瞳の中の信頼
アイティースの駆るグリフォンに、私とリズが乗っている。
レベッカ達は地上を死霊騎士を率いて移動中だ。
「……ああ」
その光景を空から見た時、ため息のような声が漏れた。
分かっていた事なのに。
リタルサイド城塞では、リストレアという国を守れない。
あの城壁は堅牢だが、それでも完璧ではない。単純に物量で負け、魔法使いの数で負け、そうすれば、いかに魔力に勝る魔族と言えど、この土地を守り切れない。
だからこそ選んだ時間稼ぎと、北へ引きずり込むという戦術。
全てが、正しいはずだ。
けれど、正しい事は痛くない事を意味しない。
「リタルサイドが……綺麗なとこだったのによ……」
アイティースがぽつりと呟く。
ドラゴンの骸が、放置された死体の山の中で目立つ。非アンデッド化処理だけは徹底されているらしく、動く物は、風にはためく置き去りにされた旗だけだ。
石造りの城壁は中央が崩れ、なだらかで小さな瓦礫の山を作っていた。
城塞だけでなく、クリーム色の壁に、朱色の屋根が目立つリタルサイドの街も、ほとんどが燃え、崩れ、焦げて黒くなっている。
収穫は終えられたはずだが、畑にも火が放たれのか、飛び火したのか。金の野原と謳われた穀倉地帯もまた、全て炭に成り果てていた。
半ば崩れ、羽根の破れた風車が、からからと回るのが物悲しい。
「避難が完了しているといいのですが……アイティース、敵影は?」
「動くもん自体ねえよ」
「そうですか……では少し先で、追いついてくるのを待ちましょう。ここからは――『敵地』です」
「あいよ」
街道から少し離れた、踏みしだかれ『ある程度安全と思われる』草地へ下りる。
どこに罠が仕掛けられているか分かったものではない。
一応、残された地雷に苦しむ地域の事も知っているので、なるべく街道や家屋、野営に向いた場所など、ピンポイントに仕掛け、出来る限り記録を取るようにとも言ってはおいたが。
「周辺の安全を確認してきます。アイティース。いざとなれば、私を残して飛びなさい」
「え、でも」
「私一人なら、なんとでもなる。自己犠牲とかそういうつもりは毛頭ありません。いいですね?」
「――分かった」
リズが騎乗帯を外し、軽やかに飛び降りる。
「リズ。バーゲスト、連れてって」
「はい」
ローブの陰から一匹を振り落とし、リズについて行かせる。
罠をチェックするために、円を描きながら離れていくリズの姿を、見るともなしに見ていると、アイティースが口を開いた。
「……あのさ」
「なに? アイティース」
「お前は、悪くねえよ」
息を呑む。
彼女は言葉を見つけられない私に、周辺を警戒しながら言葉を続ける。
「私達は、この国で生まれた。魔王陛下がこの国を作って、ご先祖様があの壁を築いて。――私もエイティースも、物心ついた時から、魔王軍に入るんだって、思ってた」
「……辛くは、ない?」
「全然。私達にとっては『そういうもん』だ。獣人に生まれて、あの人達の背中を見て。戦士になりたいって思うのが普通だ。……エイティースは暗殺者になったし、私も魔獣師団のグリフォンライダーになったから、子供んとき思い描いてたような、分かりやすい『誇り高き獣人軍の戦士』とはちょっと違ったけど」
「ラトゥースみたいな?」
「そうだな。ラトゥース様みたいなのが、一番かっこいい。でも……カトラル様に言われたんだ。『ラトゥースはグリフォンに乗れません』ってな」
「グリフォンライダーは……誰でもなれるってわけじゃないよね」
「ああ。私達は、それぞれの役割を果たす。私はお前みたいに大局は見れないし、リズみたいな隠密技術もない。レベッカやサマルカンドみたいに魔法も使えない。ハーケンみたいな剣の腕も、ない」
自分と他人は、違う。
自分より優れた人が沢山いる。
でも――
「でも、私にはリーフがいる。"第三軍"のグリフォンライダーとして飛ぶ。空からの眼になって、何人か運んで……それでいい」
「もちろん。アイティースがいなかったら、こんなに早く移動出来なかった」
「ありがとよ。そう言ってくれると、来た甲斐があるってもんだ」
アイティースが満足げに頷く。
そして表情が一転して、陰りが出た。
「……私、お前に剣を向けたな」
「……うん」
思い出すのは、憎しみに燃えた、緑の瞳。
双子の弟をなくした彼女には、私を憎むだけの理由があった。
緑の瞳が、私をまっすぐに見つめる。
「悪かった」
「……え」
「――お前が、部下をどう思ってるかなんて、知らなかった。……知ろうとも思わなかった。ごめん」
「え、いや……私が……指揮官として、もっと……」
「エイティースは、命令に従った。……私達獣人は、本当に信じられなかったら、転属も、従軍も、蹴っ飛ばすよ」
「っ……」
私は思わず口元を押さえた。
けれど、押さえるべきは、目元だったかもしれない。
じわりと涙が滲ませた私に、アイティースが慌てた。
「えっ、うわっ、どうした!?」
「だって……沢山死なせて……ここまで、来て……」
声が震えた。
私が『殺した』のは、敵だけじゃない。
私の命令がなければ死ななくてよかった味方が、沢山いる。
それは歴史から見れば、ほんの一握りだったかもしれない。
それは私の命令で死んだ人間の数に比べれば、どうでもいいような数だったかもしれない。
けれど、私を信じた人が、死んだのだ。
「……あー、もう。お前よくそんなんで"病毒の王"とかやってられるよなあ」
アイティースが騎乗帯を少し緩め、手を伸ばして私の頭をぐいっと引き寄せた。
「私達はみんな死ぬ。その覚悟は出来てる。その上でみんな――お前を信じてる」
「私、自分が死ぬ覚悟しかないよ……」
自分が死ぬかもしれない事は、受け入れた。
けれどそれと、親しい人が死ぬ事は、また別の話。
「上等だ。みんな、そんなもんだろ。他人に勝手にその覚悟されても、困るし」
それはそうかも。
「ほら、元気出せ」
アイティースが、わしゃわしゃと私の頭を撫でる。
ふと、ラトゥースを思い出した。
彼の方が力が強かったし、遠慮もなかったが。
込められた、気持ちは。
「……うん」
獣人の人達はホットだなあ。
アイティースが、私が頷いたのを確認し、最後に軽くぽん、と頭を叩いた。
そして、にっ、と犬歯をちょっと見せて笑う。
「泣かせたの、リズには内緒な?」
「……いや、聞こえてますよ」
足下から声がして、見ると、リズがリーフの後ろ足に軽く背中を預けていた。
「え、リズ? いつの間にお前そんな。さっきまで向こうにいたろ」
「戻る時は罠チェック終わってるんだから、行きより早いに決まってるでしょう。大体、最大限に警戒してる暗殺者の耳に届かないと思ってたんですか?」
正論だ。
リズが、するりとリーフの後ろ足を伝って、グリフォン上の人になる。
鞍に座り、騎乗帯は留めないまま、私に手を伸ばした。
「え、な、なに!?」
リズにわしゃわしゃと勢いよく撫でられるのは新感覚すぎて、面食らった。
「私達はみんな死にます。覚悟は、出来てます」
アイティースが言った事を、彼女なりに繰り返すリズ。
そして一転、優しい手つきで、ぐしゃっとした髪を整えてくれた。
「でも、ただ死ぬつもりなんてありません。諦める事もしない。……そして今、リストレア魔王国に属する者がそんな風に思えるのは……"病毒の王"がいるからなんですよ」
「……私?」
「勝つ可能性を、示してくれた。私達がずっと負けたままでいなくていいって、教えてくれた。……あなたは、私達の誇りですよ、マスター」
私は、サマルカンド以外には褒められ慣れていないので、リズのまっすぐな言葉に黙り込んだ。
そして何故か、さっき髪を整えてくれたのに、またわしゃわしゃと頭を撫でて、私の髪を乱すリズ。
「……今度のは、なに?」
「やってみたくなっただけです」
戸惑う私に、リズが言い切った。
そしてまた私の頭をわしゃわしゃする。
「……あの、もしかして気に入った、とか?」
「ええ、割と」
頷くリズの表情はクールだが、言葉通りちょっと楽しそうにしているので、私は大人しく撫でられる事にした。
……なんとなく、撫でられて尻尾を振るバーゲストの気持ちが、分かったような気がする。




