前方への撤退
「ふざっ……けるな……!」
夜が明けて、露わになった惨状を前に、彼は呻くように叫んだ。
五十代を過ぎ、口ひげに白い物が混じり始めた、ランク王国の将軍だ。
ランク王国貴族、ロスペール家の現当主であり、リタルサイド攻略にあたり編成された『先遣隊』の総指揮官であり、そして切り札たる攻城兵器の開発・運用の責任者だ。
夏を前に、政敵の一つだったオルトワール家が不幸な事故に遭った時は同情したが、それによって、攻城兵器開発に関する、全ての権限を握るに至った。
我がロスペール家が、次代のランク王国を担う!
その野望は、妄想と言うほどには酷くなかった。
三大国の中でも、ランク王国は、潜在的な不安を最も大きく感じていた国だ。
同じく国境を接している大国の内、ペルテ帝国はリストレアに面した地域は元々荒れ地の砂漠で、鉱山や採石場があるに留まる。
エトランタル神聖王国は、全てがリタル山脈沿いであり、基本的に侵攻の恐れはない。
ランク王国は、"リタルサイド城塞"に面したガナルカン地方を領有し、戦争が行われる時は、常にランク王国が矢面に立つ事になる。
かつてもぎ取った土地は、そのほとんどを事実上の不干渉地帯として塩漬けにせざるを得ない、使い道の少ない土地だった。
しかし冷涼な気候ながらも、それゆえに却って夏の暑さによる干害によって壊滅的なダメージを受けにくい。
事実、リストレア魔王国側ではあるが、リタルサイドは穀倉地帯として知られている。
リタルサイド城塞に駐留している総戦力は正確には不明だが、重要な軍事拠点だという事は分かっている。
ゆえに、推測される数の十倍以上を揃え、こちらは陣を敷き、ひたすら最新鋭の攻城兵器で攻め続ける。
打って出てくれば、これを討ち取る。
魔族の戦士達が、大陸最強なのは承知の上。
だが、数は正義だ。
常に敵の十倍の数を揃えよ。戦争は、始まる前に勝敗が決まっている。
語り継がれてきた戦場の原則を、ランク王国は最も忠実に実行する国だった。
信仰心ゆえの強兵揃いであるエトランタル神聖王国の神聖騎士団。
厳しい土地を生き抜いてきた砂漠の部族を母体とするペルテ帝国の重装騎士団。
ランク王国の竜鱗騎士団に、それらと比べて見るべき所は特にない。
名前の由来である竜鱗の武装はごく一部しか着用しておらず、"ドラゴンナイト"にあやかっただけの名前負けの騎士団ともっぱらの評判だ。
だが、国を挙げて戦えばランク王国が勝つだろうというのが、三大国の共通認識だった。
金貨が剣に勝るという原則を、忠実に実行する。
庶民を生かさず殺さず搾り取るための、芸術的な官僚機構と貴族制度が、ランク王国にはある。
ゆえに最も穀倉地帯が多く、最も常備軍の数が多く、最も装備の平均的な質に優れているのは、ランク王国だった。
他国……特に小国家群は"ドラゴンナイト"を羨む事も多かった。
しかし、帝国と神聖王国は、純粋に羨む事はなかった。
"ドラゴンナイト"が、とんだ金食い虫だと知っているからだ。
竜を養うための牧場をいくつも抱えなければならない。
なり手は、誇り高き竜騎士という言葉に憧れた若者がいくらでも群がってくるが、それでも育成に金が掛かる。
本来国を担うべき実力のある若手騎士が、『訓練中の事故』であっさり死ぬ。
そんな、財務にとって悪夢のような兵種を、四百年以上維持し続けられる国は、他にない。
しかし……その切り札は、実にあっけなく失われた。
"病毒の王"という害虫によって、牧場を中心に徹底的な虐殺が行われた結果だ。
この世の終わりのように嘆く者が多い中で、一部の者達は、軽視されてきた攻城兵器の開発に資金を投入するように進言。
その筆頭が、ロスペール家だった。
……次いでオルトワール家であり、ロスペール家にとっては最大の協力者とも言えたが、同時に反目する事も多い家だった。
何より、子煩悩が過ぎた。見目麗しいが、同時に社交界では裏で眉をひそめる者が多い奔放っぷりの令嬢など、貴族の娘として相応しくない。
極論すれば貴族にとって娘とは、政略結婚のための道具だ。
愛は必要だが、それは薔薇を咲かせるための肥料と同じ。剪定を行わない薔薇の園は、花の色も悪い茨だらけの、見目の悪い庭園にしかならないだろう。
ランク王国には、"ドラゴンナイト"に代わる新しい力が必要だった。
そして、その力を手にした者が、次代のランク王国を……新しい世界を担う。
魔族全てを排除した先に起きるのは、人間同士の睨み合いだと、老獪なランク王国の貴族達は正しく理解していた。
そして同時に、睨み合うだけで十分だという事も。
砂漠だらけのペルテ帝国や、宗教が根付きすぎているエトランタル神聖王国を無理に併合などしても、旨味はない。
北の大地にしても、三分の一は主張する事になるだろうが、大した旨味があるとは思えなかった。
そう熱心ではないにせよ一応は同じ神を信仰している以上、エトランタル神聖王国には、ランク王国を攻め、併合する大義に欠ける。
ペルテ帝国も、合理的な国だ。戦力の均衡を保つ限り、無理はすまい。宗教的な観点から言えば、砂漠の神を緩く信奉する彼らは、最悪エトランタル神聖王国をも敵に回す事となる。
つまり、舵取りさえ間違えなければ、今の勢力図がそのまま適用される。
そして、何をするか分からない魔族共が消えた世界とは、ランク王国にとっては実にやりやすい世界だ。
人類の発展に貢献しようという気持ちもある。しかるべき対価は頂く事になるだろうが。
最新の投石機は、なけなしの魔法持ち技術者達を注ぎ込んだ傑作だ。
ロスペールとオルトワール家が庇護していた職人達が、畑違いの者もかき集められ、基本設計から素材の加工、強化術式の刻印までを行っている。
ロープをねじる力を利用して石を飛ばすという投石機の基本を踏襲しつつ、投射する石よりも重いおもりを備える事で、投射距離を飛躍的に伸ばした。
さらに優れた金属加工技術によって実現に至った、現地組み立て式だ。
一部のパーツ以外は現地調達を可能にし、また重要部分の精度を上げる事で、射程距離を限界まで伸ばす。
当たり前の事を、当たり前に行う。それがランク王国のやり方だ。
奇をてらった方法は、上手くいかない。
何やら怪しげな魔法も使っていたらしいガナルカンに築かれた砦は、幻影魔法を使用して建築を秘匿した事も含めて、挑戦心に溢れた意欲的な試験場だった。
しかし結果として大した戦果も上げられず、軍人の不良在庫を一掃した程度に終わる。
この投石機は違う。
間違いなく、城壁を突破出来る兵器だと、確信していた。
量産に入ろうという段階で、ウェスフィアが炎上したのは痛かった。物資調達の予定に狂いが出たものだ。
とはいえ、決戦には間に合った。……というより、ランク王国としては、これが完成していなかったから決戦に踏み切れなかったというのが正しい。
城壁さえ突破すれば、後は数の優位を生かせるはずだった。
しかし半日掛けてなお、城壁にダメージすら与えられないのを見て、彼は不安になった。
だがそれでも、確かに防御魔法"障壁"を使っている光は見て取れた。
相手に消耗を強いれば、国力で勝るこちらが有利なのだ。
弾になる岩は、荒れがちの土地という事でそれなりに補充が利く。
しかしサイズの統一など出来ようはずもなく、結果的に精度はそれほど高くない。城壁に当てると言うよりは、城壁に当たれば恩の字で、その向こうの街へ叩き込むのが主目的だった。
そうすればいずれ、音を上げ、痺れを切らし、無謀にも攻めてくるはず。
……ただ、それが半日も経たないうちで、しかも夜襲だとは、さしもの彼も予想していなかった。
だが、備えていなかったわけではない。予備戦力も伏兵として伏せ、きっちり罠に誘い込んだ。
その結果が――列を成す、燃え落ちた投石機の残骸だった。
正に悪夢としか、言いようがない。
「ふざけるな……二十倍だぞ? 二十倍の数を正面突破して……前方へ『撤退』? そんな馬鹿な話が、あるものか……」
ぶつぶつと呟くように罵る。
軍の再編もおぼつかない。
率いた軍は、半壊の憂き目にあった。
敵軍も、多くが討ち取られたのは確かだ。
しかしランク王国の先遣隊が、本隊及び、ペルテ帝国とエトランタル神聖王国の派遣軍到着まで『持ちこたえられなかった』のもまた、確かだ。
リストレア魔王国が本気を出す前に、リタルサイドは潰しておきたかった。
兵の替えは利く。
しかし壊れた攻城兵器は替えが利かない。
「いや……だが敵軍の多くを討ち取ったのも事実……か」
彼は正しい。
楽な戦いにはならなかった。
しかし、城壁の外に引きずり出し、多くの戦力を削いだのだ。
王国の被害は甚大だが、既に口減らしを兼ねた大規模徴兵……いや、大規模に『志願兵を募る』事が決定している。
数だけなら今日失った戦力よりも遙かに多い数が動員される。
それは帝国と神聖王国も同じ。
食糧不足を懸念する声もあるが、雑兵達は相当数が死ぬだろう。
今の国民の数を前提にした試算など、何の意味もない。
彼は、基本的に正しかった。
貴族以外、そしてランク王国の人間以外の命を軽視するきらいはあったが、それは戦場ではむしろ正常な感覚とさえ言える。
彼は、一つだけミスを犯した。
守るべき投石機が失われた時点で、速やかに撤退するべきだったのだ。
地獄の悪鬼のごとく自らの軍を打ち破った者達が『逃げた』方向へ逃げたくない心理が働いたのだろう。
しかし悪鬼達は、まだいるのだ。
同胞の退路を確保するためならば、命など惜しまない者達が。
こちらへ進んでくる、黒い鎧の暗黒騎士団と、やや軽装の獣人の戦士達の数は、昨日より少なかった。
しかし陣形から指揮系統まで、ズタズタにされ、再編が遅々として進んでいない現状では、間違いなく脅威だった。
総指揮官の務めを果たすべく、迫り来る敵に対抗するための命令を下すために息を吸い込み。
「か、はっ……」
喉に矢が突き立ち、彼から全てを奪った。
「指揮官の排除を確認」
リタルサイド駐留軍でも指折りの弓兵として知られる彼女は、ことさらに誇る事もなく、いつもと変わらない、淡々とした声で報告した。
ダークエルフの耳に、指揮官が狙撃された事による混乱が微かに届く。
声というのは、意外と遠くまで聞こえるものだ。
それも、悲鳴や叫び声は特に。
「離れますよ。巻き込まれたくはありません」
ちらりと投石機の残骸を見やった。
熟練の弓兵の射程距離は、特に城壁の上からの打ち下ろしならば相当に長い。
それを超えるあの投石機の射程は、技術の進歩を感じさせると同時に、狂気の沙汰だった。
技術の進歩に、あらゆる物が追いついていない。そんな予感がする。
自分達の弓の有効射程距離を実質的に伸ばした『コンタクトレンズ』にしてもそうだが、こんな技術が全て戦争の……殺し合いのために使われる事に、どうしようもない違和感を覚えるのだ。
しかし、今はその是非をうんぬんすべき時ではない。
彼女は、同行者の足取りがふらついたのを見て、手を差し出して、自分に掴まるように促した。
黒いフード付きマントの隙間から、白い包帯が覗く。
「お怪我の具合は」
彼女の言葉に、黒いフードを目深にかぶった人影が、傷に響くのか、何事か口の中でささやくように言った。
「散り散りになった兵の捜索と再編を優先するのは分かりますが。意見具申をお許し下さい」
フードの人物が頷く。
「ご自愛下さい。その傷、軽くはありませんよ」
フードの人物が、今度は頷かない。
「……大人しくベッドで寝ていて下さるのが一番嬉しいのですけどね」
フードの人物がささやく声を、弓兵の鋭敏な聴覚が捉えて……ため息をついた。
「……そりゃまあ、あのご友人様なら、なんとかしてくれそうではありますけど」




