"第六軍"のツボ
空に上がる前に、三百を超える黒妖犬を全て展開した。
そして、サマルカンドに声をかける。
「サマルカンド。うちは魔法使いが少ない。……頼んだぞ」
「もちろんでございます、我が尊きお方」
サマルカンドが片膝を突いて、恭しく頭を垂れた。
「防御は私が担当する。後ろは気にせず、思うように最大火力を叩き込め」
「レベッカ。――よし」
レベッカの言葉に、頷く。
「命令だ、サマルカンド。"契約と信頼において"。――お前の力を、余す所なく見せてみろ」
心臓が、どくんと脈打つ。
「……デーモンのツボというものを、よく分かっている主を持って幸せですよ」
黒山羊さんが笑ったような、気がした。
サマルカンドの体が、揺らいだ。
境界線が希薄になり、毛の先が白く淡く揺らぐ。同時に毛の黒さが光を吸い込むような深さを持ち始めた。
角がねじくれて伸び、横三日月の山羊の瞳が、熾った石炭のように燃える。
「余す所なく、と仰せでしたね?」
「ああ」
頷いた。
「今日は魔力を使い果たしても、よいのでありますね?」
「……ああ」
頷いた。
「後方の荷馬車の補給物資以外……敵軍は全て、好きなようにして構いませんね?」
「……うん」
頷いた。
……けど、妙に不安になってくる。
もしかしてなんか、命令の仕方を間違えただろうか。
「マスター、行きますよ」
「あ、うん」
リズに促され、リーフに乗って、騎乗帯を確認する。
仮面を着ける前に、最後にもう一度、皆を見渡した。
「――全員、死ぬなよ。奮戦を期待する」
「飛ぶぞ。危ないから近付くなよ。――行くぞ、リーフ」
獅子の後ろ足が大地を蹴り、鷲の翼が重い身体を強引に持ち上げる。
魔法による風も翼に孕んで追い風とし、滑るように夜空へと飛び上がった。
「……奮戦を期待する、だそうだ。サマルカンド殿」
かちり、とハーケンが顎骨を噛み合わせた。
「歓喜の極み。先頭に立ち最大火力で敵戦力を分断する。そしてハーケン殿率いる騎士達と共に、我らが主の偉大さを知らしめよう」
サマルカンドが頷く。
「お前も前に出るのか? ……まあいい。障壁は展開してやる」
レベッカが、ぽん、と手近な黒妖犬の首元を叩いた。
「お前達、援護頼む。特に騎兵が出てきた時はな」
一斉に尻尾が振られ、瞳に赤い光が宿る。
「では、これより進軍を開始する。会敵までなるべく喋るな」
レベッカが全軍に告げ、皆が軽く頷いた。
夜には不死生物は目立つ。それでも暗視能力を持たず、魔法でサポートする必要のある人間よりは、有利な時間だ。
「――では最後に、我らがお優しい最高幹部様のお言葉を繰り返そう。『死ぬなよ。そして敵は全て殺せ』」
笑いを含んだ彼女の声に、声を抑えた、さざなみのような笑いが応えた。
なんとまあ、『理想的な指揮官』であらせられる事か。
そんな事が出来るなら、戦争という言葉さえ生まれないだろうに。
なんとまあ、『甘い言葉』だろう。
自分達はもう、『死んで』いるのに。
不死生物である以上、軍に入る事は強制。しかし、軍人とは名ばかりの労働者ではなく、騎士となる時に、とうにこの身は戦場で果てる物と覚悟したというのに。
死んでも守りたい物がある。
ただ、病と毒の王を名乗る、我らが主にとっては自分達もまた大切なのだという実感は……ああ、全くもって悪くない。
アンデッド達が集う"第四軍"も、それはもちろん居心地が良かったが、それとも違う。
それ以上、何も語らず、進軍していく。
甘い主の無茶振りを、可能な限り叶える事を胸に誓って。
「火が見える……動いてないな」
「ええ。まあ、うちの騎士達は、夜は光って目立ちますからね。明かりのあるなしが、早期発見に影響があるか微妙ですが」
アイティースとリズと共に、グリフォンの上から遙か下の地上にうごめく敵軍を見下ろす。
夜風は冷たく、秋口とは思えないほどだ。
しばらく緩やかに、風に乗りながら上空を旋回し、滞空する。
今日は雲が多い。そう簡単には見つからないだろうし、地上からは私達の姿は点としか見えないだろう。
「――来ました」
暗闇に爛々と眼を赤く輝かせる黒妖犬――とサマルカンド。
そして青緑のオーラを燃え立つようにまとう、死霊騎士達。
「……なんか……気合い入ってるね?」
「我らがお優しい主のお言葉が効いたんじゃないですかね? 『死ぬなよ』の後に、『敵は全て殺せ』と続けるとは、中々気合いが入る、非常に良いお言葉でしたよ。ええまったく」
振り向くと、含み笑いをするリズの笑顔。
可愛いけど。
「つまり褒めてないね?」
「いいえ? それぐらいの方がいいですよ。多分」
「なげやりな」
「本当ですよ。……中々、言えません。指揮官はそう言いたくても……言えない。でも、それをあえて言ってくれるのは……嬉しいですよ」
「そうだな。出来るなら、自分達は誰も死なないで、敵は全部死ぬのがいい。……誰も死なないのが、一番かもしれねーけどよ」
リズとアイティースが軽く笑い合う。
「同意したいですが、それは暗殺者が……軍人が言っていい言葉では、ないのでしょうね」
「そんな事ありえねーから、私達が必要なんだもんな」
そしてリズの表情が真剣になる。
「敵も対応が早い。迎撃態勢を整えるまでを見れば、一流と言ってもいいでしょう」
荷馬車の置かれた野営地を背に、広く展開していく敵軍はかがり火に照らされ、それに迫っていく死霊騎士達は青緑のオーラに照らされている。
あの数とまともにぶつかり合えば――どうなるだろう。
夜の闇の中を、深く渋い、朗々とした声が響き渡った。
「我が名はサマルカンド。かの尊きお方、"病毒の王"様が率いられる"第六軍"において、序列第四位をたまわりし者」
「……あの、リズ。名乗りって……戦争のルールにあったり……」
「あったりしませんよ。だいたい、人間が、私達との戦争にルールを設けちゃいないって言ったのは、マスターでしょうに」
「だよね」
「陽動か?」
アイティースの言葉通り、確かに敵軍にはざわざわと動揺が広がっているようだった。
自軍の士気を上げ、敵軍の士気を下げるのは基本だ。
ただ、敵軍の数の方が圧倒的に多い事実は変わらない。
"火球"の火球が、十個飛ぶ。リズの偵察通り、魔法使いは十人。
"障壁"が張られ、その全てが上空で爆発し、光の盾が衝撃に震えて明滅し、戦場が照らされた。
その光に照らされるのは、ねじくれた角を持つ黒い巨体。
「え、先頭に?」
「おい待て魔法使いが先頭とか」
「……え? サマルカンド、何やって」
頭一つ大きい黒山羊さんが先頭になって、死霊騎士と、黒妖犬達が敵軍に切り込んでいく。
サマルカンドの手には漆黒の大鎌。不用意に近付いた者を両断し、大きく振り回し、敵軍中央に食い込んでいる――ように見えて、あれは遠巻きに包囲されているだけだ。
いくら上位悪魔でも、あの数に囲まれては。
どくん、と心臓が高鳴り、私の血が熱くなる。
"血の契約"を通じて、サマルカンドの覚悟が伝わってくるようだった。
馬鹿げた魔力が――それこそ自らの全てが、練り上げられていくのを感じる。
自分との境界線が、分からなくなる。
愚かにも自分の力を過信し、血路を切り開こうというのではない。
ここが、勝負所だと全身の血が叫んでいるようだった。
サマルカンドが一際大きく大鎌を振るって牽制すると、空いた手を地面に押しつけた。
「"炎壁"」
炎が吹き上がり、壁となり――炎の壁が長々と伸び、かがり火よりもなお赤々と夜の闇を払った。




