恐怖の支配する戦場
敵の弓騎兵が、こちらの軍に火矢を浴びせ、黒妖犬を射倒していく。
「行くぞ。――振り回す。舌噛むなよ!」
アイティースの指示に、舌を引っ込め、ぐっと歯を食い縛った。
グリフォンへの指示は、口頭と手綱だ。
精神魔法は最低限のものしか使われない。
微かな動きから、お互いの意思を読み取る調練技術の結晶。
そしてその技術を礎に、確かな絆を、自分達とは違う翼持つ生き物との間に築き上げた者だけが、グリフォンライダーになれる。
リーフの鳴き声が戦場に響き渡った瞬間、明らかに馬が暴れた。
砂漠地方の四つ足ともなれば、『空を飛ぶ四つ足』たるグリフォンへの恐怖を持たないはずがない。
バーゲストがその隙に囲もうと動くが、乗り手共は、馬を御して見せた。
アイティースが舌打ちする。
「ちッ! ……近付いてもう一鳴きする。リズ、許せ!」
「許可します。上空を飛んで下さい」
「伏せてろよ!」
言葉通り、身体を低くして、前の鞍に備えられたハンドルを握り込む。
ぐいっ、と大きく横に振られ、急旋回のGで吹っ飛ばされそうになるのを、懸命にこらえた。
「アイティース、リーフ。一回でいい。敵騎兵の上空で、縦に一回転して下さい」
「は!?」
「一回転です!」
「お、おう!」
グリフォンに乗っている間、指揮権はアイティースにある。
ただ、私やリズも、当然正当な要請を行える。
グリフォンの鳴き声に怯む馬を御しながらの矢がリーフを狙ってくる。
ただ、バーゲスト達が牽制しているおかげで、数が少なく、本気で落とそうとしていると言うよりは、近付かせない程度のものだ。
それに流れ矢の一本程度なら、"病毒の王"の戦装束に込められた防御魔法が万全に機能していれば、問題ない。
急加速からの上空通過、そしてリズの指示通りの一回転。
天地が逆になる一瞬の感覚の中。
騎乗帯の安全金具が外れる音が、嫌にはっきりと聞こえた。
「行ってきます、マスター」
そして平坦なリズの声が。
ばっと振り返ると、空っぽの鞍。
「――おい! リズは!?」
「落ちっ……」
一瞬で血の気が引く。
それほど高くはなかったはず。
でも、上空から敵軍の真っ只中に落ち――
「"幻想短剣生成"」
強化された聴覚が、微かな詠唱を拾う。
そしてリーフの体勢が立て直される最中に見えたのは、淡く青く光る、無数の半透明の短剣が雨のように降り注ぐ光景だった。
『合同訓練』で設置型トラップを強制起動させるために使った魔法。
基本的には身体強化オンリーでの近接格闘がリズの戦闘スタイルだが、それに加えてこういった『飛び道具』や、"粘体生物生成"など多彩な攻撃オプションも持つ、ベテランアサシンだ。
……と、再確認するが。
アイティースが叫んだ。
「無茶すんなあ!」
本当に。
リズはごろごろと転がって衝撃を殺し、跳ね起きながら、再び魔法の短剣の雨を降らせ、先程よりも正確に狙う。
ただ、あれは威力の低い、牽制・攪乱用のはず――
と思ったが、ベテランアサシンを少しばかり舐めていた。
ああ、彼女の先輩達のお手紙にもあった。あらゆるものを『お仕事』に使う事が、暗殺者の日常だと。
それはつまり、暗殺者にとって全てが殺しの道具。
元々が殺しの道具である攻撃魔法を暗殺者が使って、殺意に満ち溢れていないわけがなかった。
もんどり打って倒れ、苦しみに暴れ、しかし立ち上がれない馬の姿を見て、それが足――の腱――を狙った物だったのだと悟る。
しかし乗り手達は一部が落馬の衝撃で倒れている以外は、無事だった。
リズに向かって放たれる火矢の軌跡が、先端の炎によって浮かび上がり、私は息を呑んだ。
アイティースが、怪訝そうな声を出す。
「……え、今、避けたか?」
「矢って……普通……」
「あの距離で避けられる奴は頭おかしい」
身を沈め、矢の雨の中を走り抜けるリズに一本も当たらない。
曲刀を抜いた乗り手がそれを振り上げ、振り下ろす前に、その懐に飛び込んで、赤いマフラーを巻いた腕が操る大型ナイフが、相手の動きを止め、命を絶った。
「リズめ……いつも私に頭おかしいって言うくせに……」
「いやまあ、それはしょうがない」
リーフが、弓の射程距離から外れた上空で旋回に移る。
少しだけ余裕が出来て、落ち着いて戦況を見る事が出来た。
他はと言えば、馬を失った騎兵達など、うちのバーゲスト達の敵ではない。
群がる黒い獣達に乗り手と馬は仲良く飲み込まれ、後には噛み裂かれた死体だけが残る。
残り半分の敵は、死霊騎士達と睨み合っていた。
突っ込めば倒す事自体は容易い。しかし、死ぬな、という言葉を忠実に守ってくれているようだ。
騎兵に対してリズが突っ込んだのを見たから、騎兵が倒されるのを待って黒妖犬と合流した方が確実という判断を下したのだろう。
逆に言えば敵は、合流される前に各個撃破を狙って仕掛けるしかない。
向こうが動き、突っ込んでくる。
再び"火球"が放たれるが、それはレベッカの"障壁"に止められた。……が、一対十では負担が大きいはずだ。長く保つかどうか。
待ち構える自軍に、敵軍が距離を詰めて来る。
後数メートルで、剣の音が響くだろう瞬間、黒山羊さんが口を開いた。
「"死の言葉"」
先頭に立っていた一人が、倒れる。
「"死の言葉"」
また一人が。
「"死の言葉"」
もう一人が。
敵軍の動きが、目に見えて鈍った。
そこへ魔法で声量を拡大したサマルカンドの言葉が響く。
「即死魔法に耐えられると思う、英雄だけが前に出るがよい……」
「立ち止まるな! 魔法の的になるだけだぞ!」
敵指揮官が叱咤する。
正論だ。正論だが、恐怖の方がいつの世も強い。
――今だ!
素早く仮面に触れ、声量拡大の魔法を起動すると、声を張り上げた。
「我が名は"病毒の王"! ――我が忠実なる騎士達よ、前進せよ! お前達こそが地上最強だと知らしめるのだ!!」
"病毒の王"の名前と言葉に、敵軍に動揺が広がり、自軍からは、背筋が寒くなる雄叫びが聞こえた。
肌が粟立つ。
常人が聞けば、それだけで怯えて死にそうな、不死者の咆哮。
けれど私の肌を粟立たせるのは、この胸を締め付けるような幸福なのだ。
この凄惨な戦場で。
自分の言葉によって奮い立ち、歓喜の雄叫びを上げる配下を持った人間だけが知る幸福。
死霊騎士達が前進し、戸惑う敵軍に切り込んでいく。
この好機を逃すレベッカとハーケンではない。
敵軍から、矢が一斉に射かけられる。
「"吹雪"」
その矢は全て、吹き荒れた雪混じりの強風に煽られ、本来の威力を全く発揮出来ずにばらばらと落ちていく。
うちの黒山羊さんは、多芸だ。
敵軍を分断するのには炎の壁、無数の飛び来たる矢を叩き落とすには吹雪と、それぞれの特性を理解して、魔法を使い分けている。
かなりの実力差がないと効果を発揮せず、射程距離が短く、一人ずつしか殺せないと、使いにくい事この上ない即死魔法も、揺さぶりとして使うえげつなさ。
一体誰から学んだんだか。
……私か?
ガラスが砕けるような音と共に、"障壁"が砕け散り、最後に防いだ火球が上空で炸裂する。その様は、爆発した火の玉と、砕けた障壁の淡く白く光る欠片と相まって、花火のようだった。
レベッカはベテランだが、攻撃も防御も、同数かそれ以上を揃えるのが基本だ。
いつもはサマルカンドと共に二人でサポートに回っている事を思えば、死に物狂いで放たれる攻撃魔法に対して、むしろよく保った方だ。
おそらくもう、障壁には頼れない。
しかし、彼女は完全に自分の任を果たした。
攻撃魔法は、もう飛んでこない。
乱戦になり、味方を巻き込む大火力の攻撃魔法など、使いようがなくなる。
正面をハーケン率いる死霊騎士達に押し込まれ、バーゲスト達が横腹から食いつき、敵軍は瞬く間に数を減らしていく。
こちらも無傷ではないが、敵軍の主力は食い破られ、ほぼ全滅だ。
まだ、荷馬車周辺に護衛と、指揮官を含む弓兵と魔法使いが、いるようだが――
「……投降せよ! 最早勝ち目はない!」
そこに、悲鳴のような声が聞こえた。




