を染みこませながら顔を隠し、うつむいた。



 冷たい闇の中で、からから、という音が聞こえた。



 からから。からから。からから。からからからから……からからからからから。


 聞き慣れた音。

 四百十二人分の、顎の骨が、歯が、打ち合わされる音。

 聞き慣れた声。


 ……笑い、声?


 半ば呆然としながら顔を上げると、目が合った。



「我らが主は、当然の事を言葉になさるなあ」


「全く、そんなくだらぬ事を気に病んでおられたのか?」


「ははは。主殿の涙を見るのは初めてだ」


「なんなら、命じられなければ志願するつもりであったというのに」


「本当になあ。我らは"第六軍"の……"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様直属の騎士であるぞ?」


「最前線を切り開くなど、誉れではないか」



「あ、え……お前、達?」

 部下が何を言っているのか分からない。


「……ハーケン。通訳しろ」

「必要なかろう?」


 にやにやと笑っている。――絶対に。


 不死生物(アンデッド)の、特にスケルトンの表情は分かりにくい。

 けれど、揺らぐ瞳の鬼火が。

 薄く開かれた歯が。

 積み重ねた時間が、無表情な骸骨の感情を、はっきりと伝えてくる。



「――私は、お前達に死ねと言ったんだぞ!?」



 激情のままに叫んだ。

 しかし皆は、それを一笑に付す。



「光栄の極み」


「それはもう、上官は部下に死ねと言うのが仕事であるから」


「一度死んだ身で何を恐れよというのか」


「ああ、怖いのは主の期待に応えられぬ事であるなあ」


「おう、それは怖い」


「一体どのような罰を受けるか、想像しただけで全身の血が凍るというものだ」



「いや、お前ら血ないだろ」

 思わず突っ込んでいた。


 また、からからと笑い声が聞こえる。


 いつの間にか、涙は止まっていた。


「……ああ、この馬鹿野郎共め。耳がないからな。脳もないからな」

 歯を剥き出しにして、笑う。


「だから、間違えようのない正確さで、もう一度命令をはっきり伝えてやる」


 一度、息を大きく吸い込んで。

 喉も裂けよとばかりに、叫んだ。



「生き残れ! 一人でも多くだ!!」



「おや? 我らが生き残っては、面倒な事になるはずであるが?」


「ふむ。これは聞いてよい命令なのか」


「なんというか、予算という物を考えておられない」


「キャパシティという言葉はどうやら"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の辞書にないようであるな」


「どうも、面倒事が好きなのではないか」


「全く我らが主は、脳があるくせに中身がお花畑のようである」



「好き勝手言いやがって」

 またからからと笑い声が応える。


「もう好きにしろ! 死ぬ気で戦えとか、やっぱ趣味じゃない。最前線は変わらないが、精々生き残れ! 生き残ったら、全部私がなんとかしてやる。ドラゴンナイトみたく牧場でもなんでもやって維持してやるから!!」

 宣言した。


 もし、この軍団が生き残ってしまったら、面倒な事になるだろう。

 ……ああ、でも。


 こいつらがいなくて面倒事のない世界より、こいつらと面倒事がある世界の方が、何百倍もいい。


 こいつらを使い潰してさえ、勝敗は分からない。

 勝ち負けさえ、決まっていなくて。

 その中で、最前線を戦うこいつらが、一人でも生き残る確率など、おそらく市販の電卓ではコンマ以下が足りない。


 けれどこの世界では、電卓など存在さえしていないのだ。


 賢く、悟ったような事を言うために、今日まで生きてきたわけじゃない。

 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"なんて馬鹿な名前を、名乗ったわけじゃない。


「繰り返す。生き残れ。これは命令である。守れなかった奴は、罰として、一足先に地獄で陣地構築でもしていろ!」



「「「「「はっ!」」」」」



 踵が打ち合わされ、一糸乱れぬ隊列を組み、唱和した声が、私の胸に響く。

 微笑んだ。


「私も行く。すぐに行くか遅くなるかは分からんが――な」


 地獄さえ、怖くない。

 こいつらが、いるなら。

 私の騎士団が。

 "病毒の騎士団オーダー・オブ・ディジーズ"が、この手にあるなら。


「以後、レベッカ・スタグネットに指揮権を委譲する。現場では可能な限りハーケンの指示に従え。いいな、レベッカ、ハーケン」


「ああ、マスター」

「うむ。ご命令通り、一人でも多く連れ帰ろうではないか」


「では――解散!」

 杖の石突きを、足下の木箱に強く打ち付けた。



「生きていても、死んでいても、また会おう」



 木箱を下りると、くるりと踵を返した。


 また、涙が流れそうだったから。

 振り向いた途端、涙が溢れ出した。

 この顔は――さっきの顔より、部下には見せたくない。


 この寒さの中、火傷しそうな熱い涙で、くしゃくしゃにした顔なんて。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 「矛盾を孕んでも存在し続ける。それが、『生きる』と言うことだと!」 どこかの乙女座さんが言ってたセリフですが。 いやぁ、「生きて」ますねぇ…。 主人公も、病毒の騎士達も…。 思い出を…
[良い点] 初めの命令の後でもう私の色々がぐちゃぐちゃで、二度目の命令で完全崩壊です。 言葉が出ないくらい心が辛くて暖かくて暖かくて暖かい。 素晴らしい話をありがとうございます。
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