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病毒の王  作者: 水木あおい
6章

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真夜中の鳩便


 夜更けに幽霊鳩がやってくるのは、珍しい事ではない。

 元より、そういった時間を問わない運用が可能なのが便利な通信手段だ。


 ただ、夜番を務めるハーケンが、それを取り次ぐのは珍しい事だった。


 当直時に来た手紙の開封権限は与えてある。

 内容を吟味し、通常は翌日に回す。


 通常は。


 私はリズと一緒に、自室で寝ていた所を起こされた。

 ノックと、リズの目覚める気配にぼんやりと目覚め。



「夜分にすまぬ、我が主。リズ殿。……火急の用件なれば」



 ハーケンの重い口調に、眠気が飛ぶ。

 リズが寝間着のままベッドから下り、スリッパだけを履いて向かう。

 私も同様にして、彼女の後を追った。


 扉を開けると、ハーケンの姿。

 いつもは、不死生物(アンデッド)とは思えないほど朗らかな彼が、重苦しく沈黙していた。


「ハーケン?」

「我が主。リズ殿。……落ち着いて、聞いて頂けるか」


「……ああ。言ってくれ」

「はい。要約してもらえますか」



「リタルサイド城塞に人間が侵攻。第一波は跳ね返したが――暗黒騎士団長殿が、戦闘中に行方不明になられた……と」



「え?」

 リズが、隣にいる私の手を強く握る。

 痛いぐらいに、強く。


 いつもは素早く物事を処理し、私に分かりやすく伝えてくれる彼女が、固まっていた。

 そして、その固まったままの動きで、同じく言うべき言葉を見つけられず黙ったままの私と、目を合わせる。


 暗黒騎士団長は、この世界にただ一人。

 ブリングジット・フィニス。私の親友であり、彼女の姉だ。


 侵攻の予兆はあった。報告もあった。

 それが最悪の形で、現実になった。


 彼女の目尻に涙が滲み、つうっと頬を伝って、絨毯に落ちた。

 むしろ不思議そうな表情で、リズはそれを自由な手で拭い、見つめる。 


「……え?」

 私は、強く握られた手を振りほどかない事しか、出来なかった。




 人間側の対魔族同盟、おそらくは位置的にランク王国を中心とした部隊が、リタルサイド城塞に侵攻。


 新型の投石機(カタパルト)によって、遠距離から城壁への攻撃を受けた。


 ブリジットは、夜襲によってこれを破壊する事を決定。自ら軍を率い、全て破壊した。


 ――その代償に攻撃軍は大半が帰還せず、騎士団長であるブリジットさえ、行方不明となった。




 私はリズと一緒に、ベッドに寝ている。

 対応策を協議するための会議は、明日にも行われるはずだ。少しでも、身体を休めておいた方がいい。

 そう思うのに、目が冴えて眠れなかった。


 リズは、私の薄い胸に顔を埋め、身を丸めるようにして寝息を立てている。


 まだ涙の跡が残っている、好きな人の寝姿というのは、胸に来るものがあった。

 さっきまで私の胸で泣いていた。細い肩を震わせて、何も言わずに。

 お互いに、何を言っても嘘になりそうで、気休めさえ言えなかった。



 それでもブリジットが死んだと、決まったわけじゃない。



 戦場に誤報は付き物だ。

 乱戦後に行方不明。それも、自由行動を命令後だと。

 たとえ、二十倍の数を前に、当初の作戦目標である投石機(カタパルト)を破壊するという選択を行い……それを完遂した上に、敵軍中央を突破して『撤退』した末であっても。


 死体が見つかっていなくて、死亡の瞬間の目撃者がいない以上、死んでいるという確証はないのだ。

 けれど、骨まで焼き尽くす攻撃魔法の飛び交う戦場で、『行方不明』という意味は、軽くない。


 生きていたとして、リタルサイド城塞より向こうは、敵の支配地域。

 生き延びたとして、今も無事という保証は、どこにもない。



 私が、人間を本気にさせた。全戦力を投入しての決戦に傾けさせた。



 それは、陛下も承知の事。


 睨み合うだけの戦争を終わらせる。

 しかし、こちらから攻めるような真似は出来ない。


 ならば、向こうに全面攻勢を選ばせる。


 ……ただ。


 もっと、効率的に出来たのではないか。そうすれば、今、こんな事になっていないのではないか。

 そうも、思ってしまう。


 私は、ブリジットがいなければ死んでいた。


 人間と戦う立場にある彼女が、人間である私を、助けてくれた。


 その選択が、私に病と毒の王を名乗らせた。

 彼女とは信念をぶつけ合う中で、剣を向けられた事もある。


 彼女は言ったのだ。

 非戦闘員を暗殺し、民衆を扇動する、私の――"第六軍"の戦い方を指して。



(――それは騎士の戦い方ではない!)



 強い言葉。戦力で負けていて、守るべき物を持っていて、それでもなお騎士たらんとした人の、芯のある言葉。


 私には、許せなかった。

 こんなにも誇り高い人達が、人間に蹂躙される未来が、許せなかった。


 どんな方法でも、私の頭が思いつく限り、私のか細い知識でも知っている地球の歴史の汚い部分を全て使ってでも、私は人間を滅ぼすと決めた。

 守りたい物は同じ。

 けれど、彼女の言葉も分かるのだ。

 

 倫理的に正しいのは、彼女の方だから。


 戦場にルールがあれば良かった。

 お行儀のいい戦争があれば良かった。

 負けても殺されない条約があれば良かった。


 そんなものは、現実にはなくて。



 これは、異種族間絶滅戦争だ。



 四百年以上前、人間の誰かが始めた戦争。

 そして陛下がリストレアという国を建国し、以後戦い続けてきた戦争。


 落とし所は、もうない。


 もしも、人間が真に和平を願い、本当に不干渉を貫く気なら、この国は永遠に壁を維持し続ける選択肢を、選んだかもしれない。


 けれど人間は、壁を越えようとした。


 自分達の支配地域と比べれば遙かに厳しく、まともな利益など望めない土地を、何度も攻めた。


 私がこの世界に来たのも、その一環だ。

 人間は、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の正体を多分知らないだろう。


 たとえ人間だという事は知っていても、私が、自分達がただの燃料タンクとして違う世界から召喚した人間だなんて事は、夢にも思わないだろう。



(大事な妹だ、泣かせるな)

 


 リズの涙を見たのは、初めてだった。


 泣かせるなと言った本人が……!


 怒りと悲しみがふつふつと私の腹の中で煮えたぎる。


 心の中が真っ黒く塗り潰されて、熱に染まった頭では、黒い衝動を止められない。止める理由がない。



 私に、力があれば良かった。



 卑怯な戦争をする小賢しい知恵なんかではなく、悲しい戦争をさせないだけの力が、あれば良かった。


 異世界に来る時に都合良く超絶強い力を手に入れて……力ずくでもなんでも、お互い話し合わせて、過去を水に流させて、人間も含めた異種族共生国家を作れるぐらい、強かったら良かった。


 でも、私が望むこの国の未来――外敵がいなくて、何者にも脅かされない平和な異種族共生国家は、残念ながら人間抜きだ。


 人間は違う物を、怖がるから。

 他の世界にリソースを求めるような、間違った手段に手を出してしまうから。


 もう、血を流しすぎたから。 



 どちらかが滅びる形でしか、私は未来を思い描けなかった。



 その上でどちらに協力するかなんて、簡単だった。

 違う世界の人間を同族とは思えなかった。自分をただの燃料タンクとして喚び込んだような種族だ。


 きっとそれだけでないのは分かっているけれど。

 同じ人間になら優しく出来る人達がほとんどなのも、分かってはいるけれど。


 自分とは違う存在に優しくしてくれたひと達を、私は信じると決めたのだ。


 鏡のように、された事をする。

 私を利用して殺そうとした種族を殺し、私を信頼して助けてくれたひとが属する国を生かす。


 ただ、それだけ。



 戦争が、なくならないわけだ。



 ブリジットに、生きていてほしい。

 私はまだ、希望を捨ててはいない。死んだと、決まったわけじゃない。


 けれど、この気持ちだけで十分だ。

 私を、こんな気持ちにさせただけで、十分だ。 


 もしも私の大切な人が、殺されたなら。


 絶対に私は、泣き寝入りなどしない。

 悟ったような事を言ったりしない。

 復讐の連鎖を断ち切ったりしない。


 ――いや、正確には、そうすると言ってもいいかもしれない。


 復讐の連鎖を続けさせる気はないのだから。

 全ての、根を絶つ。



 私は、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"。

 種族、人間。

 目標、人類絶滅。



 あの種族を、この地上から根絶する。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 凶報。一人で居るときに受け取らなくて良かった。 二人一緒だったからリズは泣けた。 泣かしたのはマスター? [一言] 人類絶滅の最後のスイッチが入った。
[良い点] 都合のいいチートも特典もないない尽くしの中で大切なもののために戦う病毒の王様はやはりいいな。
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