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病毒の王  作者: 水木あおい
1章
30/574

ブリジット


「マスター……よく、生きてましたね」


 そこまで聞いたリズが、しみじみと呟く。


 私は今、ここにいる。

 私に与えられた館で、柔らかく清潔なシーツと布団のある天蓋付きのベッドで、高級品のランプに照らされながら。

 可愛らしい副官さんと一緒に、これをただの過去として語る事が出来ている。


「うん、我ながら運が良かったね」


 いや、違う。それだけじゃない。

 『運』だけじゃない。



「――見ていてくれた人が、いたんだ」



 魔族の人達が絶対的な正義だとは、今でも思わない。

 彼らもまた、戦争をしていた。


 私達がどういう存在か気付いていたか、分からない。

 けれど、何も区別せず、城壁の上に攻撃魔法を叩き込んだ。

 私と同じ境遇の中で、私以外の生存者はいない。


 それでも、生きている私を、見つけてくれて。

 私がした事を、見ていてくれて。



「助けてくれた人が、いたんだ……」



「そんな人が……」

「ていうか、ブリジットだよ?」


 しんみりした表情のリズが、怪訝そうに眉を寄せる。


「……今、なんて言いました?」



「だから、ブリングジット・フィニス。リズのお姉さんだけど」



「……姉様から聞いてませんよそれ」


「……陛下に口止めとかされてたのかな。それとも、単に私が嫌いなだけかな」


 むしろ、知っていると思っていた。


「"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の下で働く事になったって言ったら、姉様は、なんかすごく不機嫌になりましたよ?」


「それは知りたくなかったかも……」


 リズが、じっと見つめてくる。


「……聞いていいのか分からないんですが、どうしてマスターとブリジット姉様は仲が悪いんですか?」


「仲が悪い……とは違うかな。命の恩人だし。でも、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"が嫌われてるというか、怒らせたというか……とりあえず、助けられた時の事を話そうか」


 魔王軍最高幹部。

 "第二軍"たる暗黒騎士団の騎士団長。

 "血騎士(ブラッドナイト)"、ブリングジット・フィニス。


 リズの姉でもある。


 私は"ガナルカン砦攻略戦"の戦功が認められて、陛下より"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の名前と最高幹部の地位を頂いたという事になっている。

 それは、間違いではない。


 けれど、彼女の率いる暗黒騎士団と、悪魔(デーモン)達が砦を攻め落としたという事実に変わりはない。




「どうだ。目は覚めそうか」


 柔らかい闇の中、凜とした声が聞こえた。


「ええ、とりあえず傷は塞がりましたし……衰弱こそしていますが、魔力量そのものは、かなり高めです。じきに――あ」


「目が覚めたか?」


 耳に心地よい声の持ち主を一目見たくて、私は目を開けた。


 目の前にいたのは、ダークエルフだった。一言で言うと、そういう感じだった。

 褐色の肌に、長く伸びた耳の先端は尖っている。

 ポニーテールにしている長い銀髪が、肌に映えて綺麗だった。



 私を覗き込んでいる顔には、私の身を案じているらしい表情が浮かんでいた。



「代わって下さい」

「あ、すまない」


 彼女が脇にどいて、代わりに私の視界に入って来たのは、やっぱりダークエルフのひとだった。

 紺の軍服に白衣。ダークエルフらしい銀髪は短くされ、金縁の鎖付き眼鏡が似合う好青年。


「私の声が、聞こえますか? 聞こえたら、目をぱちぱちして下さい」


 ぱちぱち。


「私の言葉を、意味のあるものとして理解出来ますか? 理解出来たら、もう一度目をぱちぱちして下さい」


 ぱちぱち。


「……わた……し……」


 喉が渇いていた。

 舌と上顎が張り付くようで。

 目が霞んで、重くて。

 全身が熱っぽくて。


「話せるか?」

「少しなら……でも、まずこれを飲ませましょう。身体を起こしてあげて下さい」


 優しい動作で背中に手を差し入れられ、上半身を起こされる。

 そのまま支えてくれる腕に、力を抜いて身を委ねた。


 そして差し出されたのは、カップに入った薄緑色で透明な――臭いはないが、色は、濃く淹れた緑茶にそっくりな液体だった。


「私は軍医のアレックス。これは主に水分補給のためのものです。害はありません。飲めそうですか?」


 頷く。

 差し出されたカップを受け取り、こくりと飲んだ。緑茶のような見た目に反して、とろりとして、ぬめっとして……不思議な感触だった。


 なお、後に聞いたところによると、二十倍に希釈した天然ウーズだったらしい。整腸作用に加えて、そこそこ栄養もあるとか。

 道理でぬめっとした訳だよ。


 けれど、おかげで喉には潤いが戻り、ぐっと楽になった。


 飲み終わった後は、再び優しい手つきでベッドに横たえられ、枕に頭を預ける。乱れた掛け布団が肩まで引っ張り上げられた。


「少し、彼女と話をしてもいいな?」

「はい」



「――私は、ブリングジット。君が……城壁の上で、防御魔法の使い手を突き落とすのを見た。まずは、礼を言わせてくれ。おかげで、突破口が開けた」



 ベッドサイドの椅子に座って自己紹介したのは、色々してくれた、凜とした雰囲気の女性ダークエルフ。

 紺の軍服に銀髪ポニテが可愛いな、とか、熱に浮かされた状態で思ったのを覚えている。


 礼を言われるのは、複雑な気持ちだった。

 私は、この人達を助けたかった訳ではないのだ。


「……他の、ひとは?」


 彼女は私を見つめると、少しして首を振った。



「君は、何故、あのような事を?」



「……ゆるせなかった」


 許せなかった。


「私を……他の人も……あんな、物みたいに」


「君達は……魔力の肩代わりをさせられていたのか? 同じ、人間だろう?」


 同じ、人間。

 同じ人間が、人間に、あんな事をした。


「うん。……よく、分からないけど」


 魔力。ファンタジーな語感のワードだが、その時の私はとりあえず頷いていた。

 うん、熱がある時って、よく分からない事、深追いしないよね。


 それに、私はあの人達が、本当に自分と同じ人間だったのか、分からない。

 少なくとも、あの人達にとっては、違ったのだから。


「どういう基準で選ばれたのだ?」



「……違う世界から、集められたんだと、思う」



「違う、世界?」

「ここ……地球じゃない……でしょ?」


 私のナルニアはハード仕様だ。

 まあ、あそこも戦争してたけどさ。


「ブリングジット様、熱が高いようです。このぐらいで……」

「……ああ、うん。分かった」


 熱のせいにされた。


「そうだ。名前を聞くのを忘れていた。――君の、名前は?」


 私は、力なく微笑んだ。



「忘れちゃった……」



 この世界に、奪われたのだ。

 あるいは、私の世界と、この世界の間に、置き忘れてきた。


 ブリングジットが困ったように微笑んだのを、覚えている。

 あの時は、あの人は、優しかった。




「君は? 本当に、違う世界から来たのか?」

「うん、そうみたい」


 頷いた。


 私は、相変わらず個室の病室にいる。


 ここは、ガナルカン砦の一室だ。

 彼女達にとっては敵国の砦であり、既に廃棄する事が決定されていて、今はあくまで全てが仮住まいという事だった。


 しかし、戦争が始まるまで押し込められていた所よりも、格段に居心地がいい。

 屋根と敷き藁はあったけど、今思うと家畜小屋だよなあれ。


 生活用魔法のおかげで、シーツも布団も、そして私も清潔。

 食事も、士官用と同じ物だと聞いた。

 今から思うと、物凄い好待遇だ。



 私は、人間なのに。



 この世界は、人間と魔族が戦争をしている世界だと聞いた。

 人間の国は大国が三。小国家群が全部で十三。

 そして、魔族の国が彼女の国、リストレア魔王国だ。


 ダークエルフ、獣人、悪魔(デーモン)不死生物(アンデッド)(ドラゴン)などの総称が、魔族だという。



 ……人間じゃないひとの方が優しくしてくれるなんて、おかしいな。



 もちろん、それは、聞き取り調査を兼ねていたのだろう。


 わざわざ私に許可を取ってからだが、精神魔法も使われた。

 簡単には嘘を言えなくする程度の、軽いもの。専門の術者が、質問への反応を見て総合的に判断せねばならない程度の……『弱い精神魔法』だ。


 『敵対種族』への尋問というには、あまりにも優しい。


 私はスパイとして、あまりにも無知で……無害と判断された。


 好奇心に任せた質問にも、結構答えてくれた。


 肌の白いエルフは、おそらくもう滅んだ。

 ドワーフという種族は、聞いたこともない。

 ドッペルゲンガーという、変身能力を持つ種族もいる。

 獣人の耳や尻尾に触れるのは、侮辱や求婚ではない。

 デーモンは生まれついての魔法使いであり、肉体的にも強い。

 アンデッドには、実はいろいろな種類がいる。

 ドラゴンは数が少ないが、砂漠の方には羽を持つトカゲがいる。



 誰もが知っているような常識を、私は少しずつ身につけていった。



 そして、そんな風にしばらく過ごして。


「ブリングジットさん……。一つ、お願いがあるんだけど」

「なんだ? 言ってくれ。私に出来る範囲なら、何でも用意する」


 優しい言葉。

 けれど私は、首を横に振った。


「物じゃない」


 ……じっと、見つめる。



「名前……縮めて、ブリジットって……呼んでもいい?」



「……ああ。構わない」


 ブリングジット改めブリジットが、微笑む。



挿絵(By みてみん)




 彼女は騎士団長という事もあって忙しい身だったが、ちょくちょくと顔を見せてくれて、他愛もない話をした。


 彼女がいなければ、きっと、私は死んでいた。


 彼女がいなければ、きっと。



 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"は、生まれなかった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ブリングジットがマスターを人に戻してくれたのでしょう。 [気になる点] ウーズ便利すぎる!初めに薄めて飲んだ人すごい [一言] ブリングジットが連れてきて、リズが監視兼護衛任務を受けた。魔…
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