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病毒の王  作者: 水木あおい
6章

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レベッカとまほうのきほん


「で? 他に何か聞きたい事は? この際だから何でも言え」


「何でも? ――真面目じゃないのはどこまで許されるの?」


「リズがいるんだから自重しろ馬鹿」


 上司への罵倒を口にするのに何の躊躇いもないその姿は、本当に成長している。

 まあポジティブに考えれば、それを言っても、私が彼女をどうこうする事はないと信頼してくれている……のだろう。


 冗談ではなく、本音っぽいけど。


 しかも正論を交えているので、反論も出来ない。


「じゃあ真面目なのを聞くけど……魔法について……かな」


「範囲が広すぎるぞ」


「魔法の基本……かなあ。私、リズに教えてもらって、簡単な魔法使えるようにはなったんだけど、実は基本的な所とかよく知らないし、ちゃんと習ったわけでもないんだよね」


 私が使えるのは日常生活用魔法……"浄化(クレンジング)"、"点火(ティンダー)"、"保護(プリザーブ)"、そして、"粘体生物生成(クリエイトウーズ)"……など。


 リズが、文字通り手取り足取り、寄り添って教えてくれたので、割とドキドキした。

 しかし、私がまだリズの事を、リーズリットと呼んでいた頃で、彼女には全くそういう感情はなかったのだろう。


 ……この辺りの魔法は、魔族的には子供の頃に習う物なので、子供扱いだったのかも。



「それにほら! 私、魔力量そのものは多いみたいだし、訓練すれば攻撃魔法とかもどーんと!」



「訓練って言葉の意味を正しく理解しているのか? 素質がある者は多いが、軍で重用されるレベルの魔法使いとなれば、その素質を長い訓練で磨き上げた者達だ。お前には多分無理だ」

「冗談だってば」


「本気っぽかったぞ」

「あわよくばって気持ちがあった事は否定しない」


「……まあ、多分最初はお前に戦闘能力を持たせるのが危険だと思ったんだろう」

「多分ね」


 私は、無力な存在だからこそ、ある程度信用された所があると思っている。

 いざという時に、切り捨てるのが容易いからこそ。


「今となっては、お前の仕事に代わりがいない。魔法使いは貴重だが、もう誰もお前に、そういう能力を求めてはいない」


「でも、もう少し知識あった方がいいかなとも思って」

「それはそうだな」


 レベッカが頷く。


「それで、魔法の基本だったな」

「うん、なるべく簡単に」



「分からなくなったら言ってくれ。まず魔法というのは世界に存在する魔力の塊『マナ』の密度を変換する法則であり、その法則を踏まえた上で行使する技術だ」



「……日本語でお願い」

「にほんご?」


「あ、ええっと……ごめん、もう少し初心者向けに。頑張れば分かる気はするんだけど、そのペースで話されるとちょっと辛い」


「そうか……」

 レベッカが思案顔になる。


「……ああ、図書室で、丁度いいものを見た覚えがある。待ってろ」


 そう言って、レベッカが持ってきた横長の薄い本のタイトルは……実にタイムリーな『まほうのきほん』。

 表紙には淡く優しいテイストの、積み木で作られたお城のイラスト。


「ねえレベッカ。これ絵本って言わない?」

「丁度いいだろ」


 子供扱い。

 しかしそれはそれで。


「よし分かった。読み聞かせて」


「は? 自分で読め」

「命令してもいいよ? ――『魔王軍最高幹部が欲する知識を、専門家たる君に噛み砕いて解説してもらおう』――とか言って」


「……分かったよ。ほら、読んでやるから隣に来い」

 レベッカが、ぽん、とソファーの隣を叩いて示し、私はいそいそと向かう。


 本を開くと、そこには表紙と同じ優しい絵で描かれた、積み木ブロックが転がっていた。


「まほうというのは、つみきあそびみたいなものです」


 魔法というのは、積み木遊びみたいなものです。


「せかいには、ちいさなつみきがたくさんあります。わたしたちも、ちいさなつみきでできています」


 世界には、小さな積み木が沢山あります。私達も、小さな積み木で出来ています。


「そのつみきをつんで、おもいどおりのものをつくることが、まほうのきほんです」


 その積み木を積んで、思い通りの物を作る事が、魔法の基本です。


 ちゃんとゆっくり、優しい語り口で『読み聞かせ』してくれるレベッカ。こういうところ可愛いよなあ。


「……おい、聞いてるのか?」


「うん、聞いてる聞いてる」

 絵本なのもあって、主に見ているのはレベッカだが。


「そこだけでも、なんとなくイメージに役立つよ。分子……いや、原子みたいな物かな……。個人レベルで組み替えて干渉出来るのがどうかしてるけど……」


 レベッカが、開いたまま絵本をローテーブルに置く。


「……向こうの知識か? 魔法、ないんだよな?」

「魔法は、ないよ」


 高度に発展した科学技術は魔法と見分けがつかない、という言葉があったりするし、テクノロジーは一種魔法めいた領域へ足を踏み入れようとしていたが。


 それでも、あの世界に魔法はなかった。


「……ねえ、レベッカ。やっぱり私の知識、使う? ――そういう魔法もあるんでしょ? 本人が覚えていないような知識も引き出すような、精神魔法」


「……魔法理論も扱う身としては、お前の知識は……違う世界の知識体系は、喉から手が出るほど欲しいがな」


 苦々しい口調と、若干苛立たしげな顔で、眼鏡の真ん中を押さえる。

 眉間にしわが寄っているのは、私に怒っているのではなく、知識欲を精神力で抑え込んでいるゆえの表情だろう。

 ああ本当に欲しいんだろうなと、よく分かる。


「私は、この絵本のように……積み木は一つずつ積むべきだと思っている。そうでなければ、いつかどこかで、すっと一つ抜け落ちてしまうかもしれないから。技術の前提が崩れたら……きっとそれは、取り返しがつかない惨事になるから……」


 それでもレベッカは、自分の欲望を制御下に置いて、そう言った。


「……そっか」


 人が生み出した、人の手に余る技術がある。

 沢山の人を救うために生み出された、沢山の人を殺した技術。


「それにな。お前はどうやらそういった分野の専門家ではなさそうだ。口頭で聞いても、それほどまとまった知識は得られないだろう」


「それはそうだと思うけど、だから精神魔法で――」


 レベッカが、私が首に提げている護符(アミュレット)の紐を握り込んで、ぐいと引き寄せた。

 深紅の瞳が、眼鏡のレンズ越しに、間近で私を睨み付ける。



「二度と言うな」



「え?」


「お前、大雑把に知識入れすぎだ。――壊れるぞ。人間が……いや、知的生物が、そんな魔法使われたら。生理機能はともかく……心は持って行かれる。他人に掛ける精神魔法っていうのは、そういう人を人とも思わないような魔法ばっかりだ」


「……便利に聞こえるけどねえ。尋問とか」

「そういう人を人とも思わないような発言はいいから。……自分を大事にしろ」


 レベッカが護符(アミュレット)の紐から手を離し、私を解放する。


「分かったよ。お姉ちゃんとしては、可愛い妹の言う事は聞くよ」

「誰が可愛い妹だ」


 レベッカが「はっ」と鼻で笑った。


 その顔は、私の記憶の中の妹と、似ても似つかないけれど。

 遠慮のない距離感が、少しだけ。

 記憶の中の妹と、似ているような、そんな気がして。


 ふっと、自分の今いる所が、急に壊れかけの吊り橋にでも変わったような――そんな頼りなさに襲われた。


「……ねえ、私、精神魔法、使われたんだよね?」

「状況からすると……そうだな、間違いなく。術式は分からんし、分かったとしても……どうしようもないが」


 私の記憶に関して、正確な所は分かっていない。

 この世界に来る時に記憶が抜け落ちたのか、それとも、その後に隷属させるための精神魔法で、記憶が壊れたのか。


 どちらにせよ分かっているのは、それを壊すのは簡単でも、戻す事は出来ないというだけ。


「私の記憶、残ってるものが正しい保証って、ないよね?」

「……ない、な」



「……私に、妹って、本当にいたと思う……?」



 私の大切な記憶が、真実であるかさえ、私には分からない。

 誰にも、確かめられない。


「分からない。何も、はっきりした事は……言えない」


 レベッカは一つ息を吸って、私をまっすぐに見ると、一つの誤魔化しもない言葉を口にした。


「……その、なんだ。私も、な。割とあやふやな存在で、そういうの悩んだ事もあったが……」


 それでも彼女は、懸命に言葉を探してくれた。

 今ここにいる、私のために。



「……今は、割と楽しいぞ」



「ほんと?」

「ああ、本当だ。――『これまで』の事は、私には分からない。それでも『私がここに来てから』の事なら断言出来る。……お前にはリズがいるし、サマルカンドも、ハーケンも……私もいる」


 レベッカが、私を安心させるように、笑ってみせた。


「『これから』には、私達がいる。いてやる。それじゃ……ダメか?」

「ダメじゃ、ない。……ありがとね、レベッカ」


 私は、自分が何をなくしたかさえ、分からない。

 それでも、今何を持っているのかは、分かる。


 私は、この世界で生きていくために、必要な物を全て手に入れた。 



 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"という名前を。


 最高幹部のお給料を。


 郊外のお屋敷を。


 可愛いダークエルフの専属メイドさんを。



 幸せな日常を。



 ……そして、今私を元気づけようと、精一杯の優しい言葉をかけてくれるネクロマンサーさんもいる。


 向こうの世界では、もしかしたら一生知る事のなかった感情を、沢山知った。


 天秤の片方に、自分の大切な物を載せて。

 天秤の片方に、自分も属する人類という種族の存亡を載せて。


 それでもなお、自分の大切な物の方に、天秤を傾けられる。


 それが、私の思う『人間らしさ』だ。


「絵本、続き読んでくれる?」

「……ああ」


 レベッカが頷き、置いた絵本に手を伸ばす。


 その時、強い風が吹いて、ページがぱらぱらとめくれ、最後の、絵も文章も、何も記されていない白紙のページが開かれる。


 髪を手で押さえながら、思わず窓を見ると、レースのカーテンが風に遊ばれてはためいていた。


 まだ暦の上では夏なのに。


「風が……随分と涼しくなってきたね」


 まもなく、現地活動班の、暗殺班と黒妖犬(バーゲスト)に与えた任務……もしかしたら最後の作戦が発動される。


 通信機器のないこの世界では、リアルタイムの命令など望むべくもない。

 それゆえに、この命令は、時期を見て発動される。


 これまでは基本プランに沿って現地活動班によって獲物は選定されてきた。

 その基本は変わらないが、そこに私の指示が入る。


 人類が積み上げてきた物を、崩すために。



 私は、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"。

 種族、人間。

 目標、人類絶滅。



 私は魔王陛下に約束した。


 ――三年で人類を絶滅させてみせましょう、と。


 私がこの世界に来て三度目の、リストレアの短い夏が、終わろうとしていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 優しいなーレベッカ。 前回はマスターがレベッカを励まし、今回はレベッカが励ます。いい関係。 [気になる点] まほうのきほんのつづきにはなにが書いてあったのだろう 自重しない場合マスターはナ…
[良い点] レベッカさんも中々凄く可愛いです! 実は作者さんがキャラの魅力を引き立てる事が非常に上手いかも知れません!
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