英雄の凱旋
「――上手く、いっているでしょうか……」
「この世界の軍人さんは『魔力反応』に頼りすぎてるからね」
私は暖かい天幕の中、リズと二人きりで火に当たりながら、作戦が成功する事を祈っていた。
二人きりと言ったが、バーゲスト達も、肩を並べる私達二人の周りにくっついている。
今も頑張っている部下の事を想うと、あらゆる意味でぬくぬくしている自分が罪深く思えるが、これも指揮官の仕事だ。
「……『罠』は作動すると思う。でも……二十八人全員が、生きて帰れるか、分からない」
全てをドッペルゲンガー達に……クラリオン達に任せてきた。
「擬態扇動班の"ドッペルゲンガー"最後の花道……無事に演じてよ」
私は祈る神を持たない。
それでもぎゅっと握った拳をもう片方の手で包み、額に押し当てて、目を閉じて、彼女達の無事を祈った。
「……でもマスター、どうやったら、『ドッペルゲンガーをロープに変身させる』なんて方法を思いつくんです?」
「魔法を使わないで、橋を崩す方法を考えただけだよ。手持ちの材料でね」
今回の作戦は、シンプルだ。
橋を、なるべくいいタイミングで落とす。
魔法なしで。
もちろん罠もなしで。
ついでにこの世界に爆薬はない。タイマーもない。リモコンもない。
それでも私は作戦を立案した。
『ドッペルゲンガーを、橋を支えるロープに変身させる』という作戦を。
要所要所の、力のかかりやすい二十七カ所をロープに変身したドッペルゲンガーで結ぶ。
一人を鷹に変えて――これはクラリオンが選抜して指名するそうだ――タイミングを見計らって、合図に一鳴きする。
そのタイミングで、変身を解除。
なるべく食料の積まれた荷馬車を、そうでなくても、なるべく大勢を巻き込んで適当なところで。
橋を落とす。
下は川。ラングネール川は、川幅が広く、冬にも凍らない急流で名高い川だ。
落ちれば、一巻の終わり――とはならないだろう。魔法があるし、救助はそれなりに迅速に行われるはずだ。
けれど、完全にタイミング良く落ちたなら、荷馬車の一つや二つは失われる。
大回りするにせよ、木を切り倒して急ごしらえの橋を架けるにせよ、魔法で荷馬車を浮かして渡河するにせよ、莫大な時間と魔力が必要だ。橋があれば一日で終わる渡河が、三日や四日かかっても不思議ではない。
そもそも他の橋はあくまで現地で日常的に使われている物で、破棄されていなかったとして、大軍の通過に耐えられるかどうか。
何にせよ、一刻も早く決戦に持ち込みたい状況の中、敵地で時間を浪費する事になる。
理論上は、完璧に近い作戦だ。
けれど、問題は。
「……耐えられたかな」
「分かりません。二十七人がいて、無事なロープもあるとはいえ、相当な重量がかかるはずです」
全ての負担がドッペルゲンガー達にかかる。
物理的な負担。寒空の下、激流の衝撃に橋を耐えさせ、それから荷馬車と人員の重量を支える。
全てではない。他の構造体とロープが多くを引き受けてくれる。
それだけの箇所が『渡河中に壊れ』れば、橋が耐えきれなくなる可能性は高い。
「落ちたかな」
「微妙な所ですね……安全を優先させましたので……」
「うん」
厳密な計算などは出来ない。
たった二十八人のドッペルゲンガーで、橋を一つ、敵軍を巻き込んで落とす。
そんな魔法を、思いついた。
そしてそのために、部下を危険にさらしている。
橋は落ちただろうか。
タイミング良く落とせただろうか。
巻き込まれなかっただろうか。
鳥に変身して逃げる際に、弓や魔法で撃ち落とされたりしないだろうか。
不安が頭の中をぐるぐると回り、暖かい部屋にいるのに、心が凍えそうになる。
失敗する要素は、いくらでもある。
そして失敗すれば、たった二十八人しかいない希少種族を――"第六軍"擬態扇動班の中核を担う最精鋭を何人か、ことによると全員失うのだ。
私を信じて、こんな作戦に参加したひと達を。
「――主殿」
「ハーケン」
天幕の入り口の布を上げて入ってきたのは、見張りに就いていたハーケンだ。
「戻られたようだ」
「そうか!」
自分でも、ぱあっと表情が明るくなるのが分かるが、同時に気を引き締めた。
何人が、戻った?
「よく戻った!」
地上に舞い降りた鳥――小鳥の中に一羽の鷹――が、全て女性の姿に変わっていくのを確認して、私は叫んだ。
皆、ぐったりしている。
目で数えようとしたが、なにしろ数が多い。二十はいるはずだ。
けれど、本当に二十八人全員が、揃っているのか……?
「……皆――無事か?」
不安に跳ねる心臓の鼓動を誤魔化すように、尋ねた。
クラリオンが荒い息の中、それでも懸命に笑顔を作り、報告した。
「ただいま、戻りました。全員無事であります」
「何よりの知らせだ」
胸の内に、温かいものが満ちる。
冬の夜に、湯船に肩まで浸かった時のような安堵感が、全身を満たした。
「離脱を優先したため被害の詳細は不明でありますが、橋は崩れましたし、荷馬車も、少なくとも五つ落ちました」
「分かった。――おかえり。よく、戻った」
クラリオンを抱きしめた。
「ま、マスター?」
「英雄への祝福だよ」
クラリオンの背に回していた腕をほどくと、もう一度両手を広げた。
「ほら、みんなも」
おずおずと寄ってくる皆を、ドッペルゲンガー二十八人全員を、一人ずつ優しく抱きしめた。疲労か緊張かは微妙だが、強張った背を、ぽんぽんと優しく叩いて、解きほぐしていく。
全員を抱擁し終わったところで、クラリオンが硬い表情で、一歩前に進み出た。
「……褒めて下さるのは、嬉しいです。けれど、これは"病毒の王"様の作戦があってこその戦果です」
彼女が顔を伏せた。
「私達は英雄などでは、ありません」
まったくこの子達は。
生い立ちがあるから仕方ないとはいえ――自己評価が低すぎる。
「戦争が終わるまで、この作戦は機密となる。もしかしたら、終わってさえ。……けれど、これだけは言っておく」
ここで、言わなくてはいけない。
ドッペルゲンガー。
呪われた種族。
決まった姿を持たぬ、母の血を継がぬ忌み子。
――そんな言葉が、このひと達に相応しいものか。
「この戦争に勝てるとしたら、君達がいたからだ」
擬態扇動班と暗殺班。"病毒の王"陣営が設立されてより今まで、両翼の一翼は、確かに二十八人のドッペルゲンガーだった。
あらゆる混乱を引き起こし、時間を稼ぎ続けた。
全ての戦果の、基礎を築いたのは、彼女達なのだ。
「私は忘れない。陛下にも常々言ってある。絶対に悪いようにはしない。――自分達を、誇れ」
だから私は、力を込めて断言した。
「君達は、呪われた種族なんかじゃない」
何人かが、声を抑えて泣き出した。
クラリオンの頬にも、涙が伝う。
「何よりの、お言葉であります……」
「お前達の働きを賞賛しない者など、誰もいない。いてはいけない。――皆、ドッペルゲンガー達が戻ったぞ、全員無事だ!」
野営地にいる全員に聞こえるように、声を張り上げた。
「戦果を持ち帰ってきた! たった二十八人で橋を落とし、物資を積んだ荷馬車を冬の川へ沈め、人員への被害も甚大! さらにここで稼いだ時間は、莫大な黄金よりもなお価値がある!!」
野営地のそこかしこから、歓声が上がった。
「ま、マスター。未確認であります。あくまで未確認」
クラリオンが慌て顔になる。
「いいんだよ。私は部下の見立てを信じてるからね。それに橋が落ちたなら、少なくとも時間的成果は確実だし」
「……あの、残りは?」
「確認しようがないでしょ」
「…………」
「――繰り返す。全員無事! 成果は莫大! 機密につき詳細は伏せるし、聞くな。だが、英雄達の凱旋だ。ねぎらってやれ!!」
もう一度叫ぶと、クラリオン以下、二十八人のドッペルゲンガー達を見やる。
「これぐらい、しないとね」
「……やりすぎでありますよ」
クラリオンが、苦笑した。
残りの皆も、笑っている。
涙で濡れた瞳で、それでもこのひと達は笑っている。
「みんな、笑顔の方が似合うよ」
その一言で、皆の笑顔が少し深さと艶を増した。
私も笑顔で、言葉を続ける。
「ちょっと大変だと思うけど『ねぎらわれてあげて』ね」
「は?」
「あ、怪我をしている者と、衰弱が激しい者は今のうちに申し出るように」
「それは――皆?」
クラリオンが全員に視線を走らせる。
皆が首を横に振った。
何よりだ。
「――皆、手加減はしろよ。物資は多少大目に見るが、あまり派手にはするな。疲れている事を考えろよ!」
一応念は押しておく。
野営地のそこかしこから、少数のダークエルフと獣人達、それに骸骨と死霊達が毛布やら食料やらを持って、わらわら集まって来ていた。
毛布を巻かれたり、肩を叩かれたり、抱擁されたり、もみくちゃにされるクラリオン達。
「あ、あの! マスター!」
クラリオンが毛布を巻かれながら叫ぶ。
「みんな、クラリオン達の事を仲間だと思ってるよ。たっぷり祝われてね」
「祝われるってこんな大変なのでありますか!?」
クラリオンが差し出された杯を空にして叫んだ。その頬は赤い。
さっきの杯、中身アルコールじゃないだろうな。まあ大目に見るとは言ったが。
ひらひらと手を振る。
「そうだよ。――英雄ってね、結構大変だよ」
「ま、マスタ」
クラリオンの声が、喧噪に紛れて聞こえなくなる。
彼女達の姿も、集団に埋もれて見えなくなった。
あんまり騒がしくて、すぐには、嬉しいとは思えないかもしれないけれど。
確かに、それは幸せなのだ。
喧噪に背を向けた。
彼女達の作戦は、ほとんど全てが機密。
けれど、確かに、"ドッペルゲンガー"が活躍した事を、勝ったなら戦史に記さねばならない。
その未来が来なかったとして。
今、この瞬間に、仲間のために戦い、そして一つの勝利を得た事を、彼女達の胸に刻まなければならないのだ。




