分断された戦場
「「「――っあああ゛ア゛ア゛アっ……!?」」」
一斉に悲鳴が上がり、その全てが唐突に途切れる。
いくつか、炭化した焼死体が炎の壁の両側に倒れ込み、炎の壁の内側に残ったままの死体が、黒い塊から、形をなくして、崩れていく。
「馬鹿な……なんだ、この炎……」
唐突に戦線の中央から、長く、高く伸び上がった炎の壁に何十、何百人焼かれたかは分からない。
ただ問題なのは――ほぼ半分に戦力が分断されたという事。
炎の壁の『こちら側』に取り残された指揮官は、歯噛みした。
『向こう側』の状況が分からない。
「っ――こいつ! こいつら!?」
「バーッ……バーゲストだ! ただの犬じゃ――」
「下がれない! 助け……助けて!」
「――バケモンだ! 全員、化けも――」
取り残された者達の背筋を、寒気が這い上がっていく。
戦力がほぼ半分に分断されたとはいえ、敵軍の、倍はいたはず。
それなのに、聞こえる声に、自軍が有利な要素が、何一つ含まれていない。
聞こえるのは剣戟の音と、悲鳴と――断末魔。
それだけでも恐ろしいのに、何より恐ろしいのは、それらの音が、小さくなっていく事だった。
剣戟の音が止み、悲鳴が途絶え、断末魔は一瞬で。
苦痛に呻く声さえ、もう。
全軍が――残された半分が、じりじりと、背後に下がる。
後方に位置する、彼の――指揮官の位置まで、全軍が下がり、荷車を背にした辺りで止まる。
倒れた者達の魂を燃やし尽くしたかのように、炎の壁が、伸びた中央から消えていく。
「ひっ……」
指揮官の隣の魔法使いが、縮み上がった。
最早人の形を留めていない炭の塊を、蹄が蹂躙する。
頭一つ高い巨体のそれは、直立した黒山羊の姿をしていた。
しかし角は長くねじくれて伸び、真っ黒な毛の終端は白く淡く揺らぎ、境界線さえもはっきりしない姿は、異界から抜け出してきたように思える。
さらに手に持った漆黒の大鎌は、恐らくは魔力で形作られていた。
地獄の底から来た死神が、自分達の魂を刈り取りに来たのだ――と誰かに言われれば、その姿を目の当たりにした者は、それを信じただろう。
しかし指揮官はもう少し冷静だった。
「上位悪魔……」
この三百年以上、人間国家の領土内での上位悪魔出現情報はない。
悪魔はたまに生まれる。どれも似たような姿だ。黒くて毛むくじゃらで、山羊だか羊だか、そんな動物の角を持っていて。
力が強くて、魔力も強くて、魔法も使えて。
しかし、手練れが複数で相手にすれば、ただの獲物だった。
それが――間違いだったのかもしれない。
悪魔の脅威を伝える伝承を、古いリタルサイド攻略戦に参加した者達の戦訓を、戦場のおとぎ話と思ってしまった。
今まで倒してきたデーモンなど、愛らしい子ヤギだ。
彼は神聖王国の出身で、神聖騎士とはならなかったが、デーモンとアンデッド相手に戦った経験があった。
しかし、だからこそ分かる。分かってしまう。
目の前の上位悪魔も、その背後にずらりと並ぶ完全武装の骸骨共も、規格外の存在だ、と。
それでも、背後の全てを守らなければならない。
この輸送物資がなければ、どれだけの兵が飢える事か。
不浄なる者共の背後にはもう、動く物は何もなかった。
敵軍の正確な数は元々分からないから、一矢は報いたのか、一方的に蹂躙されたのか、それさえも分かりはしない。
そこに、馬の蹄の音が聞こえた。
「太陽と炎の神の名に賭けて! ――臆するな、明けぬ夜など、ありはしない!」
はっとする。
後方に置いていた、ペルテ帝国の軽弓騎兵達。
彼らが駆る砂漠種の馬は、頑健で、軽弓騎兵は数が少ないながら、かつて人間同士が争っていた、それこそ五百年以上昔から存在する精鋭達だ。
攻撃魔法の洗練が進み、どんどん騎兵の価値が落ちていってなお、少数が維持され、ペルテ帝国内の魔獣討伐に多大な戦果を上げていると伝え聞く。
五十騎ほどだが、その力強い蹄の音は、萎えかけていた皆の心を叱咤し、絶望を踏み破り、希望を取り戻させたようだった。
彼らの矢の先に炎が灯り、それが弓なりに放たれて、眼前のスケルトン共を火矢の雨が襲う。
障壁に弾かれ、隙間を縫って飛び込んだ矢もほとんどが切り払われるが、動きが止まった。何体か倒れたようでもある。
軽やかに回り込みさらに第二射を射込み、駆け寄っていく黒妖犬さえ脚力で引き離し、振り向きざまの一射で仕留めていく。
もちろん全てではない。バーゲスト達は、十数匹が射倒された後は直線的に突っ込む事はせず、蛇行して走り、矢を避ける。
だが、回避行動を取りながらでは、あの化け物犬達とて馬を追い切れない。弓騎兵達は馬を駆る事に集中し稼いだ距離を生かし、再び振り向きざまに矢を射込み、数匹を射倒した。
「――バーゲストはペルテの勇敢な騎兵達が相手をしている! 我らはあのデーモンとアンデッド共をやるぞ!」
雄叫びが応え、唱和する。
そうは言っても、倒せるかは、分からない。
それでも、まだこちらには二倍以上の数がいるのだ。
あれほどの大魔法を連打出来るとも思えない。
そもそも、バーゲストとの連携があってこその戦果と考えるのが自然。
ほとんどが自分の心を鼓舞するための希望的観測である事は承知しているが、間違ってもいないはず。
そして目の前の敵との戦いに集中しようとした瞬間。
夜そのものを引き裂くような不気味な鳴き声と、巨大な羽音が聞こえた。




