魔王陛下への私的な謁見
リーズリットが出ていき、少しして入ってきたのは……白髪の老人だった。
樹皮のような褐色肌に、長く豊かな白髪。枯れた森を思わせる、老いたダークエルフだ。
「護衛はここまででよい。言っただろう」
「しかし……」
なおも言いつのろうとする近衛騎士らしい漆黒の甲冑姿の二人組に、鋭い視線が向けられた。
湖を思わせる深い青の瞳に込められた眼力は、並ではない。
「私は、よいと言ったのだ」
「「はっ」」
間違いなく、頭上に戴いた王冠に相応しい威厳。
彼の後ろで扉が閉まり、しかし鍵は掛からない。
「リストレア魔王国、国王である」
「お時間を頂き、光栄です。陛下」
軽く頭を下げた。
「ん……あくまで内々だ。楽にして構わぬ。悪いようにはせぬつもりだ」
偉そうではあるが、過剰に傲慢ではなく、とりあえず第一印象はマル。
国王だと――トップであるというのならば、ある程度の飾りも必要だという事が分かるぐらいには、私は大人なのだ。
「座るがよい」
「はい」
陛下が座り、次に私が座る。
「暗黒騎士団長の手紙で、ある程度の事情は把握している。先程も『協力する意志がある』と聞いた。手紙では語れぬという事だったな。……はっきりと聞こうか」
ギン、と身がすくむほどの視線に射抜かれた。
「そなたには、何が出来る?」
話が早い。
ここまで来ても、どうするのかは迷っていた。
私が信じたのは、『ブリジット』だ。
この国では、ない。
国王を――『魔王』を信じられるかは、分からなかった。
信じてもいい、とは思えた。
少なくとも、賭けてみようと思えるぐらいには。
「三年で人類を絶滅させてみせましょう」
断言しろ。
そして可能な限り強い数字を示せ。
――たとえ詐欺気味であろうと、今この瞬間を生き延びねばならない。
結果は後から付いてくると信じなければいけない時もある。
「……ほう?」
そして、それは成功した。明らかに彼は私と、私の言葉に興味を示した。
「いかにして? ……敵の十倍の兵力を用意しろなどとは言わぬな?」
「当然です」
冗談めかした口調に、私も笑った。
「『ドッペルゲンガー』を全て頂きたい。及び、暗殺に長けたアンデッド……特に死霊を」
「……ドッペルゲンガーを? ……何をしようというのだ?」
「――『陛下』。断言しましょう」
疑いの視線を向ける彼に、私は薄く微笑んだ。
「国家とは、人で出来ています」
「……当たり前ではないか?」
「ええ。当たり前です。この世界は、当たり前の積み重ねでしか動かない」
大きく頷いた。
「この世界は、私達一人一人で出来ている。国家とは、人で出来ている」
一つ一つ、当たり前を積み重ねていく。
「『軍人』で出来ているのでは、ありません」
「……うむ。そうだな」
魔王陛下が、頷いた。
私は、言葉を続ける。
「ならば狙うのは、後方」
一つ一つ、当たり前を崩していく。
「攻撃対象は、敵国民全て」
私は、目を見開いた魔王に向かって、なおも言葉を続けた。
「徹底的に、敵の農村部を攻撃します。最終的に、穀倉地帯を消滅させます」
「…………それが、そんなものが、戦争だと?」
沈黙の後、絞り出すように言葉が紡がれる。
「ええ」
間髪を入れずに頷いた。
「敵は魔族の存在を認めないという。ならば我々もまた、人間の存在を認めてはいけません」
「……講和は、ないか?」
「ありません」
首を横に振った。
「勝つ寸前でしか、講和など出来ません。非道をもってしか勝てません。非道の先の講和など、講和とは呼べません」
「単純明快な三段論法だな」
ブリジットとの会話で、この世界の最低限の常識は理解している。
剣と魔法の、世界。
異種族間で争っている、世界。
――魔法があろうが、私の世界と何も変わらない。
何かを得るために、時に奪い合い、血を流して戦う必要がある。
万能の魔法が存在し、誰もが争わなくていい世界などでは、決してない。
「……個人としては、したくはない。だが、したくないというだけで何かを選べるほど、軽い立場でもなかったな……」
この人は、優しいのだな。
もしかしたら、王を名乗るのが、哀れなほどに。
「陛下。お命じ下さい。――この国を守れと。私に居場所と機会が与えられるなら、私は、私のやり方で自分の居場所を……この国を守って見せましょう」
ブリジットが……友人がいる国を。
私を助けた国を。
リストレア魔王国という国を。
私は、守りたいのだ。
「それが、どれほどの非道であろうと」
魔王陛下の瞳を、まっすぐに見つめた。
「うむ……そなたの言う事は、分かる」
陛下が頷く。
「だが、今一度そなたの戦う理由を聞かせてもらおう。そなたの、言葉で」
何を言おうか、考えた。
けれど、心は決まっていたから、真面目な答えを考える事をやめた。
「――腹が立つ」
「……ん?」
「私は私なりに精一杯生きてた。私の現実を、私の世界で、私が望むように。家族もいた。友達もいた。――全部なくなった」
私が積み上げた『当たり前』は、何一つとして、この手に残っていない。
記憶や思い出さえ、ズタズタに引き裂かれた。
せめて、全て失われていたならよかった。
幸せだった事を、覚えている。
愛しいものがあった事を、覚えている。
それがもう私の手の内にない事も、私の頭の中にさえちゃんとした形で存在しない事も、分かってしまう。
「私の事情はブリングジット・フィニスより聞いていますか? ――私は、ここではない世界から来た。私は私の国で、ただの一市民として働いていた。この世界に関わる理由は何一つなく、しかしこの世界に喚び出された。――ただの、魔力袋、燃料タンクとして」
許せるものか。
私がされた事。
――私以外の誰かが、されるかもしれない事。
その全部が、私には。
私には、それが。
「私には、それが許せない」
「……怒り、か? 復讐心と?」
「家族や友達が、あの人間達の手で、『この世界』に連れてこられたらと思うと、ぞっとするってのもありますね」
魔王陛下は重ねて問うた。
「義憤と?」
「そんな大層なもんじゃないですよ」
首を軽く横に振った。
「私はただ、自分が必要と思う事を、するだけです」
「……それで、どうして結論が……非戦闘員を殺す事になるのだ? ――それでは、お前も、お前を召喚した者達と同じではないのか?」
「順番の問題です。他人の世界なら好き勝手にしてもいいって輩が、私をこの世界に喚んだのなら、私も同じ事をする。私を助けてくれた人達を助け、私を殺そうとした種族を殺す。――何か、論理に破綻は?」
魔王陛下の瞳を、じっと見る。
「……同じ種族を殺す事に抵抗は?」
「ないと言えば嘘になります。――でも、私を殺そうと……いや、『使い潰そうと』した種族であり、勢力です。あちらさんも抵抗を覚えたのかも知れませんが、それが行動を止める理由にはならなかった。多分、私も同じです」
「倫理は? そなたの世界には、そういう言葉はないのか?」
「ありましたよ。けれど残念ながら、それが法則と呼べるほど強固な世界でもなかったもので」
倫理が、全ての人間が共有するものなら、よかった。
世界を越えて、全ての人間が生まれながらに持っているものなら。
「あなた達が正しいかは――分からない。けれど、私達を喚んだのは、あなた達の敵。私を助けたのは、この国」
私は、仇を受けた。
私は、恩を受けた。
仇には仇で。恩には恩で。
どちらかが滅びる形でしか、私は未来を思い描けなかった。
どちらに協力するかなんて、簡単だった。
違う世界の人間を同族とは思えなかった。私は、ただの燃料タンク――『資源』として召喚されたのだ。
それだけで、この世界の人間に生きる価値がないなんて、思わないけれど。
きっと、近しい人間になら優しく出来る人達がほとんどだとも、思うけれど。
自分とは違う存在に優しくしてくれたひとを、私は信じると決めたのだ。
鏡のように、された事をする。
私を利用して殺そうとした種族を殺し、私を信頼して助けてくれた種族が属する国を生かす。
きっと地球の歴史で色褪せない論理は、ハムラビ法典しかないのだ。
「私には、相応の知識と力がある。……陛下がそのための立場と部下をお与えになれば、ですが」
「……よかろう。魔法的な契約を使う事になるだろう。監視もだ。だが、私個人としては……そなたの言葉を、信じよう」
陛下が、一つ深く頷く。
「召喚魔法を、我が国が未だ使っていなかったのは……幸いだったようだ」
「……ええ、本当に幸いです。ですが、なぜ? ……有効な使い道は、考えられるでしょう」
ブリジットに、召喚魔法は、理論は証明されているはずだが実行例は知らないと聞いていた。
違う世界から人間を呼び出して燃料代わりに使うという発想に、彼女が嫌悪感を示したからこそ、私は今こうして魔王陛下と話をしている。
……しかし、便利な技術があれば、その使い道を考えるのではないか? とも、思ってしまう。
まして、国家なら。国王なら。――戦争を、しているなら。
が、魔王陛下はため息をついた。
「理論はともかく、実行となると、な。……なにをどこから喚び出すかさえ、よく分からぬ魔法を、そなたなら使う気になるか?」
「全くなりません。魔族の方々が理性的で幸いです。人間おかしいですね」
滑らかに即答したら、陛下が変な顔をした。
「……人間の言う事か?」
「――私はもう『人間の敵』ですよ。陛下」
笑った。
「今後も、使わないで下さると幸いです。……私は召喚魔法唯一の、そして最悪の先例になってみせましょう」
「うむ。だが、それは伏せておこう。そなたがこの世界に来た事情や、人間である事実は、伝える相手をそなた自身が選ぶがよい」
「はい」
陛下の言葉に、ちょっとほっとする。
私の境遇や、人間が人間に対して行った非道を、プロパガンダとして使う可能性もあると思っていた。
その覚悟はしていたつもりだったが、やっぱり気分のいいものではないから、そうしなくてよくなった事に安心する。
やっぱりこのひと達は、優しいのだな。
「……また話を聞かせてもらおう。そなたに渡す戦力を決めねばな」
陛下が立ち上がる。
私も立ち上がった。
「正式な命令は、まだ先になる。ひとまずは準備期間だ。そなたの案が本当に実現可能かも、分からぬ。……ゆえに、未だそなたの立場は客分であり、私は実のところ、そなたに命令する権限を持たぬ」
現実的な話だ。
私はまだ、何者でもない。
「だが、あえて命じよう。――この国を守れ」
「はい、陛下。この国が、私を裏切らぬ限り」
そして私は、魔王軍に組み込まれた。