黙祷
また一人処置が終わり、レベッカが天幕の外に声をかける。
「――次」
しかし、次の患者は来ず、死霊騎士が一人天幕に入ってきた。
「あ、これで終わりです。お疲れ様でした、レベッカ様、"病毒の王"様」
「そうか……」
ふう、とレベッカが息をつく。
私も魔力をごっそり抜かれ、ぐったりしている。
杖にすがって、立ち上がった。
私の杖は本来防御魔法の発動媒体であり、演出用の小道具なのだが、立って歩く事を補助するのにも使える。杖なので。
「よし……みんなの様子、見てくる……」
「ん……私も行こう」
「主殿。レベッカ殿。治療は終わられたか」
「なんとかね」
「ああ、ハーケン。点呼、終わったか。――何人死んだ?」
レベッカがハーケンに問う。
「うむ。……八十二名だ。残存数は、我を含めて四百十二名、となるな」
それは、有り得ない被害だ。
……たった二百人ほどしか、ここまでで失っていない。
人類の大半を殺してきた事を考えると、少なすぎる被害だった。
後世の歴史家が見たら、桁を間違えていると断じるのではないか。
たった六百名ほどが一月も掛からず大陸一つの人間を。
"第六軍"における、兵站の記録は恐ろしく乏しい。
これは私が書類仕事をサボっているせいではなく、生身が少ないからだ。
不死生物への魔力供給に関しては、戦時の物は記録する義務がない。
略奪物資に関しても同様……というか、こちらは規定がない。本来リストレアの軍は、敵国への侵攻を想定していないのだ。
黒妖犬を戦線に投入した例もない。
一応交戦記録は取っているが……やはり歴史家は泣くだろう。
どこまでを信じていいか分からない、と。
戦場のおとぎ話の類だと。
バーゲストと、時折リタル様と連絡を取りながら、こちらへ向かっているはずの現地活動班のおかげで、進行はかなりスムーズ。
小国家群で生命力を荒稼ぎし、その勢いを駆ってランク王国、ペルテ帝国、エトランタル神聖王国を順番に下して、ここまで来た。
戦時という事で、徹底的に無茶をしている。
本来の不死生物の生命力吸収に関する『安全限界』さえ、本人の同意の下とはいえ、無視しているのだ。
まだ一人もそうなっていないが、いつ"なれはて"――文字通り理性をなくした、アンデッドの成れの果てへとなってもおかしくない。
……今はいい。
『敵』がいる。
膨れあがった日常の要求量を、何の問題もなく満たせる。
けれど、生命力吸収量に何故、安全基準が設けられているのかと言えば、そんな量を日常的に供給し続けられないからだ。
私は部下に、誰一人死んでほしくない。
でも、もしかしたら。
これだけの戦力が、生き残ったら。
『生き残ってしまったら』。
「――マスター」
「あ……レベッカ」
そこにレベッカの声がかけられ、私は思考を中断した。
「しばらく戦闘は避けるべきだろう。半数以上が負傷して治療したばかりで、戦闘した場合命の保証が出来ん。あんな部隊が複数いるとは思えんから、大丈夫だとは思うが」
「補給は……足りる?」
「全員相当喰った。しばらくは問題ない。決戦まででも、十分保つだろう」
「……そう。みんなは?」
「元気な奴らに、向こうに置いてきた物資を取りに戻らせている。少し先に野営地を移動して待ちたいが、いいか?」
「うん、任せる。……ここは、血の臭いがするから……」
地面と空気に染みついた血の臭いが取れるのは、どれぐらい先の事だろう。
まもなく夜明けだったが、一日を、新しい野営地で過ごす事になった。
すぐには動けない者も多いし、何より私やレベッカの疲労も限界に近い。
サマルカンドも魔力をほぼ使い尽くしているから完全回復には数日掛かるだろうし、リズだって平気そうにしてはいたが、あれだけの大立ち回りを演じた後だ。
現地活動班――暗殺班と擬態扇動班が追いついてこないかという期待もある。
休息を取る前に、置いてきた物資を取ってきた者達を含め、全軍をねぎらう事となった。
……リストレアを出る前より、随分と減ってしまった。
個々の強さは、最早別次元に達しているが。
地平線の向こうの昇り切らない太陽が、私の前に並ぶ死霊騎士達を柔らかく白く染める。
深呼吸して喉を整え、口を開いた。
「――犠牲は出たが、予想より少ない。私の無茶振りを叶えてくれたお前達を、誇りに思う」
「光栄であります」
「なに、敵は主殿より無茶を言いませんからな」
「主殿に刃を向けるわけにはいきませぬが、敵は斬り伏せればよいだけです。随分と気が楽ですよ」
「全くだ」
「ああ、全くその通り」
「頼もしい事だな」
小さく笑った。
ああ、本当に頼もしい。
四倍の兵力差を覆し、粉砕する精強な騎士団が一つ、私の手元にあり、私を絶対的に信頼している。
けれど、それでも犠牲は出るのだ。
これだけ強く、そして私を信じていてなお――いや、信じていたから。
「先に逝ったやつらは……まあ、後で土産話を持って行ってやるとしよう」
さざ波のような笑いが広がる。
私も微笑んだ。
私はいずれ、地獄に行くだろう。
けれど今は、それも悪くないと思える。
「これまでに失われた全てへ。……先に逝った、英雄達へ。――総員、黙祷」
フードを下ろし、胸に手を当てた。
そのまま三つの護符の紐を、ぎゅっと握り込む。
皆もまた、思い思いに、黙祷の姿勢を取る。
骸骨と死霊の眼球たる青緑の鬼火が、一斉に消えた。人間でいう目を閉じた状態なのだろう。
私も目を閉じた。
まぶたの裏に浮かび上がる、出撃前の全軍の姿。
今はもう一部分が欠けてしまった、私の騎士団の姿。
たった八十二名の犠牲で、二千を超える敵兵力を粉砕。
補給物資を全て強奪。
敵の増援と補給を、同時に断った。
それは素晴らしい戦果。
まさしく英雄だけが成し得る偉業。
けれど、私を慕う、私なんかを信じる馬鹿野郎達が、遠いところへ行った。
そして、もっと逝く。
これから先、きっと、悼む暇はないだろう。
全てが終わった後、悼む事が出来る者も少ないだろう。
そして私がこいつらに出来るのは、きっと死んでこいと言う事だけだ。
だから、今は。
今だけは。




