"病毒の王"の無茶振り
「マスター。戻りました」
「おかえり。……よく戻った」
日が落ちてから、ようやく戻ったリズを抱きしめて迎え入れる。
信じてはいても、不安なものは不安なのだ。
「はい。暗殺者の類はいないようですね。泳がされていないなら、ですが」
「リズに気付くだけならともかく、泳がせられるほどの相手がいたら、もっと有効な手を打てると思うよ。――報告を頼む」
彼女を解放すると、報告を聞くためのお仕事モードになる。
「敵軍は約二千。プラスマイナスで百。多分プラスでしょう。一部戦闘員以外もいるようなので、とりあえず二千と見立てておけば、間違いないはずです」
ハーケンの見立てはかなり正確だった事になる。
「後、五十ほどですが騎兵がいます。確証はないのですが、どうもペルテ帝国の軽騎兵ではないかと……」
「ペルテ帝国の? ちなみにそう思った理由は?」
「肌の色と、ヒゲですね」
「なるほど。そうだとしてどんな感じ?」
「馬上での弓の扱いに長けていると聞きます。が、攻城戦に向いた兵種ではないので、リストレアでは戦った経験がなく……詳細不明です。すみません」
「いや、いいよ」
騎兵か。
この世界では、騎兵の重要性は、前の世界よりも低い。
攻撃魔法と弓の射程が長大であり、馬の足の速さに、絶対的な優位がないからだ。
ここ四百年は、拠点防衛と攻略が重視された事もあり、守りの固さや、相手の迎撃ごと粉砕出来るような攻撃力が求められるのは、当然の流れ。
しかし足の速さは回避能力でもあるし、乗り手の練度次第だが、騎馬にも強化魔法を配分出来る手練れなら、間違いなく脅威だ。
「見張りは?」
「ローテーションは不明ですが、相応にいました。見張りは全て二人組ですし、念の入った三人組の巡回との組み合わせです。完全な奇襲は無理かと」
「まともな指揮官か……」
『敵地侵攻』と分かってる。
『支配地域の進行』と思って油断してくれれば、良かったが。
「指揮官の暗殺は?」
「できなくはないです。……ただ、周辺含め、割と手練れですね。やってはみせます。が、帰還の確率は八割ほどでしょうか」
「ならいい。選択肢から外す」
お金を賭けたギャンブルなら、してもいい確率だ。いや、むしろするべきですらあるかもしれない。
しかし、私が賭けているのは部下の命だ。
恋人という事を全部抜いても、彼女の――リーズリット・フィニスの命は、そんなに軽くない。
これから先の移動に、彼女の眼がなくなれば、どこでしなくていい戦闘に巻き込まれるか分からないし――敵の本隊と鉢合わせれば、その時点で詰む。
「レベッカ、ハーケン。どう? 四倍の数を相手にして」
「その前に聞きたい。リズ。魔法使いの姿は?」
「確認しただけで十名。全員指揮官付近です。実戦慣れしていそうですね」
レベッカの問いに、リズが答える。
ハーケンが問いを重ねた。
「その他の兵の練度を、お聞きしたい。リズ殿の私見で構わぬ」
「装備はまとも。腕も、多分精鋭と言って差し支えないです。我らの内の最も弱い騎士でも、一対一なら間違いなく勝てますが、二対一からは少しばかり運が混じり、三対一ではいい勝負でしょう」
敵は四倍。
敵が数の優位をどれだけ生かせるかは分からない。
しかし、たとえこちらの十倍だろうと容易く蹂躙し得た、ここまでの一般市民や雑兵共とは違うという事だ。
「ではレベッカ、ハーケン。改めて意見を聞かせてくれ」
「勝てる。だが、犠牲は分からん。……半数ほどか」
「魔法使いの腕前次第であるな。だが……サマルカンド殿が抑えられると仮定すれば、三割ほどの損耗で済むだろう。夜襲ならば多少は向こうが鈍るやもしれぬ」
「……三割……」
「我が力の全てをもって、援護致します。上位悪魔の誇り――いえ、"第六軍"序列第四位の誇りに懸けて」
「あの部隊は見過ごせません。犠牲を払おうとも潰さねばならないでしょう」
「だよねえ……アイティースは、何かある?」
「私? うーん……戦闘に参加してもいいけどよ……」
「それはダメ」
アイティースとリーフの、グリフォンライダーコンビは、重要な空からの眼だ。
機動力にも優れ、リタル様と同じく、決戦よりも後、事実上の最終防衛ラインを任せられるはずの、重要兵種。
「ん……馬をビビらせるぐらいなら、出来るかも」
「馬を?」
「馬は普通グリフォンを怖がるから。上空を飛んで、鳴き声を聞かせるだけでも効果ある……かもしれない」
「採用。お願い」
「分かった」
アイティースが頷く。
「序列持ち以外の発言も許す。提案がある者は挙手の後、前に出て発言せよ」
全員を見渡すが、挙手はなかった。
「奇策はない……か」
息をついた。
もっと時間があり、話し合いを続ければ、何か思いつくかもしれない。だが、敵も待ってはくれない。
覚悟を決める。
私は、"病毒の王"。
種族、人間。
目標、人類絶滅。
そして私が率いるのは、"第六軍"。リストレアの正規軍だ。
例外はない。
私は魔王軍の全てを使い潰してでも、守るべき物があると宣言したのだ。
例外は、ない。
「仕方ないな。――ハーケン、先陣を頼むぞ」
「うむ。任された」
ハーケンが軽く頷いて見せる。
「夜襲がいいと思う。細かい所は、レベッカとハーケンに任せるが、どうだ?」
「異論はない。私に指揮権を回してもらおうか。私とサマルカンドで魔法支援を行う。リズ。マスターと一緒にリーフに乗って飛んでいろ」
「え? 私も地上で……」
「夜襲だ。姿が見えんなら、お前を押し立てる意味も薄い。置いて行くのも不安だ」
抗議しようとしたが、正論で切り捨てられる。
「でも、こっちの士気にも影響が」
「こいつらの士気は、お前が空から見ていれば十分だ。リズ。上空から何かあれば指示をくれ。アイティース、弓と魔法には気を付けろよ。高度を取れ」
「はい」
「おう」
「……私は?」
「二人の言う事を聞いて大人しくしていろ。応援までは許可する」
明らかに最高指揮官の扱いじゃない……。
「分かったよ」
憮然としながらも、頷いた。
私の身を案じての発言という事ぐらい、分かる。
「……サマルカンド。出撃前に話したい。音の遮断、いいか」
「短時間の話し声程度なら、魔力消費に問題ありませぬ」
「よし」
こほん、と軽く咳払いをした。
日が落ちて、月明かりの下で、自ら青緑のオーラで薄く光る死霊騎士の群れを見やる。
「敵総数は約二千と推定される。こちらの四倍以上だ。しかし、ここで増援と補給など、絶対に許されない。よって、こちらから攻撃を仕掛ける」
拡声魔法を使い、けれど声を張り上げて叫ぶ事はせず、話し始めた。
「夜襲を行うが、向こうは見張りを立てている。今までほどの奇襲にはならないだろう」
楽な戦いにはならない。
そんな事は分かっている。
三割の犠牲が出ると聞いて、それでもそれを承知で攻撃命令を出す。
それは、部下の命を、敵兵の命と取り替える交換に頷いたという事だ。
私を信じるこいつらに「戦果と引き替えに死ね」と言ったのだ。
それでさえ、希望的観測かもしれない。
何の戦果も得られず、ただ敗北する可能性も、ゼロではない。
戦場に――この世界に、絶対はない。
「だが、あえて無茶を承知で言おう」
私は、ぐるりと見渡した。
「死ぬなよ。しかし敵は全て殺せ」
「相変わらず無茶を言う主殿だ」
ハーケンが、からからと顎骨を打ち鳴らして笑った。
「『あえて』『承知で』と言ったろう? それに残念ながら軍隊というやつは、上官が部下に無茶振りをする組織だ。精々命令を出来る立場になる事だな」
「それは難しいかと」
一名が進み出て、発言する。
「おや、何故だ?」
「我らは、"病毒の王"様の部下。――この立場を捨てる気には、中々なれませぬ」
「そうそう。無茶振りが癖になると申しますか」
「甘く厳しい上官を持って幸せです」
「……全く。馬鹿な事を言うやつらだ」
私は苦笑した。
「ならば、私の無茶を叶えてみせろ」
全員が無言のまま一斉に頷き、ぼうっ……と、不死生物特有の青緑のオーラが、一際強く輝いた。




