聖都陥落
もしも、私が国家の在り方を考えて、一つ魔法の属性を選ぶとしたら。
それは神聖魔法……光属性を選ぶのではないだろうか。
癒やしの力を持つ魔法には光属性が多く、それと付き合っていかなくてはいけない災害じみた現象――死者のアンデッド化に最も有効な対処手段となる。
日常生活用魔法とは、属性に特化させず、なるべく大多数が無理なく使えるまでに薄めた魔法の総称だが、"浄化"も"保護"も、分類するならば光属性だ。
そして、もしも国家の存続と民の幸福の追求を目的とし、宗教を指針とする事を決めたなら。
私だって、そんな宗教を作るかもしれないという宗教が、エトランタル神聖王国の国教だった。
色々、都合がいい。
窃盗や姦淫を咎め、清貧を美徳とし、祈りにより連帯感を高め、レベッカによると、聖典を読む事は魔法の初等教育に相当するとさえ言えるそうだ。
このレベルの魔法を使える人がいたら世界が平和かもなあ、というレベルの神聖まほ……いや、『神の奇跡』、『信仰の恩寵』がちょいちょい出てくる。
確かにこれを幼少期に読み聞かせされれば、祈れば神が応えてくれる……強く願えばどんな奇跡も叶うと思っても、それほど違和感がない。
神聖王国は他の二国に比べ日常生活用魔法の普及率が高い。
ちなみに帝国は、神聖王国並に"浄化"の普及率が高めだそうだが……これは、さらさらとどこにでも入り込む、細かな砂に悩まされた結果なのではと。
普及率の高い日常生活用魔法の力もあり、聖都は美しく保たれて……いた。
遠目でも太陽の光を浴びて輝くような純白の都は、住んでいる人にとってはちょっと目がちかちかしそうだけど、この世に神の恩寵があると信じさせる程度には美しかった。
それも過去形で語られるべきだが。
労力に釣り合わないので、破壊を目的としていない。しかし、ぶちまけられた血と、頑強な抵抗を時に攻撃魔法まで使用して排除し続けた結果、美しい町並みは、見る影もなかった。
「サマルカンド。今までと同じように、この光景を再生出来るようにしておけ」
「御意」
唯一、中央教会の大聖堂のみ、完全に破壊した。
今となっては貴重品の薪も油も(略奪品を)贅沢に使い、家具も薪代わりに積み上げ、サマルカンドの攻撃魔法にて着火。
のたくる蛇のように暴れる炎が、聖都の中でも一際白く美しく輝く大聖堂を、そこで倒れた殉教者達ごと飲み込み、灰燼に帰す。
不思議と目が離せない……そう、どこか胸を打つ、美しい光景だった。
石積みが崩れ、割れ残ったステンドグラスが巻き込まれて割れる音は、荘厳とさえ思えるほど。
それは、この世界の一端が壊れていくような象徴的な光景だった。
この大聖堂に縁もゆかりもなく、この宗教を信じてもいない私でさえそうなのだから、神聖王国の民と、信徒も多い王国の民にとっては、絶対の理が揺らぐほどに感じられるだろう。
聖都は陥落した。
最終的には敵が打って出たため、城壁外で戦闘を行うプランBが採用されたが、プランAの方も問題なく機能した。
"病毒の王"を含む、約三百の死霊騎士を囮にして正門に戦力を集中させ、レベッカ率いる、やはり約三百の死霊騎士達と、同じく三百ほどのバーゲスト達によって裏門を突破する作戦だ。
結果的には、グリフォンで降下したリズと数人の死霊暗殺者によって城門が開けられ、残りがなだれ込んで決着したという。
城塞都市は守りが固いが、それゆえに……逃げる場所がなかった。
さらに何故か、王城ではなく大聖堂が最終的な籠城拠点に選ばれ……敵国ながら無傷で残す事を検討したくなるほど美しいステンドグラスが多数はまっているせいで、窓という名の突入箇所が多すぎる宗教建築は、全くもって防衛拠点には向いていなかった。
生者は、数えるほど。それも私を含む、リストレアの者だけだ。
犠牲は出ているが、主戦力が完全に不在という事を差し引いても、一国の首都を強引に攻め落とした割には少ない。
リズとレベッカも無事だ。
私は一足先に制圧が終わった王城へと入り、合流したリズと死霊騎士数人と共に中を見て回っていた。
人の気配はないが、バーゲストと死霊騎士の一団が先行している。
「正門が開いてたから、驚きましたよ」
「それが色々あってねえ。向こうから門開けて攻めてきたんだけど……」
「なんですって?」
眉を寄せて顔をしかめるリズ。
そして、私が言い直さない事を確認すると、目を閉じて頭を振った。
「……戦場では何が起きるか分かりませんね」
結局何が起きたのかはよく分かっていない。
その疑問のためだけに生かして尋問するほどではなく、結果的に迷宮入りだ。
「多分、私を……"病毒の王"を見たからだとは思うんだけど……」
「まあ、"病毒の王"ですからね。特に神聖王国の人間にとっては、一番許せない相手だから仕方ありません」
「私、悪魔でも不死生物でもないんだけどねえ」
神聖王国が奉じる宗教の教義的には、人間を至上とし、悪魔と不死生物を不浄なる存在として、神の敵としている。
実は聖典ではエルフやダークエルフ、獣人やドラゴンに触れていないので、聖典と教義が作られた時点では、あくまでも自然発生ゆえに予測しがたいデーモンとアンデッドの二種のみを『人類』の敵としていた節がある。
ドラゴンは例外としても、子供を成せるほどに近しい種であるエルフ組と獣人を取り込んでいれば、大陸の勢力図はまた変わっていたかもしれない。
「デーモンより頭おかしくて、アンデッドよりしぶといですからね。無理もありません」
「その謎の評価なに? 私は実に人間らしい人間だよ」
リズが「どの口で言うんですか」とでも言いたげなジト目になる。
直接言わないのはこれでも遠慮しているような気もするが、そこまで目は口ほどに物を言っていては、意味がないような気もするのだがどうか。
ほぼ中心に位置する区画になると、若干豪華さが上がった。
それまで口を挟まずに周囲を固めていた死霊騎士達の一人が口を開く。
「我らが主。ここらが王族の居住区らしい。本日はここで休まれてはいかがか」
「ええー、私王様じゃないんだけど?」
「おや? 病と毒の王を名乗られているはずであるが」
「正直、賑やかしっていうか」
「なあに、我らが主の非道さも慈悲深さも、共に王を名乗るに値するものであるので問題はなかろう」
「その二つを同列に語られると喜んでいいのか分からないよ」
からからと、付き従う死霊騎士達の間で一斉に笑いに花が咲く。
まあ、私が王を名乗るに値するとは冗談としても。
部屋の中央に鎮座する天蓋つきベッドはさすが神聖王国の王族愛用の品だ。私のベッドも地球でいうキングサイズだが、これは……ゴッドサイズ?
詰めれば十人は並んで眠れそうなベッドに、高い天蓋。豪奢な深紅のビロード。天蓋のフレームが鈍い金色に輝いているのは、そのまんま金で出来ているからな気がする。さらに複雑に絡み合う蔦の紋様が彫り込まれ、隠れるように止まっている鳥の彫刻が施されているのを見つけて、職人の遊び心にほっこりした。
ここがホテルでスイートルームなら、一泊百万円とかしそうな部屋だった。
リズが歩き回り、たまに壁を叩いたりしている。
セキュリティに納得がいったようで、頷いた。
「さすがに頑丈ですね。ほぼ中央に位置して攻撃魔法も届きませんし、抜け穴もなさそうです」
「いざという時の脱出路と自爆装置は欲しいな」
なお、"病毒の王"の屋敷にそんなものはない。
「自爆……? なんでそんなもの」
「攻めてきた奴らを巻き添えに、全部まとめて吹き飛ばすの。出来れば自分達は脱出して」
「マスターの想像してる自爆装置がどんなものか知りませんが、いざという時にまとめて吹き飛ばせるようなものは、事故が怖いですね。"火球"トラップの上で寝たいですか?」
「うわ怖い」
「何を気の抜ける会話をしてるんだ」
呆れ声が聞こえ、廊下から姿を現したのはレベッカだ。
「――市街制圧、完了した」
「レベッカ。お疲れ。報告を頼む」
「基本は班を分け、区画を割り当ててしらみつぶしだ。黒妖犬と不死生物の嗅覚を掻い潜れる生者はいないだろう。巡回は継続中だし、一応外壁にも兵を配備している。ないと思うが、近隣勢力が聖都奪還に来ても問題ない」
「……そう」
この街に最早人間は私一人という事だろう。
「ところで、なんかうちの騎士の間で、お前の人気がまた上がってるんだが、何をした?」
レベッカの言葉に首を捻る。
「特別な事は何も。一人危なかったから魔力供給はしたけど」
「それは聞いてるが……手を怪我したそうだが?」
「うん」
「怪我したんですか? どうして?」
「それが、怪我した状況を聞いてないんだ。詳しくは教えてくれなくてな」
「……何をしたんです」
リズが私をじろりと睨む。
「魔力供給しただけだよ」
さらにリズが、私に付き従う死霊騎士達を見やると、彼らはつい、と一糸乱れぬ動きで目をそらした。
「……とりあえず傷を見せろ」
レベッカに言われるままに、手袋を脱いだ手を差し出す。
「ん……? 歯形? ――おい。まさか、骸骨の口に素手を突っ込んだのかお前」
レベッカの眉がしかめられ、声のトーンが一段低くなる。
「不死生物に対する魔力供給の手順は……覚えているのだろうな? ――手と手の接触が基本だ。体内に取り込んでの吸収は、捕食時の物だぞ。それに顎の噛む力も加われば……チッ」
レベッカが舌打ちする。
私に文句を言う時でさえ礼儀正しく理路整然としている彼女が、舌打ちするのを見たのは初めてだ。
「防御魔法ありでこれか……お前ら。知らなかったとは言わせん。どうして止めなかった?」
レベッカの声から、温度が消える。
深紅の瞳が細められ、冷たい目と声で問い詰められた死霊騎士達は、沈黙した。
「レベッカ。彼らは制止したが、私が無視した。それだけだ。彼らを責めるな」
「……私の治癒魔法はあくまで応急手当程度で、軽い傷しか治せない。医薬品も貴重だ。お前やリズが重傷を負った場合、対処法が限られる。――それだけは、覚えておけ」
「うん。リズ、気を付けてね」
「……助かった者がいるなら、マスターの選択は正しかったのでしょう。けれど私達はあなたのために体を張るのが仕事です。それだけは、お忘れなきよう」
「忘れた事なんてないよ。……ただ、私のために体を張った者のために、必要なら私も体を張る。――それだけは、譲れない」
常に、ではない。
前線指揮……というより、囮役が精一杯で、最前線に立つわけでもない。
今日、私の手が剣を握って人を殺したわけではないし、私が斬られて死んだわけでもない。
私には私の役割がある。
……ただ、私を信じた部下の一人が死の淵にあり、可能性があるなら……私は、何度でもこうする。
「……身内に甘いやつめ」
レベッカが息をつく。
「だが、けじめはつけねばな。――お前達。今日は罰として、寝ずの番を命じる。この居住区周辺を固めておけ」
「「「はっ」」」
かちりとブーツの踵が打ち合わされ、護衛の死霊騎士達が直立不動で唱和する。
護衛を任され、護衛対象を自己判断の結果身の危険に晒したなら……彼女が『罰』を命じるのは、軍規に照らし合わせて、なんらおかしい所はない。
彼女の言う通り、けじめは必要だ。特に、軍隊においては。
しかし。
「ねえレベッカ。みんな不死生物だから、寝ずの番が基本だよね?」
「気付いてても黙っとけよそこは」
やっぱり形式上の罰だった。




