旅立ち
全てが、慌ただしく進んでいる。
慌ただしいと同時に、かなり手早く進んでいる。"第六軍"は、人数が増えてもまだ小所帯であるおかげだが、それを言うならリストレア自体が小所帯なのだ。
リタルサイド城塞への増援の準備も間もなく終わる。
何人が帰るか――帰る事が出来るかも分からない。
戦略上はあくまで時間稼ぎではあるが、守るに適した場所があそこと王都しかないのも、事実だ。
正直な所、時間が足らない。
焦土戦術とは、時間を稼げねば机上の空論に終わる。
それでさえ、向こうの物資が足りていれば、大した打撃を与えられないかもしれないのだ。
小さな城塞も防衛拠点にいくつか築かれてはいるが、魔獣などに対する避難所という意味合いの方が強い。
無視か各個撃破か、どちらにせよ大した時間は稼げないだろうから、放棄していく事になるだろう。
各地を伝令が回り、義勇兵が募られ、布告が行われる。――全てを放棄せよ、と。
血が流れないといいとは思う。
ただ、混乱はするだろう。
冬越しを考えれば、当然の事ながら物資は多い方がいい。そういう意味でも難しいが、特に食料が敵軍の手に渡る事だけは避けねばならない。
ドラゴン達の協力を得てさえ、厳しい日程になるだろうし、建物は持ち運ぶわけにもいかない。
時間も限られた中、全てを焼き払う余裕はないかもしれないし、屋根を残して、罠の温床にするのもいいかもしれないと提案はしておいた。
それらも考えられてはいたらしく、王都に残った擬態扇動班にアドバイスを任せている。
現地活動班としてそういった経験を積み重ねてきた私達は……陛下を除けば、"第六軍"関係者以外に公開されてこなかった資料を持っている。
リズの指導もあり、特に実戦を経て洗練された対人罠の運用経験は、リストレアどころか、大陸中の追随を許さない。
後は通行が終わった橋を落としていけば、かなりの時間が稼げるはずだ。
……付け加えるなら、侵攻時期が既に遅い。
リストレア魔王国を攻めたいなら、春から夏がベストであり……秋というのは、彼らにとっての冬と、そう変わらない。
なお、私に残っている日本の感覚だともう冬。コートが欲しいし、靴下も冬用のを出したい。手袋とマフラーも欲しいかも。
魔法装備なしだと、私は暖炉のある屋敷に引きこもる自信がある。
そこを――大軍で侵攻など、狂気の沙汰だ。
全く戦争とは馬鹿がやるものだなあとしみじみ思うが、その馬鹿の一人としては、厭世的になって嘆いてばかりもいられない。
"病毒の王"の屋敷前の空き地には、五つの巨大な木箱が鎮座していた。
これ以上ないほど頑丈に組まれた木箱には、鎖が巻かれている。
これは固定具ではなく、溶接で留められている。向こうで壊して捨てていく予定なので、頑丈さを第一にしているのだ。
一つあたり、約百二十人。骸骨と死霊をバランス良く配分してギリギリまで押し込んだ。
白銀の竜であるリタル様以下、六匹のドラゴンが、地上で翼を休めている。
準備が終わったところで、リタル様が口を開いた。
「本当に、私は何も乗せず、運ばなくてよいのだな?」
当初の予定通り、リタル様の背中に乗ってみたくなかったのか、と聞かれれば、そりゃあ乗ってみたかった。
一度ドラゴンのひとの背に乗って空を飛んでみたいし、かつて魔王陛下と"旧きもの"、リストレア様も乗ったというし、あやかりたい気持ちもあった。
でも。
「ありがとうございます、リタル様。しかし、私を乗せて飛ぶために、"第三軍"より馳せ参じてくれた最高のグリフォンライダーと、グリフォンがおりますので」
――という私の言葉を聞いて、機嫌が良さそうなアイティースとリーフ。
実際の所、鞍の問題もある。
竜族に人を乗せての飛行は、リストレアでは考慮されていなかった。
ドラゴンの飛行性能を落としてまで、人を乗せる意味が特になかったのだ。
リーフには、人数分の鞍と騎乗帯が用意出来るし、毛皮でこそないが、羽毛があったかい。
まあ竜も熱を持っているのであったかさの点はクリアしているが、鱗が防具や武器に使われる事もあるほど硬く、一部が鋭いのだ。
「では、行きましょうリタル様」
「うむ。お前達。何があろうと落とすな」
グルル……と、金色がかった赤い鱗を持った竜達が、人語でこそないが、唸り声で返事をする。
リタル様以外のドラゴンは人語を喋れないが、大体理解はしているらしい。
リタル様があえて人の言葉で命令したのは、私達に理解出来るようにでもあるだろう。
「それでは、一言頼む」
「え?」
「そなたがこの場の指揮官だ。出発前に一言あってもよいだろう」
「ええと……リタル様が先任なのでは」
「作戦の立案は"病毒の王"殿であり、我ら"第一軍"は、足代わりとして協力を要請されたにすぎぬ。つまり、意見を述べる自由や命令に対する拒否権はあるにせよ、この場の最高指揮官はそなただ、"病毒の王"殿」
軍の命令系統的に、完全に正論だった。
……まあ、基本的に、周りはみんな年上で先任ばかりだし。
喉に手を当てて、拡声魔法を使う。
木箱の中にいる者達にも聞こえるよう、しっかりと声を出す。
「今回は、"第一軍"と"第六軍"の合同任務となる。リタル様以下、六名のドラゴンに感謝を。各員、能力の限界までの奮戦を期待する」
とりあえず、当たり障りのない挨拶から。
そして私は、笑った。
こんな時は、笑うしかない。
悲しくて、怒ってて、辛くて。
それでも、膝を折れないというのならば。
私は、歯を剥き出しにして笑った。
喉の底から、熱を吐き出す。
「――さあ、戦争をしに行くぞ! 生きて帰るまでが戦争だ! はぐれても、死ぬなよ!!」
危険度が高い任務だ。
この距離の長距離飛行は前例がなく、敵地の情報はすぐ鮮度が落ちる。主戦力はいないはずだが、この世に絶対はないし、何より私達の数も少ない。
だが、死にに行くのではない。
最後に生き延びるために、行くのだ。
「行くぞ。先導させて頂く」
ばさりと翼を広げ、リタル様が、重力が望んで彼女を手放したかのような軽やかさで空に舞い上がる。
五匹のドラゴン達がそれに続き、一度舞い上がった後、滑らかな動きで短い前足で鎖を掴み上げ、木箱の重さで一瞬地上に引き戻されつつも、力強い翼の一打ちで空に舞い上がる。
リタル様を先頭に、さらに五匹が矢印の先端のように続く様は、遠目には渡り鳥のように見えるだろう。
リストレアの王都近辺では、渡り鳥が姿を消しつつある。冬は、南の温かい地域で過ごすのだ。
私達も渡り鳥のように、南へと向かう。
私達はリーフに乗り込み、万が一にもドラゴン達の離陸に巻き込まれないように離れて待機していた。
「私達も行くぞ」
「よろしく、アイティース、リーフ」
リーフも甲高く一声鳴き、獅子の後ろ足で大地を蹴ると、鷲の翼を使って大空に舞い上がる。
ゆっくりと飛ぶリタル様達の後ろ、矢印でいう一本線の位置に収まる。
振り返ると、小さくなっていく屋敷と、その向こうに王都。
そしてリズと目が合った。
「……家、気になりますか?」
「少しね。……でも、いいよ。思い入れはあるけど、大切なのは場所じゃないから」
リズが微笑んでくれて、私も微笑んで頷くと、視線を前に戻した。
私があの屋敷に帰る事があるかは、分からない。
生きて帰るつもりだが、その時、屋敷が『生きて』いるかは微妙な所。
食料庫は空だし、屋敷内には罠が満載だ。
それもリズ特製、致死性トラップ。
まあ王都に辿り着くまでに学習しているとは思うのだが、一応。
"第六軍"紋章を縫い込まれた紋章旗も外していて、ごく普通の、郊外のお屋敷に見えるように細工している。
"病毒の王"の屋敷だと敵軍の上層部は知っているかもしれないが、末端は多分知らないだろう。
これから私達が敵地で行う作戦行動と、本国での戦いに思いを巡らせる。
勝つのは、私達だ。
……ただ、守れない物が出る。
木箱に入っている部下達、全員を連れ帰る事は、叶わないだろう。
リタルサイドでもう沢山死んだし、全てが上手くいっても、決戦場所と目されているイトリア平原で、また沢山死ぬ。
……"闇の森"が戦場になり、僅かな護衛軍と、民衆の奮戦に期待せねばならなくなる可能性もある。
それは――この国の戦士でないひと達が死ぬのは、私が最も望まない未来だ。
そして同時に、人間達にとっては、これから私達によってもたらされる未来でもある。
それでも、今リーフの背に乗っているのが、グリフォンライダーであるアイティース、私とリズ、レベッカにサマルカンド――たったの五人だという事実が、私を、深く歴史に爪痕を残すだろう行為へと駆り立てるのだ。
ウェスフィアに向かった時と比べると、クラリオンとブリジットとハーケンがいない。
負担を軽くするために、リスに変身していたクラリオンと、召喚具の背骨に戻っていたハーケンはともかく。
ブリジットが、いない。
生きているなら、絶対に彼女が帰る国を残す。
生きていないなら……。
ギリ……と歯を食い縛って、感情を噛み殺し、押し殺した。
この世界には、優しいひと達がいる。
でも、この世界は優しくない。
だから、私のような存在が生まれる。
私は、"病毒の王"。
種族、人間。
目標、人類絶滅。
目標に、変更はない。
あの家畜小屋で、毛布をかぶって涙を流した時から、私は人類の敵だ。




