枕が変わると寝られないタイプが遠征中に安眠する方法
王国の時も、帝国の時も、城の中でも最も最奥に位置する王族や皇帝の居住区は、その成り立ち上堅牢を極め、籠城に使われた。
とはいえ、魔法使いなしで、魔法使いありの相手に対する籠城など成功するはずもなく。結局は追い詰められ散っていったわけだが、その副産物として、最も豪華な地区が最も凄惨な戦場となったのだ。
しかし神聖王国の人達は信仰心が篤く、宗教施設であり、全くもって防衛能力のない大聖堂を籠城場所に選んだ。
信仰が力を持つのは、それを心の支えに、自らを救うべく努力した時だけ。
祈れば助けてくれる仕事熱心で心優しい神様は、この世界においても、私の世界においても、未だ観測されていない。
ついでに、私がいきなり血を吐いて死んだりしていないという事は、憎しみでも人は殺せないのだろう。
今日の『負傷』も、敵軍によるものではないし。
ベッドに腰掛けて、手を差し出し、大人しく治療を待つ。
「手、見せろ。リズ、軟膏と包帯の準備頼む」
「はい」
レベッカの小さな手が傷に触れると、痛みで顔が思わず引きつる。
「痛いか?」
「割と」
噛み跡周辺はもちろんだが、口の中に含まれていた部分全体が、低温火傷をした時に似て、じんじんと痛む。
「そうか、我慢しろ」
歯医者で手を上げても止めてくれないやつだ。
リズが持ってきた軟膏が塗り込まれ、白く淡い回復魔法の光が手に染みこんで、少しだけ痛みが引く。
「リズ。包帯、任せる。巻いてやれ」
「はい」
リズは包帯を巻く手際がいい。それは、以前包帯を交換してもらう時にも実感している。
今回は肩から胴体にかけてではなく、手だけなので、早いものだ。
「はい、出来ました。少し動かしてみて下さい」
「うん」
ゆっくりとぐっぱ、とする。
痛いが、手に心臓が出来たのかと思うほどの、ずきずきとした継続的な痛みが、大分軽くなっていた。
「ありがとね」
「いいえ。……でもほんと、自分を大切にして下さい」
「善処します」
「……それ、確か意味通りじゃないやつですよね」
リズがジト目になる……が、ため息をついて、それ以上は追及しなかった。
ちなみに私の故郷の言葉で『やってはみるけど期待しないで下さい』か、もっとダイレクトに『多分無理なので諦めて下さい』を意味する。
私は今、前者の意味で使った。一応、努力する意志はあるので。
「あー疲れた! みんなもお疲れ!」
賑やかな挨拶が聞こえ、やってきたのはアイティースだった。
彼女は"第六軍"の死霊騎士達と、割と仲がいい。この任務で、メンバーの仲が悪いとかなり辛そうなので、ありがたい事だ。
彼女は、手に持った荷物を床にそっと置くと、飛行服の胸元を緩め、しゅるりと白いスカーフを首元から抜いた。
「私も寝ていいのか? ここ」
「もちろん」
「よっしゃ」
荷物を置いた時の繊細さは全くなく、ブーツを脱ぐと、ベッドに自分の身体を投げ出した。
「うわっ……ふっかふかだなおい」
掛け布団に潜り込んで、沢山あるクッションを枕にして、顔を埋めたアイティースの頬が緩む。
「私達も寝よっか?」
「そうですね」
それぞれ靴を脱いでベッドに上がる。
バーゲスト達はベッド下の絨毯の上にごろりと転がった。
私は護符を外し、帯をほどき、深緑のローブを脱いで軽く畳んで枕元に置いて寝る恰好になると、同じく上着を脱いで薄着になった隣のリズににじり寄った。
「リズ、一緒に寝よー」
「いやまあ、一緒に寝ますけど……どうしたんです?」
「私、枕が変わると眠れないタイプだから」
「遠征中でも、ぐーすか寝てますよね?」
「だから、枕変わってないよ」
「だから、遠征中ですよ?」
「リズ抱き枕があればどこでも安眠出来る自信がある」
「……あ、はい」
「今日は……特に疲れた……」
陰惨なのも、仲間が死ぬのも――もう、いつもの事。
それでも平気ではないし、ついでに救急救命時に噛まれるのは初。
「……ゆっくり休んで下さい」
「ん……」
包帯を巻いた手に気を付けて、彼女を抱きしめると、抱きしめ返された。
「寝たら、離していいから……」
「……離しませんよ、マスター」
リズの手に、髪が撫でられる。
その一回ごとに、眠気が湧き上がってくるようで、すぐに意識に霞が掛かったようになる。
触れている所から伝わってくる彼女のぬくもりに身体が温められ、感じていた冷えがじんわりと薄れていく。
宣言通り、多分一生に一度しか使わないだろうベッドでも、いつものように眠りに落ちた。
「そうしてると、子供みたいだよな」
アイティースが両肘を突いて上半身を起こして、すぐに寝息を立て始めた黒髪の女性――外見に似つかわしくない、"病毒の王"といういかめしい名前を名乗る彼女を見た。
「まあな。……どんな夢を、見てるんだか」
レベッカが、自分達の主にはまず見せない柔らかさで微笑んだ。
"病毒の王"が、この中では一番若い。
けれど、外見年齢で言えば彼女が一番年上に見える。
それでも、バーゲストと遊んでいる時や、今のように眠っている時などは、外見に似合わない幼さが垣間見える。
「私達……夢に出てきますかね?」
リズが腕の中にいる主を見ながら、呟いた。
レベッカが応える。
「リズは、一緒にいそうだがな」
「ふふ……多分、私の方がもう、マスターがいないのを、想像もしたくないんでしょうね」
黒い髪を撫でると、寝ていても分かるのか、口元がにへ、と緩められた。
魔王軍最高幹部として振る舞う時の威厳も、重く冷たい声色も、この顔を見ただけの者には想像も出来ないだろう。
「そう……なのか? こいつの方が、リズの事大好きなんだと思ってたけど」
アイティースが、小首を傾げる。
「それはそうですよ。でも、私だって同じぐらいこのひとの事が好きなんですよ」
「……お、おう」
ストレートな言葉に、アイティースが、照れて頬を赤くして頷く。
「……はっきり言うな」
レベッカも意外そうにした。
「起きてる時には、中々そこまで言えませんけど。……絶対調子に乗りますし」
「ああー、分かる気がする」
「なるほどな」
二人揃って、深く頷く。
「……でも私も、もうこいつがいない世界を、想像もしたくないよ」
「レベッカも?」
「おおー、告白か?」
「いや、それは違う。……仕事の、話だ」
レベッカの口調が真面目になるのと同時に、空気が引き締まる。
「――歴史を振り返ると、前の損害を忘れた頃に、リタルサイド攻略戦が行われてきた。こいつが一役買った、"ガナルカン砦攻略戦"があったように、兆候はあった。向こうに余裕が出てきて、その余裕が人間同士の戦いに向けられないなら――いつ『根本的な解決』に動き出したか、分からない。すぐではなくとも、いずれ……」
解決の糸口が見えない以上、いずれどこかで、戦争の火種は本格的に再燃しただろう。
「想像出来るか? ……いや、出来るな。想像したいか? と、言い直そう。敵の側には、ドラゴンナイトと、"福音騎士団"と、帝国近衛兵が健在で、食料に余裕があって……私達の側には黒妖犬と、四十近い追加のドラゴンがいない、そんな戦場を……」
沈黙が落ちた。
それは、悪夢だ。
それらだけを相手にするなら、勝てるだろう。
しかしそれらは最精鋭ではあっても、あくまで戦力の一部にすぎない。
それだけの、絶対的な国力差。
それを覆すための『魔法』が、必要とされた。
作戦の詳細を――血も涙もない非道さと、それに似合わぬ細やかな心遣いで実現されている内幕を知っているだけに、"第六軍"の者達は"病毒の王"を信頼はしていても、幻想を抱いてはいない。
しかし、それを知らぬ者からすれば、まさしく魔法だ。
「"第六軍"の騎士達も……な。数を減らしてきてるが、質は上がっている。……何万と喰っているのだから、当然だが」
本来数百年掛けて行うような――そんな強化を、一気に。
日々の消耗と相殺されて、そこまで辿り着ける者はごく僅かである、英雄の領域へまとまった数が達し……全員が、その中でも優れた戦士になりつつある。
「私も魔法で援護はした。しかし、神聖騎士……いや、神聖王国相手に、不死生物主体の軍が勝利するなど……"第四軍"にいた頃の私が聞けば、情報の精度をもっと上げろと言ったぞ」
「まあそうですよね」
「相手、神聖王国だもんなあ」
「まだ何を抱えてるか……分からんがな。故郷の事を話す時は寂しそうにするし、最近は……ふさぎ込む事も多くなった」
「部下が死んでるんだ。当然だろ。……ラトゥース様も、そんな時はおんなじ顔してたよ。でも、勝利を祝う時は笑うんだ。大口を開けて、歯を剥いて、生き残った全員に『勝ったんだ』って思わせてくれるために……」
アイティースの言葉に、リズが頷いた。
「腐っても最高幹部って事ですね」
「……なあリズ。お前、こいつの恋人なんだよな?」
「ええ。だからこそ、駄目な所も知ってるんですよ」
「説得力はあるけどよ」
「あるなあ」
「ただ、悪く言っていいのは……私達だけです」
「説得力あるわー」
「全くだ」




