思いきり叫びたい時は誰にだってある
私は、仮面を外し、大きく息をついた。
たった二十七年かそこら生きてるだけの小娘の経験値では、ああいう交渉は寿命が縮まる思いだ。
陛下に丸投げされた時は、『"病毒の王"に和平交渉を任せるとか正気か?』と思ったものだ。
しかし「まともな交渉にはならぬだろうから、"病毒の王"らしく振る舞えば後は好きにしてよい。全権は託すが、判断がつきかねるようなら先延ばしにしてよい。そなたが独自に判断出来ぬ事態が起きるとは思えぬが……」と言ってくれたので、大人しく拝命したのだ。
全くその通りだった。
リズが、謁見の間に戻ってくる。
「……帰った?」
「はい。暗黒騎士団の方に任せてきました。マスターの言う通り、使者だから殺しちゃダメ、安全を保証するようにって、もう一度念を押しておきましたよ」
「うん、ありがとう。こっちから使者を送る事はないと思うけど、『使者は無事に送り届けるもの』っていう最低限の常識は向こうにも求めたいからね」
まともな交渉にはならなかったし、人間と交渉の余地があるとは思っていない。
ただ、こちらから神経を逆撫でする必要はない。
「……リズ。これで私のお仕事終わったかな?」
「はい」
「気を抜いていい? ていうか、叫んでいい?」
「お待ちを。各自、周辺索敵。接近している者、及び音漏れの可能性があれば報告しなさい」
「周辺に、我らと我らの配下以外の者はおりませぬ」
「サマルカンド殿と同様だ。変わった気配はないな」
「窓も扉も閉まっている。防音の術式があるから、外には聞こえないはずだ」
サマルカンド、ハーケン、レベッカがそれぞれ報告したのを受けて、リズが頷く。
「では、問題ありません……どうぞ、存分に」
私は、一度呼吸を整え、そして息を吸い込んで。
「――つっかれたあああああああああああああああああああああああああああ!」
思いっきり叫んだ。
「何あの講和条件! 馬鹿じゃないの!? 考えた奴は馬鹿だ馬鹿! あんな条件呑むと一ミリでも本気で思ってたら首吊って死んだ方がいい! あの使者さんも人間的には悪くないけどあんなアホな条件呑めるかアホ! 私が言ったのも大概馬鹿でアホだけど、あれでもヌルいわ! あれでも! ていうかああっ……ああ、もう! さっさと人間滅べ――――!!」
自分の叫び声で、耳がわんわんとする。
あまりにも叫ぶのに力を入れすぎて、この一瞬で息が切れ、額に汗が滲んでいた。
「……ふう」
ローブの袖で汗をぬぐう。
「散々言いましたね……」
「子供かお前は……」
リズとレベッカが呆れ顔で私を見る。
「たまにはこれぐらい言わないと」
思いきり叫んだのと、二人の多少温度の低い視線でクールダウンした。
「というか部下の前で言う事か?」
「それは違うね、レベッカ。みんなの事を信頼してるって事だよ」
「恐悦至極にございます。立派な振る舞いでした」
「まさしく。荒事ではないゆえ、我の出番はなかったが、普段の姿を見ている身としては、感服せざるを得ない」
サマルカンドが恭しく頭を下げ、ハーケンも褒めてくれる。
「いつもあれぐらい、しゃんとしててほしいんですけどね」
「リズ。オンオフの切り替えは、いい仕事のためにも大事なんだよ?」
「それは分かりますが、マスターは極端すぎませんか?」
「仕事はちゃんとしてるじゃない」
「……まあ、それはそうですけど」
リズが不承不承頷く。
「確かにな。いつもあのように振る舞っていては、心労が溜まるだろう」
「主君に、本音で話せる相手と思って頂ける事は光栄の極みだ」
「我が主の素晴らしさに、本当は演技など必要ありませぬ。しかし、それをお見せ頂ける事こそが、お仕えする喜びでもあります」
レベッカ、ハーケン、サマルカンドは、同意してくれる。
しかし、サマルカンドの感想は特殊極まる重さだ。
いつもの事なので、慣れてはきたけど。
「後は、陛下に提出する報告書ですね」
「誰か代わりに書いてくれないかなあ」
「マスター、いつもちゃんとしてるじゃないですか?」
「『そう出来る』のと『それが好き』なのはちょっと違う」
私が"病毒の王"を名乗っているのは、そう出来るからだ。
それが必要だと、思っているからだ。
けれど、非道の悪鬼、人類の怨敵と呼ばれる事に慣れはしても……好きにはなれない。
「まあとりあえず、休憩といたしましょう」
「うん、談話室行こうか」




