穢された神聖
「……ん? 城壁から兵が……消えた? よね?」
「はい」
「うむ」
サマルカンドとハーケンが、私の疑問を肯定する。
私は仮面まで着用した"病毒の王"の正装で、囮役を務めている……のだけど……。
「見破られたか?」
「いや。全てを引き上げる道理はございませぬ」
「だよな。ここに半分はいるんだし」
「誰か倒れたようにも見えたが……」
ハーケンが、かこり、と首の骨を曲げ、顎に手を当てる。
「倒れた? まさか指揮官でも倒れたか? それで混乱したとか」
「遠征に耐えられぬ老兵が中心に見えた。経験はあるゆえに、そこまで練度が低いとも見えなんだが……」
予測をぶつけ合うが、敵側の事情が分からない以上、憶測にしかならない。
「我が主。――城門が開きます」
「え、嘘だろ」
「我が主に嘘をつく舌を持ち合わせておりません」
「ごめん。思わず信じられずに言っただけだから」
サマルカンドの言葉は正しい。
城門が引き上げられていき、何やら「火を灯せ!」という言葉と共に、わらわらと敵軍が現れる。
火布槍――槍の先端に油を染みこませた布を巻き、それに火を着けた武装がメインのようだ。
シンプルな回答ゆえに、他国にも採用されている対不死生物武装。
「プランBか……」
今回は、プランAとBがある。
プランAはさっきまでの。プランBが、相手が私を見て打って出てきた場合だ。
いくら相手が"病毒の王"で、神聖な旗を燃やすという挑発をされても、城壁を使った防衛側というアドバンテージを放り捨てるわけがない……と……思ってたんだけど……。
「"病毒の王"を殺せ!」
「……私が思ってるより、"病毒の王"って恨まれてるんだなあ……」
小声。
いや、恨まれているのは当然だし、肌身で感じる事も多かったけど。
拠点防衛側が城壁を捨て、城門を開け、まっしぐらに走り寄ってくるほどだとは、思っていなかった。
「主殿、下がられよ」
「馬鹿を言うなハーケン。私の持ち場はここだ」
囮役は必要だ。
精々、『魔王軍最高幹部』を目指して突っ込んで来てもらわねば。
相手が城壁を捨てた好機を、みすみす見逃すわけにはいかない。
「お命の危険がある」
雄叫びと足音が地鳴りのように腹に響く。
見えないと知りつつ、いや、だからこそ私は仮面の奥で頬肉を歪ませ、歯を剥き出しにして笑った。
「どこだってあるさ。しかし、お前達とここで死ぬなら――それも、悪くない」
「致し方ないか。十二人……お前から、お前までだ。サマルカンド殿と、我らが主の護衛を務めよ」
それ以上の押し問答は無駄だと判断したハーケンが、指さして指名し、敵軍へ向き直る。
視線を敵軍へ据えたまま、彼は背中で語った。
「我らも同じ気持ちだ。主殿と果てるならば、どんな戦場も、そう……悪くない。ただ、我らの中で死ぬのは、あなたが最後であってほしい」
「……そうか」
背後の死霊騎士達を見やると、見える範囲の者は我が意を得たりとばかり、軽く頷いた。
全く、馬鹿野郎が揃ったものだ。
まあその筆頭は、人間にしてこんな名前を名乗った私かもしれないが。
「――主殿。あやつらに、そして我らに、お言葉を」
「了解した。……んんっ」
軽く咳払いして喉を整え、仮面の変声機能をオンに。拡声魔法は使用頻度が高いために自前でも使えるようにしてあるが、やはり仮面の拡声機能を使用する。
地獄の底から響くような重低音が拡大され、黄昏時の戦場に朗々と響く。
「――私は、"病毒の王"。この戦場に、神はなし。いるのは、私とお前達、病と毒の名を冠する者だけだ。全ての神聖を穢し、全ての信仰を失墜させよ!」
死霊騎士達が歓声を上げる。
「我らが主は、実にボキャブラリーが豊富であるなあ」
「素に戻るのやめてハーケン」
と言いつつ、私も素に戻っているが。
「うむ。――では、行くぞ! 病と毒の王の名の下に、全ての神聖を穢し、全ての信仰を失墜させるのだ!」
「繰り返すのやめて」
「はは。なあに、戦場ではそれぐらい大仰な言葉の方がよい。血と殺戮以外の物に酔っていた方がマシであるのでな。ああ、アルコールも除いておくか」
ハーケンは笑って、前進した。
彼の背中を目印に、展開した"第六軍"の全軍が整然と前に進む。
私の周りをハーケンに指名された十二人が固め、サマルカンドが残る。そこだけをするりと避け、私の前に全軍がスムーズに移動する。
ハーケンが剣を抜き、高く掲げる。
一斉に抜剣され、剣の林が、落ちゆく夕日の光を反射してきらめいた。




