暗殺者さんとのお話
また翌日。
昼食も終わり、夕食までは暇だ。
けれど今日は、楽しみがある。
ベッド脇の丸テーブルを挟むように置かれた椅子に腰掛けて、人を待つ。
ひたり、と首筋に冷たいものが当たった。
背筋がぞくりとし、弾かれたように振り返ると、首筋の刃が引かれる。
そこにいたのは、昨日の暗殺者さんだった。
ほっと胸を撫で下ろす。
「いらっしゃい」
「緊張感のない挨拶ですね。……暗殺に来たとは、お考えにならないので?」
右手にナイフを持ったまま、彼女が問う。
片刃の刃だけが銀色に光り、刀身は鈍く黒々とした鉄の質感の、大型ナイフだ。
「だったら、ナイフを引かないよね? そもそも声をかけないし、お昼ご飯を出す意味もないだろうし」
「はい。……非礼をお詫びいたします。ですが、私はまだ、疑っているもので」
光のない瞳が、静かに私を見つめる。
これほど感情のない瞳は、初めて見た。
「座ったら? 今日は昨日よりお話してくれるんだよね」
「はい」
彼女はナイフを鞘に収めると、するりと椅子を引き、向かいに腰掛けた。
口元を隠していたマフラーが引き下ろされ、目が一段と細められる。
「……言っておきましょう。私は、最終判断を任されました。殺害の許可を頂いております」
「分かった。お名前は?」
「耳は正常ですよね?」
「よく聞こえてるよ」
しっかりと頷く。
「あなたの殺害の許可が出ています」
「昨日も出てたよね。何も変わらないよ。私は殺されに来たんじゃないから」
「それは私次第です」
「無抵抗でも?」
首を傾げた。
「脅威であると判断すれば」
「じゃあ大丈夫だよ。私、自分で言うのもなんだけど、全く脅威じゃないから」
笑って見せた。
そして、もう一度問いかける。
「それで、お名前は?」
「リーズリット……」
ふと、ブリングジットの名前と似ているな、と思った。
顔立ちは、似ているような……似ていないような。
無表情すぎて、よく分からない。
「あなたの名前は?」
「聞いてない?」
この城に来てから名前を聞かれたのは、初めてだ。
「はい。名前は聞いていません」
「そうじゃなくて。今、部分的に記憶喪失中でね。自分の名前とか分からないの」
彼女の目が細められた。
「部分的に? 記憶喪失? ――都合の良すぎる言い訳に聞こえます」
「そう言われちゃうと……でも、他の世界から召喚された事情も考慮してくれると嬉しい」
「今、なんと言いましたか?」
「他の世界から召喚された事情も考慮してほしい……?」
「意味が……よく……」
声色は変わらない。
しかし、なめらかに詰問していた言葉が、止まった。
「――私が、ガナルカン砦から来たのは?」
「はい。知っています」
「召喚魔法で、人間に召喚された。精神魔法? で洗脳されて、攻撃魔法とか防御魔法の魔力を補うのに、魔力を搾り取られて使い捨てられそうなところだった」
「は……い」
「でも、ギリギリで自分を取り戻した」
「はい?」
「それからは、身を挺して防御魔法の突破口を作り、騎士団長直々に認められる大活躍! ……その褒美に推薦状を頂いて、魔王陛下への謁見を申請中です」
「なるほど」
「分かってくれた?」
期待を込めて聞くと、彼女は頷いた。
「分かりました。聞く価値はないようですね」
「本当なのに」
嘘は言ってない。
「……では、どうやって精神魔法に抵抗されたので?」
おや、続けてくれた。
揶揄するような口調が、むしろ心地よい。
この部屋の清掃や配膳を担当するメイドさん達は、口調こそ丁寧だったが、誰も、世間話には付き合ってくれなかった。
「えーと、気合い?」
「…………」
目が細められる。
そんなでも、リアクションがあるのは嬉しかった。
「防御魔法の突破とは、具体的に、どうやって?」
「それはもう。敵の魔法使いをちぎっては投げ、ちぎっては投げ」
身振り手振りを交えて説明する。
「…………」
沈黙。
なにか喋って。
その希望が届いたのか、リーズリットが口を開く。
「……面白いお話でした。ええ。中々聞けませんね」
「だよね」
皮肉なのは分かる。
彼女が、立ち上がった。
「今日はこれで失礼します」
「明日も、会える?」
「さあ」
素っ気ない。
しかし、即座に否定されなかっただけ、マシかもしれない。
リーズリットは、それ以上は喋らず、すたすたと扉へと歩いていく。
「……また、明日ね」
ひらひらと手を振って、見送った。
また翌日。
今日も、リーズリットを待っている。
そわそわと、はやる気持ちが抑えられない。
昨日と同じぐらいの時間になるまではベッドで意味もなくごろごろとしていたし、椅子に座っても、ゆらゆらと脚を揺らすのをやめられなかった。
これが、噂に聞く恋だろうか。
それとも、ストックホルム症候群だろうか。
ひたり、と首筋に冷たいものが触れた。
二振りの黒い大型ナイフが、私の首を挟み込むように添えられていた。
動きをぴたっと止めて、そろそろと喉を反らせて後ろを向く。
「こんにちは、リーズリット。これ冷たくて怖い」
「そうは思えぬ口振りですが?」
背後にいるのは、銀髪をショートカットにして、黒いレザーの暗殺者装束に身を包んだ少女――リーズリット。
口元にまで巻かれた赤いマフラーで、声が微かにくぐもっている。
「それは信頼してるから」
「敵のアサシンを? ――信頼?」
「敵じゃないでしょ?」
「私が少し手を動かせば、あなたは死にます」
「うん」
頷かずに同意する。
この世界に来てからの私の命は、とても軽い。
「問いましょう。あなたは、人間を裏切って私達の側に付く覚悟があるのですか?」
心が、ふっと冷えた。
「今、なんて言った?」
自分の声なのに、自分の声ではないようだった。
リーズリットが、繰り返す。
「人間を裏切って私達の側に付く覚悟があるのか、と問いました」
「ふざけるな」
自分でも驚くほどの怒りが、私を飲み込んだ。
「私が人間を裏切ったんじゃない。人間が、人間を裏切ったんだ」
彼女を睨み付ける。
「他の世界から私を喚び出した。この世界に何の関係もない私をだ」
一語一語を刻み込むように、リーズリットへ言葉を叩き付けていく。
「許せるものか。――そうだな。『君達の側』に付こう。この世界の人間が、他の世界の人間を使うというなら、私はそれを許さない。そんなものを仲間とは思わない。だから、裏切りとは呼ばせない」
「それは、本心ですか? そうでないと判断すれば、この刃があなたの首を――」
彼女の言葉を聞き終わる前に、私は宣言した。
「私は、人間の敵になろう」
言葉にした瞬間、腹が据わった。
「これでいい?」
「……ひとまずは」
するりとナイフが引かれた。
「内々ではありますが、陛下との謁見の許可が下りました……」
彼女が頭を下げる。
「度重なる非礼をお詫びします……」
「いいよ。そういうお仕事でしょ」
馬の骨が、いきなり陛下――つまり国王へ会おうとすれば、相応の手順が必要なのも分かる。
「それで、いつ?」
「もうすぐです」
「え?」
コンコン、というノックの音が聞こえた。
次いで、食事時などで聞き慣れた、担当のメイドさんの声が聞こえる。
「陛下がいらっしゃいました……」