太陽を背負った竜
翌日の正午を待って、帝都への攻撃が開始された。
「――では、行くぞ。我が後に続け。リストレアのために飛ぶのだ」
重々しくリタル様が宣言し、ドラゴン達の咆哮が唱和する。
かなり離れている私達の鼓膜がビリビリと震えるほどの声量だ。
重力から解き放たれるようにリタル様が浮き上がり、他のドラゴンたちはそこまで軽やかではないが、それでも後を追って砂を蹴ると飛び上がり、ぐんぐんと加速していく。
一度十分に高さを稼ぐと、高度をそのまま速度へと変換した。
その動きを目で追っていると、砂漠の空の青さが目に染みる。
いつものように夕暮れ時や、夜襲を選ばなかったのは、リタル様の提案が理由だ。
いわく「太陽を背にしたい」――と。
ゆえに正午。ゆえに太陽が頂点に達した時刻。
太陽を背負って突撃した、リタル様を含む四十五匹のドラゴンが帝都を蹂躙する。着地した衝撃で粉砕された建物は数知れず。城壁が邪魔になって詳細は見えないが、炎も吐いているのだろう。瞬く間に黒煙が上がる。
手筈通り離脱し始め、城門の城壁が、裏側から粉砕された。
ドラゴンが粉塵をまといながら、砂に突っ込む。
城壁に備えられた固定式の石弓の角度が調整され……砂に半分埋もれながら、よろめきもがく竜に向けて放たれる。
クロスボウと長弓の、矢のような雨が降り注ぎ、防御障壁に回す魔力が削られ、鱗が傷付き、欠け、そして深く突き立った太矢に、長い首をもたげて咆哮した。
そしてふっと声が途切れ、力をなくした長い首がどうと投げ出される。
帝都上空でも、離脱しようとしたドラゴンの翼に火球が着弾し、大きく皮膜を損なったその竜は市街地に突っ込んで土煙を立てて、それから飛び上がって来ない。
さらに一匹が、傷を受けていたのか上空でがくりと失速し、そのまま持ち直せず、帝都近隣の砂丘に頭から突っ込んで動きを止める。
ドラゴンは最強の種族だ。
しかし……無敵ではない。
リタル様が、上空で反転した。
「リタル様? ……熱くなってないといいけど」
「熱くなるなと言う方が、無理でしょう」
私の言葉に答えるリズも、歯噛みしている。
リストレアの紋章は、『蛇の舌の生えた竜』。魔王軍の六軍に与えられたナンバリングは重要度順でこそないが……"第一軍"の名は竜族に与えられた。
その象徴たるドラゴンが――同胞が、目の前で落とされているのを黙って見ているのは、苦痛でしかない。
「お前達、まだだぞ! 完全に離脱するまで待て。合図がある」
自分にも言い聞かせるように、焦れる騎士達に向けて叫んだ。
あそこに突っ込んでも、助けられるドラゴンはいないだろう。
同士討ちだけは避けなくてはいけない。
リタル様めがけて矢が飛ぶのが、矢じりが太陽を反射して分かる。
そのほとんど全てを、上空からの急加速で作った空気の壁で弾き飛ばしながら、リタル様は城壁の真上を超低空で飛んだ。
城壁の上に展開していた兵が、固定されているはずのバリスタごと吹き飛んだ。一拍遅れて城壁が崩れ、それとは比べ物にならない、空気の壁が粉砕される爆発的な重低音が二回連続して響き、私は耳を押さえた。
「ソニックブーム……」
思わず呟く。
「……魔法の名前ですか?」
「違う……けど、似たようなものかな」
超音速で飛ぶ時、発生する衝撃波。
あれは、マッハじゃないと出ないはず。
離れていろ、絶対に戦闘中は近付くな――と、リタル様が口を酸っぱくして言うわけだ。
リタル様は白銀の鱗を矢じりのようにきらめかせながら、再び帝都上空へ突っ込んだ。
そこに、攻撃魔法が集中する。選択されたのは"吹雪"と"稲妻"。速度で劣る"火球"では彼女の機動性に追いつけないと判断されたらしい。
空間に展開された"吹雪"はとても避けられず、吹き荒れる氷の粒が氷河を切り出したような美しい鱗を打ち、しかし"稲妻"の方は、彼女へと収束する暴力的な稲妻の帯を、翼をすぼめてきりもみするような芸術的な機動で避けて見せた。
そして翼を開くと空中で静止し、大きく口を開け、炎を放った。
青白い炎が、首を巡らせるのに追随し、帯となって地上を舐めていく。
静止した彼女に"稲妻"が突き刺さるが、リタル様はそちらへ首を巡らせて炎を向け、黙らせる。
時間にして十秒もなかっただろう上空静止状態から翼で大気を一打ちし、攻撃魔法の届かない遙か高みへと逃れた。
そういえばなんで空中で止まってられるのあのひと。
ドラゴン達が完全に離脱するのを見届けてから、リタル様はこちらへ戻ってきた。
地上に降りる事はせず、上空を通過していく。
それが、合図だ。
ドラゴン達が背後へ下がるのと入れ替わりに、私達が前に出る。
もしもその余裕さえなく、別方向へ離脱するようなら、私達も速やかに撤退せよと言われた。
ずらしていた仮面を正面に戻すと、喉も裂けよとばかりに声を張り上げる。
「全軍、進め! 我らが同胞がこじ開けた勝機を、決して逃すな!」
至近距離でソニックブームでも起きたのかと思うぐらいの咆哮が、死霊騎士達から放たれる。
そして三百を超える黒妖犬が砂漠を波打たせるように進み、その後を追うように六百近い死霊騎士達が帝都目指して疾走する。
残されたリーフが、クェェ……と小さく鳴き声を上げ、アイティースが首筋を軽く叩いた。
「落ち着け、リーフ。私達が飛ぶ時は、また来るから」
「ごめんね、私と一緒に留守番で」
「いや、分かってるよ。今日空を飛ぶべきは、ドラゴンだって」
アイティースが軽く頷く。
私とアイティース、それにリズのみが砂丘にぽつんと取り残されている。
内訳は、この場の最高指揮官と、その護衛と、緊急離脱要員だ。
「乱戦が予想されますしね。私は行きたかったのですが……」
「レベッカに言われたでしょ? ――『暗殺者の刃が必要な戦場ではない』って」
「はい」
「それに、リズが私の護衛に残ってくれてるから、余分な戦力をこっちに回さなくていいんだよ」
「それも、分かってますけども……」
「私だって行けるものなら、行きたいよ。あんなの見せられたら……」
竜族にとって死とは、重いものだ。
死だけは万人に平等――という言葉が、この世界においては本当なのか、分からなくなる。
もう『死』のない不死生物に、生まれさえ分からない悪魔。遙か長い時を生きるダークエルフに、そこまでではないが、獣人も長い寿命を持つ。
長い時を生きる種族の死は、その数分の一しか生きられない人間と、同じ重さなのだろうか?
そもそも、『戦い』という概念が、本来頂点捕食者たる竜にはない。緩やかに数を維持する事が生態系のピラミッドの頂点たる生物種に与えられた『仕事』だ。
老衰以外で死んでいい竜など、一匹もいない。
……そんな種族でさえ、火力を集中されれば、実にあっけなく落ちる。
見えている範囲では三匹。城壁の内側で倒れた者もいるだろう。今日ここで、これまでとこれからの、何千年分のドラゴンの過去と未来が失われたのか。
それが『戦果』と釣り合うものだったのかは――私には分からない。
帝都全体で、何十万年分の人間の過去と未来が失われたかも――私には分からない。
分かるつもりも、ない。
世界に引かれた、一本の線がある。
人間の未来は、『向こう側』にしかない。
そして私の望む未来は、『こちら側』にしかないのだ。




