エルフのいた森
「……思ったより変わっていない、な」
レベッカが呟いた。
"第六軍"序列第一位の私から、序列第五位のハーケンまでの五人が固まって歩いている。アイティースはリーフの世話があり、またいざという時の連絡用にと砦に残った。
私は、レベッカの隣だ。
足下は、森の中だというのに歩きやすかった。
「大分苔むしてるけど……石畳?」
「オルドレガリアの大道だ。エルフは森の中で暮らしていたが、生活の全てを森の中で完結させていたわけじゃない。人間達と、交易もしていた。……良き隣人だと、思っていた」
語られて浮かび上がってくるのは、平和的な営みを続けてきた、森の中の小国の姿だ。
足下の石畳も、一面に苔むし、所々は木の根の侵食で割れてはいるが、しっかりと手を掛けて作られていたのだろう。道幅の広さにも助けられ、森の侵食に長い年月を耐えていた。
私の勝手なイメージかもしれないが、長命種は、仕事が丁寧だ。
長い間使う事を前提にしているからではないか、と思っている。
まもなく道が終わる。道の両脇の木が思いきり枝を伸ばして、薄暗くなっている大道の向こうは、暗い洞窟を抜ける時のような明るさだった。
レベッカが立ち止まった。私達も彼女に合わせて止まる。
小さな手が、私の深緑のローブの裾を、そっと握った。
「……レベッカ?」
「すまない。すこしだけ……こうして……」
私は無言で彼女の手を取って、ローブから離させる。
「あっ……」
そして、繋ぎ直した。
「……マスター?」
「行こう、レベッカ。私が――私達がついてるから」
レベッカと一緒に皆を見ると、リズ、サマルカンド、ハーケンが、それぞれしっかりと頷いた。
「――ああ」
レベッカが、幼さを振り捨てるように、頷いた。
おどおどとした雰囲気が消え、少し背筋が伸ばされただけなのに、一回り大きく見える。
深紅の瞳に鋭い眼光が宿り、副産物としてちょっと目つきが悪くなるが、それはそれで好き。
彼女は元"第四軍"、序列第七位。現"第六軍"、序列第三位。
彼女は、幼くして全てを――国も、家族も、自分の命さえ奪われた、亡国のお姫様だった。
そして、そのままでは、いなかった。
お姫様のままでは、いなかった。
"蘇りし皇女"、"歩く軍隊"、"戦場の鬼火"……彼女が、手に入れた名前だ。
私の"病毒の王"と同じ、いや、もしかしたらそれ以上に価値のある、二つ名の数々。
リタルサイド城塞で、彼女の名は誇りをもって語られ、彼女に外道な真似をさせた私は、実に熱く罵られた。
リベリット村に代表されるような、リストレアの中でも特に厳しい環境の北部の魔獣種と戦い、生活圏を切り開いた功績を、まだ土地の者は忘れていない。
彼女が開発した術式は多岐に渡り、最近では小型レンズによる視力補助装置……『コンタクトレンズ』などが採用されている。
後、お姫様然とした銀の小冠と黒くてゴシックな衣装が実によく似合うし、眼鏡姿が可愛いし、子猫の世話も出来る。
それが、『レベッカ・スタグネット』。今では私の部下を務めるベテラン死霊術師の名前だ。
彼女は繋いだ手に力を込め、むしろ私を引っ張るように進んだ。
――何も遮る物のない、明るい草原が広がる。
そこには、拍子抜けするぐらい、何もなかった。
崩れ残った壁や、家の基礎が、所々に残る。
恐らくは道だった部分に石畳が敷かれていて、それが、かつてエルフが住んでいたこの土地を、森に飲み込ませなかった。
レベッカが私の手を離し、辺りをゆっくりと見て回る。
「この道を行くと……城に……出るんだ……」
そんなものはない。
城と呼べるような建物は、どこにもない。
もう……彼女がお姫様として生まれ育った、オルドレガリアの王城はない。
かつての戦禍か、時の流れか、その両方か――それらが、彼女の思い出に未だ残る城を、現実から完全に奪い去った。
城に使われるような上質な石だ。建材として持ち去られたのかもしれない。
追憶の中を歩いているような、ふわふわとした足取りで、周辺を見て回っていた彼女が、足を止めた。
「……塚……?」
レベッカが、呟く。
それは、確かに石塚に見えた。
秋の花が咲く人の手の入らない花畑の中、周囲の崩れ残った石壁とは明らかに異質な、細長い巨石。
日本の各地にも残る、慰霊碑のように見えた。
碑だとして、岩そのものに文字は刻まれておらず、来歴を記したプレートのような物も周囲にない。
「こんなもので……」
レベッカの声に、生々しい憎しみと……虚しさに似た乾いた響きが混じる。
「こんなっ……石ころ一つで――」
レベッカが、顔を背けた。
私は、そっと彼女の隣に立ち、肩に手を置いて、軽く引き寄せる。
レベッカは抗わず、私の薄い胸に顔を埋めた。
「うっ……っ……」
歯を食い縛って、私のローブをギリ……と、強く握りしめる。
涙は流れない。稀少種である物質幽霊という不死生物である彼女の身体にそんな『機能』が備わっているのかさえ、私には分からない。
ただ彼女は怒りを嗚咽と共に噛み殺して、その代わりに私のローブを強く強く、指の関節が白く浮かび上がるほどに、その小さな拳の内に握りしめた。
私は、何も言わなかった。
何も、言えなかった。
ただ、それでも、彼女のために何かしたくて、彼女の小刻みに震える背に回した手を外す事はしないでいた。
視界に入る塚を見る。
こんなもので。
こんな石ころ一つで。
誰が置いたのかは、知らない。
ほんの少し罪悪感を紛らわせるために侵略した者が置いたか、本当に住人を悼んだ一般の人達の手によって置かれたのかは、分からない。
けれどそれは、ここで全てを失った少女の、慰めにはならなかった。
温暖な気候。豊かな森。草の匂いを含んだ風は優しく頬を撫で、木漏れ日は柔らかで、こんな土地に住めれば、それは幸せだろう。
けれどここで、一つの種が、滅びた。
人間に、滅ぼされた。




