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病毒の王  作者: 水木あおい
1章
32/574

友との別れ


 私は、覚悟を決めた。


 けれど、家畜小屋で、敷き藁ベッドに腰掛けてぼんやりと木組みの天井を眺めていると、寒々しさに似た無力感が身に染みて仕方ない。


 何が出来るというのだろう。

 この世界は本当の戦争をしている。


 私が一生関わる事はないのだと思っていた、戦争を。


 けれど、私はもう当事者だ。

 じっと、手を見る。


 私はもう、人を殺した。


 その時の事を、ありありと思い出せる。

 突き飛ばした時、手に残った、軽い衝撃。

 聞こえた二人分の断末魔。


 口元を歪めるようにして笑った。



 ――ああ、人間の命とは、なんて軽いのだろう?



 ほんの少しの、後味の悪さ。

 ほんの少しの、気持ち悪さ。


 私にはそれしかなかった。

 選択肢は二つしかなかった。


 黙って殺されるか。

 黙って殺すか。


 私は後者を選び、だから今、生きている。

 そして……間違った事をしたとも、思っていない。


 記憶を探った。

 深い海へ潜るように、ゆるゆると記憶をさかのぼっていく。


 思い出せる事は多いのに、思い出せない事も多い。


 自分が、なんと呼ばれていたのかも。

 家族を、なんと呼んでいたのかさえ。


 思い出せなかった。



「ブリジット……」



 だから私は、名前を呼んだ。

 今の私が知っている名前は、たった一つだけ。

 こちらに来てから出来た……今の私の、たった一人の友人。


 平和な時代に生きている、というのは、平和でない時代を知らないという意味ではない。


 本が、教科書が、新聞が、テレビが、教えてくれる。

 それは実体験ではないにせよ、伝えようとした意思だ。


 平和のために。


 平和が尊いと、誰もが教えてくれた。

 戦争がどんなに悲惨か、誰もが教えてくれた。

 戦争なんてしてはいけないと、誰もが教えてくれた。


 それでも人は戦争を繰り返したのだと、教えてくれた。


 戦争の悲惨さを知っている。

 ――どんな風にすれば悲惨な戦争になるのかを、知っている。


 私は今でも、戦争なんて関わりたくない。


 それでも、他の選択肢はないのだろう。

 少なくとも、私が納得出来るような、心から満足出来るような、そんな甘く優しい選択肢は。



 ブリジットの優しさに甘え、彼女の庇護下で、彼女が私を見捨てるまで、彼女の友人としてひっそりと生きる事も、出来るかもしれない。



 私が望めば、ブリジットはそうしてくれるような気もする。

 でも、私は彼女の優しさに甘えるだけでは、いたくないのだ。


 それに、私はもちろん、私の世界ですら、もう他人事ではない。

 日本にいる家族や友人でさえ、もう安全な所にはいない。


 ふっと妹の顔が頭をよぎり――その瞬間、腹の内にぞわりとしたものがこみ上げて、口元を押さえた。


 名前すら思い出せなくとも、可愛い妹である事に変わりはない。

 あの子が、あの寒空の下で、あの冷たい石の城壁の上で、ただの燃料タンクのように扱われ、用済みになったら『捨てられる』事など、許せるはずもなかった。


 ……もしかしたら、もう、そうなっているかもしれないのだ。


 一応、ブリジットに聞いた。私と同じ人種らしい人間はいたのかと。

 答えは、「分かる範囲ではいない」だった。

 ほとんどの人間が、攻撃魔法を受けて、顔すら分からない消し炭になった、と。


 私も、あの中の一人だった。


 ほんの少しの偶然がなければ。

 ブリジットがいなければ。


 私が生き残った事に、意味があると信じたい。

 自分が生き残った事に、自分で意味を見出したい。



 ノックの音が聞こえた。



「入るぞ。いいか」


 口元から手を離すと、深く息をした。

 身の内にうごめく黒い物を、ゆっくりと抑え込んでいく。


「いいよ、ブリジット」


 ドアが開き、ブリジットが遠慮がちに顔を覗かせた。


「ようやく少し時間を取れたものでな。様子を見に来た」

「ありがとう。――会いたかった」


 彼女の顔を見ると、ほっとした。

 頼りない覚悟が揺らぐのではないかと、思っていたから。


「そうか」


 ブリジットがはにかんだ。

 そこで、ふと何かに気付いたように、真面目な顔になる。


「……いつもと、雰囲気が、違うか?」


「そう? ああ、でも、『お願い』したい事ができたんだ」


 私は笑った。



「この国で、一番偉い人に会わせて」




 それから、しばらくして。

 私はブリジットと、彼女の部屋の暖炉前で向き合っていた。

 暖炉脇には薪が積まれ、中にはゆらゆらと火が燃えている。


 仮住まいとは言え暗黒騎士団長の部屋なのに、私が最初にいた個室とあまり変わらない。

 この砦の偉い人の部屋は、攻略戦の際に全て吹っ飛んだそうだ。


「王城へ着いたら、この手紙を見せろ。中は見るなよ」

「分かってる。他の人への手紙を見ないのはマナーだよ」


「何かあったら、私の名前を出せ。いいな」

「ありがとう」


「……これも、渡しておく」

「何この紙。中見ていいの?」


 渡されたのは、三つに畳まれた紙片だ。


「ああ」


 許可が出たので広げる。

 読み上げた。



「『暗黒騎士団長ブリングジット・フィニスの名において、この人間の安全を保証せよ』……? ダメだよブリジット。こんな危ないもの」



「え」

「万が一、人間側のスパイとかに渡ったらどうするの」


 無言で押し黙るブリジット。

 彼女がそれを考えなかったはずはない。

 が、私の価値を、高く見積もりすぎ……だ。


「処分しといてね。出来れば、今すぐ燃やして」

「分かった……」


 ブリジットが、暖炉に紙片を投じる。

 彼女の心遣いは、ほんの数秒で炎に舐められて灰になった。



「――だが、何かあったら、私の名前を出せ。『暗黒騎士団長ブリングジット・フィニス』の名前をだ」



「迷惑はかけたくないよ」


「構うな。私は、その……友人を、つまらない事で失いたくない」


 微笑んだ。

 一歩、距離を詰める。


「ありがとう、ブリジット」

「私こそ」


 軽く抱きしめ合う。


「行ってくるよ」

「ああ。体に気をつけろ」

「うん」


 ブリジットが扉へ向かい、私も後に続いた。

 二人して廊下へ出る。


「……ついて来い」

「分かりました」


 この瞬間から、私とブリジットは友人でなくなる。

 少なくとも、公的には。


 私は『人間の捕虜』の名無し。

 彼女は『暗黒騎士団長』のブリングジット・フィニス。

 それが、これからの私達だ。



 私は、王城へ行く。




「くれぐれも丁重に扱え。捕虜ではあるが、客人とも思え」

「よろしくお願いします」


 男性の暗黒騎士に引き渡された。


「ああ。こっちだ。……念のために言っておくが、妙な気は起こすな」

「はい」


 最後に、ブリジットへと向き直る。


「この身に余る厚遇を頂きました。団長殿に、改めて感謝を……」


 深々と頭を下げた。



「……必要だったからそうしたまでだ」



「ついて来てくれ」

「はい……」


 最後に一度振り返り、ひらひらと手を振った。

 ブリジットは――『ブリングジット・フィニス』は、表情を崩さなかった。


 ただ、ほんの少しだけ、もし誰かが見ていても気付かれない程度に。

 彼女は、手を、振ってくれた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] この二人の奇妙な友情が世界を変える。 [一言] 病毒の王の始まりがここであったなら、たしかに公的記録には残らないだろう。
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