ペルテ帝国
大陸の南端から、蛇行するように移動して、目についた進行ルート上の敵勢力を全て撃破。討ち漏らしはドラゴン捜索中のバーゲストに任せる。
物凄く大雑把で頭の悪い作戦だとは思うのだが、結局の所、戦争の基本とは大軍を押し立てての侵攻だ。
そのために戦力を抽出された後方を叩くだけの、簡単なお仕事。
ランク王国の上層部はかなり真面目に戦争をしていた。――しすぎていた。
小国家群もそうだったが、戦力を抽出しすぎている。それこそ、長期の遠征に耐えられないような老兵と傷病兵しか残っていないほどに。
自分達の命が危険に晒されているのだから、民衆も武器を取ったようだ。これが地球の中世期なら、もう少し勝ち目があったろう。
けれど、ここは『剣と魔法の世界』。
完全武装の不死生物相手に、身体強化魔法を使えず、ろくな武装もしていない民衆達が最終的に勝利を収める可能性は、ゼロだった。
そもそも、若い男が少なかった。志願か徴兵かははっきりしないが、遠征に動員されたのだろう。
しかしその方が有り難い。人が多ければ足は鈍る。
どこも厩舎はガラガラで、馬やロバも大量に徴発されていた。
肉用の家畜の数も、私達が以前襲った分を差し引いても明らかに少なく見えたので、相当潰して肉にしたのだろう。日常生活用魔法……特に食品の消費期限を事実上凍結する"保護"持ちを狙い続けた効果が、出ていると良いのだが。
どうか人類の胃腸を滅ぼさんと、肉に潜む寄生虫と病原菌に祈りを捧げる。
「神妙な顔して、どうしたんですか? またろくでもない事考えてるんですか?」
「否定はしないけど。それがお仕事だから」
リズの私に対するセンサーは、非常に優秀のようだった。
むしろ感度が良すぎる。
「乗馬姿も、大分様になってきましたね」
「リズのおかげでね」
ポンポン、と馬の首元を叩く。
農耕用ではない、いい軍馬が伝令用に残っていたので、『日頃の行いがいいと』こんな事もあるものだなあとありがたく頂き、移動用の足に使っている。
出発前にとりあえず乗れるようにまで仕込まれたのだ。「何があるか分かりませんから、備えるに越した事はありません」とはリズの言葉だが、確かに今この瞬間に役に立っていて、私を支えてくれる彼女の先見の明には感謝しかない。
その後実地訓練を重ね、今ではリズとレベッカと轡を並べて行軍出来るぐらいにはなった。
慣れないせいもありお尻がひどく擦れて痛くなったが、軽い治癒魔法を使えるレベッカのおかげで、乙女の尊厳は守られた。
グリフォンのリーフに乗せてもらう事も多かったのだが、疲労もなく足も速いとはいえ、徒歩の死霊騎士達とは行軍の足並みが揃いきらない。
それに、空気が乾燥してきた。
――まもなくランク王国ではなく、砂漠地方の軍事国家たる、ペルテ帝国の領土に入る。
アイティースとリーフに、上空から偵察をしてもらう機会も増えるだろう。
砂漠では日常の足としてもこれまで以上に頼る事になるだろうから、それまでは疲労の回復に努め、なるべく体力を温存してほしいところだ。
今リーフは、アイティース一人を乗せ、先行しては戻り、私達と進軍速度を合わせている。
リズが今後の予定を確認するために、口を開く。
「帝国は大規模なオアシス都市のみを攻撃する……という事でよろしいのですよね?」
「うん、とりあえずね。出来るなら、飲み水の要らない不死生物と黒妖犬でしらみつぶしだけど」
ドラゴンの捜索からリタル様への連絡まで、ほぼバーゲストに一任しているので、そのルート上に人間の集落が位置するかどうかは完全に運次第だ。
生身を含む私達では、この広大な砂漠の中、大都市以外を狙って移動距離を増やすのは自殺行為すぎる。
「……マスターは、発想がイカレてますよね」
「そう? 割と普通だよ」
「お前が普通なら、普通の基準が崩れる」
黙って聞いていたレベッカが口を挟んだ。
「普通の基準が崩れたから、大陸規模で異種族間絶滅戦争なんてやってるんだよね?」
「……いやまあ、そうかもだが」
レベッカが言い淀む。
私が、種族としては人類側である事に、思う所もあるのだろう。
「それを差し引いても頭おかしい気がして」
「まあ否定はしない」
が、その割に遠慮はなかった。
「――少し、急ごうか」
「それはもちろん、なるべく急いだ方がいいのですが……馬が……」
言葉をぼかすリズ。
「大丈夫だよ。ね」
馬の首を優しく撫でる。
「もうそろそろ、飼い葉も尽きるし……馬に乗って進めるのは、そう長くないよね」
「はい」
「だから、ね? 距離を稼げるうちに稼いでおきたい。――もう少し頑張って」
最後は馬に言う。
「分かりました。命令を」
「うん」
軽く喉に触れて拡声魔法を使用する。
「――移動速度を上げる! まもなくペルテ帝国だ。敵はランク王国の腑抜け共とは違うぞ、気合いを入れろ!」
オオーッ、と、気合いの声が上がり、空気が不気味に振動する。
私は、鐙を軽く馬の腹に打ち付けた。
「砂が細かくなってきましたね……」
「日が暮れるし、そろそろ馬で進むのは限界だね」
リズの言葉に返事をして、辺りを見渡した。
草の短い乾いた草原地帯を経て、荒れ地を経て、砂漠になりつつある。
速度を上げた甲斐はあっただろうか。
ここまでは遊牧民の放牧地帯で、ここからは砂漠で、共に人間の定住地がない。時間を稼ぐならここだった。
アンデッドとダークエルフの皆だけなら夜も進めるが、私や馬はそうもいかないし、リーフは鳥にしては夜目が利く方だが、それでも太陽の下の方が安全だ。
「野営の準備を。馬は捨てる事になります。……よろしいですね?」
「うん」
ひらりと馬を下りたリズに手綱を取ってもらい、馬から下りる。彼女ほど様にはなっていないが、みっともないほどでもない。
「……お疲れさま」
馬の首筋を、軽く撫でてやる。
そして馬具を外して、少し離れた場所に放り捨てた。
リズとレベッカも同じようにする。
地上からの合図を受けたアイティースがリーフを駆って、地上に降り立つ。
「どうどう」
馬は、グリフォンの獲物として一般的だ。怯える馬に手を触れて、落ち着かせてやる。
振り返って、リーフから下りたアイティースを呼ぶ。
「アイティース」
「ん? おう」
「リーフに、馬を食べさせてやって」
「……え、あの?」
アイティースの顔が引きつる。
そしてリズを見ると、彼女も頷いた。
「私から言おうと思ってました」
「レベッカ。リーフが食べた残りは、うちの騎士達に。選別は任せる」
「ああ。弱い者と消耗が大きい者に割り当てる」
レベッカも頷いたが、アイティースはまだ納得いかないようで、私と馬を交互に見る。
「え、いや……その、結構可愛がって……なかったか?」
「乗馬するには、それが必要でしょ?」
そして私は続けた。
「この馬達は、ただの道具だ」
アイティースが黙り込み、猫耳も心なしか力をなくして傾く。
「アイティース。飼い葉もほとんどありませんし、ここからは水を切り詰める必要もあります。ここで自由にしても、砂漠を水もなしにさ迷えば……遠からず死ぬでしょう」
リズの言葉に、アイティースがはっとした顔になる。
「……悪い。変な事言った」
「ううん。気にしないで」
「マスターも。情は移ってるくせにそういう言い方するんですから」
「やる事は……変わらないもの」
私の心中がどうであろうと、この馬達に体力の限界まで歩かせた挙げ句、グリフォンのエサにしようとしている事に変わりはない。
「……安心して。仲間に同じ事を言ったりしない。この子達はただの道具。でも、皆は違う。それだけだよ」
「それは、心配してねえよ」
「そう?」
アイティースが頷いて、そして犬歯をちょっと見せて笑う。
「お前みたいな情の厚い馬鹿野郎が、そんなこと出来るかよ」
「……私、最近罵倒されてばっかりな気がする」
「気のせいです。前からそんなもんでしたよ」
リズにそう言われると、そんな気もしてきた。




