新たなる契約
それは最早、聞くに堪えなかった。
人間というものを、なんだと思っているのか。
一体、人の尊厳というものを。
なんだと思って。
「――我が主の偉大さを語り尽くすには、時間が足らぬ。だが、その一端は伝わった事と思う。我らが同胞が抱く疑問があれば、お答えしよう」
「好き勝手言いやがってえ……」
私はフードを目深に下ろしてぷるぷると震えていた。
王城の玉座の間で、玉座手前に急ごしらえの演壇を設け、そこでサマルカンドが話しているのを聞いていた。
視線の先にはずらりと"第五軍"の悪魔達が並んでいる。
多種多様だが、全てが黒い体毛を持ち、山羊っぽい意匠の角や耳、尻尾が多い。
ほんの少しだが、リストレア様が人化した姿のような、人型も混じっていた。
私達がいるのは、いわゆる保護者席。来賓席と言うべきかもしれない。まあとにかくそんな感じで、後ろの方に椅子が並べられ、そこに"第六軍"の、サマルカンドを除いた序列上位の四人で座っている。
「サマルカンド、本当にマスターの事大好きですねえ」
「うむ。よくも一時間に渡り、熱を込めて語れるものよ」
「初めてお前に同情したかもしれない」
リズ、ハーケン、レベッカが、それぞれの感想を述べる。
私は羞恥に耐えながら、言葉を絞り出した。
「お前の中で私はどうなってるんだ? サマルカンド……」
基本的には、サマルカンド加入後の"病毒の王"の戦歴を軽く振り返り、そしてそこで彼個人が果たした役割を、機密に抵触しない程度で語る……という形式。
軍事的事実に反している所は、ない。
しかし、この"病毒の王"は事実とは違う場合がございます、とでも言うべき存在になっている。
『卓越した知性から導かれる冷徹にして苛烈な作戦』だの。
『敵に対しては一片の慈悲もなく、しかし部下を慈しむ』だの。
『溢れ出る魅力によって軍内外を問わず、絶大な人気を誇る』だの。
誰だそれ。
サマルカンドの声は渋みがあり、軽く拡声魔法も使われているために朗々と響き渡り、何より自信に満ち溢れた語り口によって……耳に残る。
私が、彼の語る十分の一でもそのようだったらいい、とは思うが。
とりあえず、修飾語が過剰すぎる。
「褒め殺しって破壊力ありますね」
「あるなあ」
リズとレベッカが私を挟んで頷き合う。
「……まあ、そんなひどく間違ってはいませんけど」
「え、リズには私があんな完璧超人に見えてるとか?」
「それだけはないです」
ばっさりいくリズ。
相変わらず癖になる切れ味の鋭さ。
「……まあ作戦成功率も貢献度も高いですし、私が知る範囲では、部下にもそれ以外にも、結構人気ありますよ。……実情を知っているかどうかにもよると思いますけどね」
その後に続く優しいフォローが、まさにムチとアメ。
……が、最後に付け加えられた言葉がちょっと気になったので、もしかしたらムチとアメと、さらにもう一つムチなのかもしれない。
しかし、サマルカンドの前ではかなり気を抜いているので、駄目な所も見ているはずなのだが。
さっき彼が言っていた『我らに気を遣わせまいと、平時は作戦時とは違う振る舞いを見せる』って……もしかして……いや、サマルカンドの事だから、まず間違いなく……。
正に究極の言い換え。
しばらくデーモン達はざわざわとしていたが、ややあって一人が手を挙げ、サマルカンドに指名され、発言した。
「"血の契約"によって不利益をこうむった事は?」
「あろうはずがない。我が主は偉大にして慈悲深きお方であり、誰よりも我が能力を理解し、私を上手く使って下さる。――そこの方」
「"病毒の王"は人間であるという話だが……頼りない主だと思った事はあるだろうか?」
「そのような事はない。我が主の素晴らしさは種族を超越している。しかし、もしそのような姿をお見せ頂けたなら、歓喜を覚えるだろう。――そこの方」
「"病毒の王"が、人の身で黒妖犬や、元"第四軍"の死霊騎士に忠誠を誓われているというのは、まことか……?」
「契約に誓って真実である。日常的に信頼を深めている姿は尊いとしか言えぬ。――そこの方」
まさかそれ、この間、庭で死霊騎士達と一緒にバーゲストをモフった時の事を言ってるんじゃないだろうなサマルカンド。
その後も滑らかに、実に彼独自の解釈で質問に答えつつ、"病毒の王"に怪しげな属性を盛っていくサマルカンド。
割と好評だったようではあるが。
"病毒の王"と、そして他軍で働くという事に関して妙な誤解が広まらないかは……少しばかり心配だ。
私達は講演会(仮)が終わった後、いつもは陛下と内々に謁見する応接室でリストレア様と顔を合わせていた。
反省会的な物なのだが、どっちかと言うと慰労会。
お茶とお菓子など出されて、甘いもので体力回復を図る。
「……実に慕われているのだな」
「……ええ、まあ」
リストレア様のお言葉に、力なく頷く私。
サマルカンドの気持ちは、以前より分かったような気がする。
……一方で、もっと分からなくなったような気もする。
「陛下と……お話などは?」
「ん……拒絶まではされていないが、乗り気というわけでもないようだ。……そうしたいのなら受け入れるが、重い決断であるから、もう少し考えた方がいい、と。私自身の心が決まっていないのを、見透かされたのであろうな……」
"血の契約"とは、自分の全てを捧げる契約だ。
通常の魔法的な契約とは、拘束力が比べ物にならない。
お互いの合意をもってしてさえ、破棄が出来ないのだ。
リストレア様が、並んで座っている私とリズを見た。
「しかし、な。今日の事で、心が決まった」
「え、今日の事で?」
「ああ。――気持ちで負けているものか、と。私の命は、初めて会った時から、あの人の物。あの方が掲げた『リストレア魔王国』という旗の下、理想を共に歩むと決めた」
リストレア様の金の瞳に、意志の炎が揺らめくように、オレンジ色の淡い輝きが灯る。
彼女は胸に手を当てて、宣言した。
「――自由であろうとなかろうと、私はこの国の魔王軍最高幹部。"第五軍"、序列第一位、"旧きもの"」
そして口元を緩める。
「悔いを残したくはない。配下に強制しようとは思わぬが、私は陛下へと契約を願う。……少しでも力となれるなら」
悪魔を中心に構成される"第五軍"は、竜とその補佐の人員で構成される"第一軍"に次いで少数精鋭。それでいて、リストレア魔王国を象徴する魔法使い達が集う部署だ。
……しかし悪魔がいかに強大とはいえ、数で負けている現実がある。
手数で劣れば、防御の負担は増す。逆も同様。
かつて城壁の上で、多分"第五軍"のデーモンの攻撃魔法で死にかけた身としては、その火力を侮るつもりなど毛頭ないが。
技術と国力の向上が、種族的な優位を、過去の物にしつつある。
戦場で勝敗を、そして生死を分けるのは、僅かな差である事も多い。
その僅かな物を、積む事が出来るなら。
リストレア様が少し目をそらし、ぼそりと呟く。
「……後、サマルカンドが少し羨ましく見えたし」
「え、リストレア様? それ大丈夫なやつですか」
思わず聞いてしまう。
「別にもう道具でもいいかなって」
「待ってリストレア様。多分陛下そんなつもりないですから。本当にちゃんと話し合って下さい」
「……他人の事だとよく分かるんですね」
「リズ、それはどういう意味かな」
「いえ、マスターはサマルカンドより重くて、そのくせ自分の事には割と無頓着だって話です」
彼女の言う通り、サマルカンドと私は、多分同類だ。
でも、その上でやっぱりサマルカンドの方が重いと思う。
そして。
「無頓着? それはない」
「そうですか?」
「うん。……私は、リズが一緒にいてくれるだけで、よかったんだ」
隣のリズとの距離をゼロにして、ぎゅっと抱きしめる。
「ま、マスター。……"旧きもの"様の前……ですよ?」
「今は非公式だからこれぐらい許される」
リズが一緒にいてくれるだけで、いい。
そして、そんなささやかな未来さえ、人類との戦争に勝ってしか得られない、夢物語だ。
「私は、道具でもいい。お飾りでも、囮でも、なんでもいい。リズといられるなら。この国で、生きていいなら」
「……私は、道具は、嫌ですよ」
リズが、私をぎゅっと抱きしめ返す。
私を、繋ぎ止めるように。
「私はあなたの副官で……アサシンで、メイドで。その立場は、私にとって、大切な物で。でも、その立場を全部抜いても……大好きですよ」
「……リズ」
そっとリズの頬を撫でて、それを追うように、軽く頬に口付けた。
「ま、マスター。だから人前です」
「人前だから、これでも自重した方だよ」
「自重しなかったらどうなるんですかそれ」
「それを言ったら自重した意味がないよね?」
本当に、自重した方だ。
後、最初に可愛い事を言うリズが悪いと思う。
――後日、公式に魔王軍最高幹部にして、"第五軍"軍団長たる"旧きもの"が、魔王陛下と"血の契約"を交わしたという公式発表が行われた。
軍内外を問わず、様々な噂が飛び交った。
魔王陛下と"第五軍"の結びつきの強さを示すアピール。
何らかの失態を犯したゆえの懲罰。
来たるべき戦いへ備えての戦力増強。
噂の中には、的外れな物も、真実に近い物もある。
まあそれが噂というものだ。
「契約する前は不安だったが、思ったよりもいいものだな。力も増したし、いつでも陛下を感じていられる」
「それは何よりです」
……で、何故か、噂の人"旧きもの"が、人化して偽装した姿で"第六軍"の本拠地たる、"病毒の王"の屋敷へと通ってくるようになった。
リストレア様も最高幹部だし、自分の時間が自由で、かつ陛下の時間が空いていない時限定だが、それでも結構頻繁に顔を見せる。
私も知っているが、真面目にお仕事の予定が入っている時でも、その気になれば隙間時間が結構あるのだ。
「お菓子も美味しいし。さすが"病毒の王"の伴侶」
「はんっ……い、いえ。お褒めに預かり光栄です」
リズが持っていたお盆で口元を隠すが、一瞬見えた緩んだ口元はともかく、紅の差した頬や、ちょっと上がった耳や、ぴこっとしたマフラーなど、明らかに嬉しそうなのは隠せていない。
リストレア様も割と楽しそうだし、何より、こうしてたまにリズがいつもと違う表情を見せてくれる。
「ふふ……」
「……やけに楽しそうですねマスター」
そう言うリズも、呆れ声を作っている割にやっぱり結構楽しそうだとか、そんな野暮な事は指摘せず、隣に座った私の伴侶さんに、腕を絡めて笑顔を向けるだけに留める。
人前なので、それ以上の事はない。
けれど、リズも肩を寄せてくれた。
――余談だが、"血の契約"による基礎能力向上は、契約者の力にも左右されるらしく。
魔王と呼ばれ、建国時、癖の強い荒くれ者達を、カリスマと……その腕でまとめあげた陛下は、魔法使いとして相当な実力を有しており。
その能力向上率は、契約後、以前と同様の偽装しかしていないリストレア様の訪問の際に、リズとレベッカが思わず顔を引きつらせるほどだった。
徹底的な魔力隠蔽がお願いされたのは、言うまでもない。




