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病毒の王  作者: 水木あおい
6章

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焼け落ちた未来


 夏が終わる頃、実りの秋への見通しが本格的に立ち始める。

 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"によって滅ぼされた村や、殺される事を恐れた住民によって放棄された村の減産分は大きい。

 それでも、城壁内や大都市近辺などを中心に無傷の農地も多く、新たに切り開かれた畑も、備蓄もある。


 配分が難しいが、今年は豊作だ。平等に行き渡れば、飢える者はいないだろう。


 何より、最近は被害報告が減っていた。

 人類の叡智と結束が、かの非道の悪鬼を上回ったのだと、楽観ムードが流れる。

 城壁の中にいる限り、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"は手出し出来ない。

 都市の城壁は、一度も破られた事がないのだから。


 ――ただ一つ、どのようにして陥落したのかさえ分からない、そもそも"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の手によるものだったかも分からない、大火事によって焼失した砂漠のオアシス都市、ウェスフィアを除いて。




 月のない夜の闇の中を、黒い四つ足の影が、飛ぶように、滑るように、身を隠す物のない草原を駆ける。


「おい、あれ――なんだ?」

「獣? ……犬?」


 見張りが即座に報告すべきか迷い、最低限それが何かを見極めようと目を凝らしたその僅かな時間で、黒い四つ足の影は城壁の下に達し、助走の勢いを駆って城壁に取り付いた。


 そして見張りは、致命的な過ちを悟る。


 ただの獣ではない。


 自身を引きずり落とそうとする重力に抗い、爪を立てながら数秒で城壁を登り、城壁の上に掲げられた松明に照らされたそれは、黒い犬の姿をしていた。


 黒い犬の瞳に熾った石炭のような深紅の眼光が灯るに至って、見張りの一人が、敵襲を叫ぶ事も忘れ、呆然とそれの名を呼ぶ。



黒妖犬(バーゲスト)……?」



 それは、死神に等しい忌名だった。

 バーゲスト達が瞬時に喉元に食らい付き、一撃で頸椎を噛み砕き、見張りが無力化されていく。


 たった十匹ほどのバーゲストに、城壁の見張りと、城壁の下に開墾された畑の夜番、数十人が警告を発する事も出来ず、瞬時に食い殺される。


 ただ、さすがに完全に口を塞ぐ事は出来ず、一人が恐怖に駆られて叫んだ声が、異常を知らせる。

 しかし、夜中の事。緊急事態を知らせる鐘の音も、詳細を知らせる伝令もない、ただの悲鳴一つ。


 様子を見るべく、室内で待機していた兵が外に出るが、変わった音は何も聞こえなかった。

 それでも巡回に出たが、それでは遅すぎた。

 万全の態勢でも、間に合うか分からないほどに、攻め手は迅速だった。


 稼がれた時間を利用して、紫色のローブをまとった死霊(レイス)達が城壁に取り付き、軽やかに登り始めた。


 城壁をすり抜ける事こそ出来ないが、体重は生前と比べれば、それこそ羽根のように軽い。

 城壁の上に見張りの兵が残っていれば、無防備な登攀中はいい的だが、その見張りはもういない。


 降りる時はロープを垂らし、しかしそれを使わずに飛び降りる。

 素早く持っていた油袋から油をぶちまけると、一人が呪文を唱えた。



「"点火(ティンダー)"」



 後を追うように同じ呪文が詠唱され、炎が瞬く間に燃え広がる。


 死霊(レイス)達はロープを使って登ると、素早く回収し、さらに元来た方へ飛び降りた。

 バーゲスト達も後に続く。


 混乱に乗じれば、もっと被害を与えられただろうが、そういう命令だ。



 最低限だけを殺せ、と。



 それが、慈悲をもって下された命令ではない事は、命令された彼らこそがよく知っている。

 その命令は、なんでもないような表情で下された。

 躊躇いながらも理由を問えば、主は、特別な事を語るのとは違う何気ない口調で、ただ疑問に回答した。


 食料を欲する人間は、多い方がいいのだと。

 現地活動班には、機を見たこの一撃の後、潜伏し、攻撃作戦を一時休止する事が言い渡されている。


 一度『正確な数字』を人間達に自ら出させるために。

 これが最後の攻撃だったのかもしれないと、気を緩ませるために。

 こちらは次の活動に備えて、戦力を温存し、態勢を整えるために。



 そして彼らの主は、実に優しく微笑んで、「この国のために戦うお前達全員を誇りに思う」と言って、ねぎらってくれたのだ。



 恐ろしくてたまらない。


 自分達の主は、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"を名乗っている彼女は、部下にそんな優しい言葉をかけられるのだ。

 理不尽な命令を下されたと思った事はない。

 給料や休暇にも気を遣われていると感じる。


 そんな『まともな』ひとが、自分と同じ種族を絶滅させると宣言したのだ。


 同族嫌悪などという生ぬるい言葉で片づけられる所業ではない。

 果てしない憎しみと、途方もない怒りなしに、こんな事が出来るというのならば、そのひとは狂っている。


 それを持っていて、見せないでいられるというのなら――その胸の内を、想像する事さえ、恐ろしい。



 だから思う事はたった一つ、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"が、自分達の敵ではなく上官で良かったと、それだけだ。



 火が燃え広がり始め、炎上に気が付いた者達が必死に消そうとするが、油で勢いを増した火によって炙られ、水分の抜けた葉が次の燃え種となる。

 まるで、一足早く夜明けが訪れたかのような明るさだ。


 時間にして、十分間に満たない、鮮やかな襲撃。



 時を同じくして、他の城壁の内側の畑も、既に収穫された作物が収められた倉庫も、その多くが同時に襲撃された。



 どこも、警戒はしていたが、それはあくまで通常の物。

 これまで、この人数で大丈夫だったのだから、これからも大丈夫だろうという、過去の実績に基づいた城壁への楽観的な信頼。


 高く堅牢な城壁に守られた、人間の叡智と結束の象徴は、全て等しく、あっけなく焼け落ちた。


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― 新着の感想 ―
城壁内を攻めなかったのは攻める必要がなかったというより、様々な理由によって人間に夢を見せる一手だったのですね... 城壁内は安心という認識を与えるため ここぞという時に使える手を残すため 城壁外にも…
[良い点] 戦闘時においては、「数の多さ」は絶大なメリット。 しかし、内政面で言えば「消費者」としてデメリットとなる。 人は生きているだけでコストがかかる。それが多数となれば維持費は莫大。 そこに、…
[良い点] 死霊&黒妖犬のバディ機動力半端ない 同じ作戦をすぐに繰り返さないとこが慎重でいいです。 [気になる点] 死霊&黒妖犬の魔力供給 現地調達なんでしょうね。 [一言] 第三者目線の病毒の王は…
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