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病毒の王  作者: 水木あおい
6章

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英雄の凱旋


「――上手く、いっているでしょうか……」

「この世界の軍人さんは『魔力反応』に頼りすぎてるからね」


 私は暖かい天幕の中、リズと二人きりで火に当たりながら、作戦が成功する事を祈っていた。

 二人きりと言ったが、バーゲスト達も、肩を並べる私達二人の周りにくっついている。

 今も頑張っている部下の事を想うと、あらゆる意味でぬくぬくしている自分が罪深く思えるが、これも指揮官の仕事だ。


「……『罠』は作動すると思う。でも……二十八人全員が、生きて帰れるか、分からない」


 全てをドッペルゲンガー達に……クラリオン達に任せてきた。



「擬態扇動班の"ドッペルゲンガー"最後の花道……無事に演じてよ」



 私は祈る神を持たない。

 それでもぎゅっと握った拳をもう片方の手で包み、額に押し当てて、目を閉じて、彼女達の無事を祈った。


「……でもマスター、どうやったら、『ドッペルゲンガーをロープに変身させる』なんて方法を思いつくんです?」

「魔法を使わないで、橋を崩す方法を考えただけだよ。手持ちの材料でね」


 今回の作戦は、シンプルだ。

 橋を、なるべくいいタイミングで落とす。



 魔法なしで。



 もちろん罠もなしで。

 ついでにこの世界に爆薬はない。タイマーもない。リモコンもない。

 それでも私は作戦を立案した。


 『ドッペルゲンガーを、橋を支えるロープに変身させる』という作戦を。


 要所要所の、力のかかりやすい二十七カ所をロープに変身したドッペルゲンガーで結ぶ。

 一人を鷹に変えて――これはクラリオンが選抜して指名するそうだ――タイミングを見計らって、合図に一鳴きする。

 そのタイミングで、変身を解除。

 なるべく食料の積まれた荷馬車を、そうでなくても、なるべく大勢を巻き込んで適当なところで。



 橋を落とす。



 下は川。ラングネール川は、川幅が広く、冬にも凍らない急流で名高い川だ。

 落ちれば、一巻の終わり――とはならないだろう。魔法があるし、救助はそれなりに迅速に行われるはずだ。

 けれど、完全にタイミング良く落ちたなら、荷馬車の一つや二つは失われる。


 大回りするにせよ、木を切り倒して急ごしらえの橋を架けるにせよ、魔法で荷馬車を浮かして渡河するにせよ、莫大な時間と魔力が必要だ。橋があれば一日で終わる渡河が、三日や四日かかっても不思議ではない。

 そもそも他の橋はあくまで現地で日常的に使われている物で、破棄されていなかったとして、大軍の通過に耐えられるかどうか。


 何にせよ、一刻も早く決戦に持ち込みたい状況の中、敵地で時間を浪費する事になる。


 理論上は、完璧に近い作戦だ。

 けれど、問題は。


「……耐えられたかな」

「分かりません。二十七人がいて、無事なロープもあるとはいえ、相当な重量がかかるはずです」


 全ての負担がドッペルゲンガー達にかかる。

 物理的な負担。寒空の下、激流の衝撃に橋を耐えさせ、それから荷馬車と人員の重量を支える。

 全てではない。他の構造体とロープが多くを引き受けてくれる。


 それだけの箇所が『渡河中に壊れ』れば、橋が耐えきれなくなる可能性は高い。


「落ちたかな」


「微妙な所ですね……安全を優先させましたので……」

「うん」

 厳密な計算などは出来ない。



 たった二十八人のドッペルゲンガーで、橋を一つ、敵軍を巻き込んで落とす。



 そんな魔法を、思いついた。

 そしてそのために、部下を危険にさらしている。


 橋は落ちただろうか。

 タイミング良く落とせただろうか。

 巻き込まれなかっただろうか。

 鳥に変身して逃げる際に、弓や魔法で撃ち落とされたりしないだろうか。


 不安が頭の中をぐるぐると回り、暖かい部屋にいるのに、心が凍えそうになる。

 失敗する要素は、いくらでもある。

 そして失敗すれば、たった二十八人しかいない希少種族を――"第六軍"擬態扇動班の中核を担う最精鋭を何人か、ことによると全員失うのだ。

 私を信じて、こんな作戦に参加したひと達を。


「――主殿」

「ハーケン」


 天幕の入り口の布を上げて入ってきたのは、見張りに就いていたハーケンだ。


「戻られたようだ」


「そうか!」


 自分でも、ぱあっと表情が明るくなるのが分かるが、同時に気を引き締めた。

 何人が、戻った?




「よく戻った!」


 地上に舞い降りた鳥――小鳥の中に一羽の鷹――が、全て女性の姿に変わっていくのを確認して、私は叫んだ。

 皆、ぐったりしている。

 目で数えようとしたが、なにしろ数が多い。二十はいるはずだ。

 けれど、本当に二十八人全員が、揃っているのか……?


「……皆――無事か?」


 不安に跳ねる心臓の鼓動を誤魔化すように、尋ねた。

 クラリオンが荒い息の中、それでも懸命に笑顔を作り、報告した。



「ただいま、戻りました。全員無事であります」



「何よりの知らせだ」


 胸の内に、温かいものが満ちる。

 冬の夜に、湯船に肩まで浸かった時のような安堵感が、全身を満たした。


「離脱を優先したため被害の詳細は不明でありますが、橋は崩れましたし、荷馬車も、少なくとも五つ落ちました」


「分かった。――おかえり。よく、戻った」


 クラリオンを抱きしめた。


「ま、マスター?」


「英雄への祝福だよ」


 クラリオンの背に回していた腕をほどくと、もう一度両手を広げた。


「ほら、みんなも」


 おずおずと寄ってくる皆を、ドッペルゲンガー二十八人全員を、一人ずつ優しく抱きしめた。疲労か緊張かは微妙だが、強張った背を、ぽんぽんと優しく叩いて、解きほぐしていく。


 全員を抱擁し終わったところで、クラリオンが硬い表情で、一歩前に進み出た。


「……褒めて下さるのは、嬉しいです。けれど、これは"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様の作戦があってこその戦果です」


 彼女が顔を伏せた。



「私達は英雄などでは、ありません」



 まったくこの子達は。

 生い立ちがあるから仕方ないとはいえ――自己評価が低すぎる。


「戦争が終わるまで、この作戦は機密となる。もしかしたら、終わってさえ。……けれど、これだけは言っておく」


 ここで、言わなくてはいけない。


 ドッペルゲンガー。

 呪われた種族。

 決まった姿を持たぬ、母の血を継がぬ忌み子。

 ――そんな言葉が、このひと達に相応しいものか。



「この戦争に勝てるとしたら、君達がいたからだ」



 擬態扇動班と暗殺班。"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"陣営が設立されてより今まで、両翼の一翼は、確かに二十八人のドッペルゲンガーだった。

 あらゆる混乱を引き起こし、時間を稼ぎ続けた。

 全ての戦果の、基礎を築いたのは、彼女達なのだ。


「私は忘れない。陛下にも常々言ってある。絶対に悪いようにはしない。――自分達を、誇れ」


 だから私は、力を込めて断言した。



「君達は、呪われた種族なんかじゃない」



 何人かが、声を抑えて泣き出した。

 クラリオンの頬にも、涙が伝う。



「何よりの、お言葉であります……」



「お前達の働きを賞賛しない者など、誰もいない。いてはいけない。――皆、ドッペルゲンガー達が戻ったぞ、全員無事だ!」


 野営地にいる全員に聞こえるように、声を張り上げた。


「戦果を持ち帰ってきた! たった二十八人で橋を落とし、物資を積んだ荷馬車を冬の川へ沈め、人員への被害も甚大! さらにここで稼いだ時間は、莫大な黄金よりもなお価値がある!!」


 野営地のそこかしこから、歓声が上がった。


「ま、マスター。未確認であります。あくまで未確認」

 クラリオンが慌て顔になる。


「いいんだよ。私は部下の見立てを信じてるからね。それに橋が落ちたなら、少なくとも時間的成果は確実だし」


「……あの、残りは?」

「確認しようがないでしょ」


「…………」



「――繰り返す。全員無事! 成果は莫大! 機密につき詳細は伏せるし、聞くな。だが、英雄達の凱旋だ。ねぎらってやれ!!」



 もう一度叫ぶと、クラリオン以下、二十八人のドッペルゲンガー達を見やる。


「これぐらい、しないとね」


「……やりすぎでありますよ」


 クラリオンが、苦笑した。

 残りの皆も、笑っている。

 涙で濡れた瞳で、それでもこのひと達は笑っている。


「みんな、笑顔の方が似合うよ」


 その一言で、皆の笑顔が少し深さと艶を増した。

 私も笑顔で、言葉を続ける。



「ちょっと大変だと思うけど『ねぎらわれてあげて』ね」



「は?」

「あ、怪我をしている者と、衰弱が激しい者は今のうちに申し出るように」


「それは――皆?」


 クラリオンが全員に視線を走らせる。

 皆が首を横に振った。

 何よりだ。


「――皆、手加減はしろよ。物資は多少大目に見るが、あまり派手にはするな。疲れている事を考えろよ!」


 一応念は押しておく。

 野営地のそこかしこから、少数のダークエルフと獣人達、それに骸骨(スケルトン)死霊(レイス)達が毛布やら食料やらを持って、わらわら集まって来ていた。

 毛布を巻かれたり、肩を叩かれたり、抱擁されたり、もみくちゃにされるクラリオン達。


「あ、あの! マスター!」


 クラリオンが毛布を巻かれながら叫ぶ。


「みんな、クラリオン達の事を仲間だと思ってるよ。たっぷり祝われてね」


「祝われるってこんな大変なのでありますか!?」


 クラリオンが差し出された杯を空にして叫んだ。その頬は赤い。


 さっきの杯、中身アルコールじゃないだろうな。まあ大目に見るとは言ったが。

 ひらひらと手を振る。


「そうだよ。――英雄ってね、結構大変だよ」


「ま、マスタ」

 クラリオンの声が、喧噪に紛れて聞こえなくなる。

 彼女達の姿も、集団に埋もれて見えなくなった。


 あんまり騒がしくて、すぐには、嬉しいとは思えないかもしれないけれど。

 確かに、それは幸せなのだ。


 喧噪に背を向けた。


 彼女達の作戦は、ほとんど全てが機密。

 けれど、確かに、"ドッペルゲンガー"が活躍した事を、勝ったなら戦史に記さねばならない。


 その未来が来なかったとして。


 今、この瞬間に、仲間のために戦い、そして一つの勝利を得た事を、彼女達の胸に刻まなければならないのだ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ああ…。やはり、この話は良い。何度見ても、目頭が熱くなる…。 第六軍の中枢を担う最強の種族と言っても過言ではない、ドッペルゲンガー。 魔法の無い世界から来た主人公だからこそ、彼女達の特…
[一言] 本当に作者様は神回を多く書いてくださる…
[良い点] 祝われるってこんな大変なのでありますか!? で(・∀・)ニヤニヤが止まらないでありますぅー
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