解き放たれた翼
"第一軍"のドラゴン達は通常国内の空を巡回している。
そうやって縄張りを主張し、大型の魔獣種へ睨みを利かせているのだ。
完全ではないにせよ、リストレアの民と魔獣が生活圏を分けていられるのは、竜の力が大きい。
基本的にはリタル山脈の高峰をねぐらとしているが、いくつか、人目につかずゆっくりと休める『休憩所』とでも言うべき洞窟が、リストレア魔王国の"第一軍"の拠点として用意されている。
その内の一つである、王都に近い岩山に掘られた大洞窟に、私はリズとサマルカンドの二人だけを伴って赴いていた。
"第一軍"の副官、獣人の老女であるクラド様に案内され、洞窟に待機する竜達の間を歩み、その内の一匹の前に通された。
『彼女』が、私の姿を目に留めた時、横たえていた身体を起こし、長い首を持ち上げた。
氷河のような青みがかった、深みのある白の鱗を持つ竜。
「リタル様、お久しぶりです」
"第一軍"、序列第一位、"竜母"、リタル。
知らぬ者のいない大陸最大の大山脈にその名を冠される、この世界で最も有名なドラゴンにして、竜の内で最も長き時を生きる、竜族の長だ。
「"病毒の王"? 久しぶりだな。どうしたのだ」
「まず、陛下より物資輸送に関する要請です。こちらに書類が」
懐から取り出した書類をクラド様に手渡す。
竜は強靱だが、同時に絶対数が少ない。最後の最後まで、全てを戦場に投入するわけにはいかないのだ。
戦場での働きを期待出来ない幼竜と、種族の維持のため残される若い竜達には、物資の輸送に働いてもらう手筈だ。
打診はされつつも、今までドラゴンは輸送能力の勘定に入っていなかったため、輸送の計画は大幅に余裕が出るだろう。
「よかろう。"第一軍"は、立派に馬車馬を務めて見せよう」
リタル様が大きく頷く。
「――しかし、そのためにわざわざそなたが来たとは思えぬが?」
「はい。"第六軍"として、お願いと、提案があって参りました」
「うむ……そなたの頼みならば、聞いてやりたいとは思う……が、まずは申してみよ」
「ありがとうございます。まずお願いですが、ドラゴンを五騎、お借りしたい」
「……ふむ。五騎ならば出せなくはないだろう。しかし、まさかその数で人間国家を攻めるなどとは言うなよ」
私は、曖昧に微笑んだ。
「……まさか」
「攻めるとは言っても、ドラゴンを戦力として見ようというのではありません。私以下、約六百名の人員を、敵陣後方へ輸送します。相手の退路を断つために」
「六百? 五騎では、到底足りぬ」
リタル様が、ゆるゆると長い首を揺らすように横に振って見せた。
しかし私は、力強く断言した。
「――足らせる」
「……いかにして?」
「全員木箱に詰めます」
「……うん?」
リタル様が深い金色の瞳をぱちくりさせたのは、多分見間違いではないと思う。
割と素直で、可愛い反応だった。
「うちの人員は、ほぼ不死生物……骸骨が多く、一部が死霊なので、押し込めば意外と多くの数が入ります。緩衝材に藁屑やぼろ切れなど」
「なるほど……それならば可能やも知れぬ。……だが、本当にそう上手くいくのか?」
「以前"第三軍"のグリフォンライダーの協力の下、テストは済んでおります」
以前、リタルサイド城塞まで、リーフの訓練を兼ねて実行した輸送方法だ。
五十名ほどは経験者だし、物理的なダメージは問題にならないレベルだと、太鼓判を押してくれた。
しかし何人かが言い淀む様子を見せたので、実は問題があるのかと聞いてみれば、やれ身体の筋肉が固まるのが問題だの、やれ血の巡りが悪くなるだの、果てはお肌が荒れてしまうと来た。
もちろん全員が、筋肉も血液も表皮も持たない骸骨と死霊なので、アンデッドジョークだ。
ちなみに私もよく「血も涙もない」と言われる。
「分かった。引き受けよう」
リタル様が頷いてくれる。
グリフォンであるリーフが運んだ時より、距離が長いし、重量も単純計算で二倍以上だが、ドラゴンはグリフォンより遙かに頑健だ。
「後で箱のサイズなどを教えてくれ」
「はい。こちらで用意します。グリフォンの際はロープでしたが、鉄の鎖などの方がよいかと思いますが……」
「一応魔力強化済みの物が望ましいだろうな」
「手配します」
実際に手配するのはリズだけど。
「提案というのは、それとは別なのか?」
「ええ。リタル様にお聞きしたいのですが、ドラゴンに対して、『言う事を聞かせる』事は、可能ですか?」
「……うむ。我ら竜族の根本原理は、『力に従え』だ。私の言う事に従わぬほどの竜は、おらぬであろう」
老いてはいても、錆び付いてはいない。
重要度ゆえにリタル様が最前線に立つ事はない。リストレア魔王国において彼女が実際に戦ったのは、建国期のみだ。
しかし、目の前に立ってまだ彼女の力を侮るような馬鹿がいれば、多分そいつは死んだ方がいい。
「ドラゴンナイトの騎獣たるドラゴン達に関しては?」
「あれはドラゴンではない。心を縛られた竜など、ただのトカゲだ。……力は本物であるが、な」
低い声で、吐き捨てるリタル様。
「しかし、何故今になってそのような事を? あれらは最早おらぬ。他ならぬお主が、ドラゴンナイトの軛よりあれらを解き放っ……」
そこでリタル様の言葉が止まる。
「……解き放たれたドラゴンが、いるな?」
「ええ。今までは警戒も厳しかったし、リタル様に『説得』に赴いてもらうなど、ただの夢物語だったでしょう」
しかしもう、その前提は崩れた。
人間の戦力のほぼ全ては、リストレア魔王国を目指し、進軍を開始したのだ。
「けれど、相手の進軍ルートを把握する事は、大軍ゆえに容易い。ドラゴンが潜むとすれば、まず人里近くにはいないでしょうし、リタル様にとっては障害などないに等しい」
「うむ。……思いもよらなんだ。だが……時が足らぬやもしれぬ。どこに潜んでいるかは分からぬから、潜んでいそうな洞窟をしらみつぶしにせねば……」
大体、予想通りの返事だったので、私は想定していた質問をぶつける。
「居場所が分かっていれば?」
「それならば、順番に赴くだけだ。遙かに短い時間で足りるだろう。……しかし、ドラゴンの居場所を突き止めるなど、どうやって?」
「出来るかは……分かりませんけど」
私は、袖を振って、ぞるりと影を振り落とした。
黒い影が、黒い犬の形になる。
するりとすり寄ってきたバーゲストの頭に手を置いて撫でると、尻尾がぶんぶんと振られた。
「――私の元には、鼻の利く黒犬さん達がおりますので」




