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病毒の王  作者: 水木あおい
6章

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愚かな言葉


 交渉の終わりが、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"より告げられる。


「…………」

 しかしそれも、無理のない話だ。

 自分だってそうする。


 国境線の守りを放棄し、さらに賠償に金貨と食料を支払え……と、一方的に要求されたのだ。


「実は私は、今日の交渉を楽しみにしていたのだ。リストレア魔王国が築かれて以来、歴史上初めての交渉の席において――果たして、どのような条件が出されるのか……とな」


 交渉がされてこなかった理由は、いくつかある。

 けれどその一番強い理由としては……人間は、交渉をする意味を、持たなかったのだ。


 魔族を滅ぼす事に、何の疑いも持っていなかったから。

 魔族を滅ぼすために、人類はまとまったから。

 魔族が敵の方が、都合が良かったから。



「今回のこれは、一度は交渉をしたという、ただの国民向けアピールをするための小道具だったようだ……」



 だからもう、これは交渉などではなかった。

 最後通告であり……万が一呑めば、後は弱体化した小国。どうとでもなる。


 それならそれで、もう少しまともな条件を提示してほしかったものだが。

 確かに……安い挑発だ。


「早々に帰国されるがよい」


「待って頂きたい!」


 しかし彼は国を――人類の未来を憂える外交官であり、ただの使い走りで終わるつもりはなかった。


「……確かに、この親書はそのようなものだったかも知れませぬ。しかし、私もこの交渉を大切に思っております」


 自分が帰らなければ、それを口実に士気を上げるぐらいの事を、『上』は考えているに違いないが。

 そのための道具として使い潰されるのはまっぴらだった。

 幸い、言葉は――驚くほどに――通じるのだ。



「どうか、この場で、この親書に記された物ではない、新たなる条件で講和を考えて頂きたい」



「失礼。貴官に、そのような権限があるとは思われないのだが?」


「……確かに、私にはない。だが、返答を伝える事が出来る。改めて正式な交渉の場を設けるための、下準備とする事が出来る!」


 自信を持って言い放ち、次いで深々と頭を下げた。


「この戦争を終わらせるために、どうか」


 理で迫り、情に訴える。交渉の基本だ。

 ……人間相手なら、という注釈は付くが。


「……ふむ……」


 顎――があるとして――に手を当てて、考え込む様子を見せた。

 しかしすぐに思考をまとめたらしく、軽く頷く。

 そして椅子に腰掛け直した。


「そうまで言うからには、腹案があるとお見受けした。まずは聞こう。語られるがよい」


「はっ」

 頷き、目らしきものをまっすぐに見つめて、腹の内を語っていく。



「――国境線は現状のまま。賠償はなし。――以後の非戦を確約する。お互いに、お互いの国に干渉しない。私の考える講和とは、そのようなものです」



「ほう……?」

 確かに、興味を持った。


「貴官は、少しは話せるようだ」


「この条件を呑んで頂ければ、戦争を終わらせる事が出来る。私は国では政争に負けた貴族ですが、地位自体は高い。賛同する協力者も多い。何より、国民の多くは平和を望んでいる!」


 彼は、平和を愛していた。

 間違いなく真剣に。


「どうか、この条件での講和を、真剣に考えて頂きたい」


「貴官は、平和の大切さを理解しているようだ。その点は好感が持てる」

 重低音なのは変わらないが、優しささえ感じられる、柔らかな声色。


「では……」



「――だが、愚劣さでは、先の親書の条件を決定した者達と、そう変わらぬ」



「な、何故!?」

 好感触、との印象が急転直下で裏切られ、彼は思わず狼狽の声を上げていた。


「ほう?」

 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の声に、嘲弄の色が混ざる。


「何故? 何故と?」

「はい」



「私は、自分の愚かさも分からぬ事を証明するような質問に、答える舌を持たねばならないか?」



「……これが交渉であると認識して頂けるのならば、なにとぞ説明は頂きたい。私は愚かかも知れませぬが、両国の事を考え、現実的に出した講和条件のつもりです」


「人間的には好感が持てるな」

 魔族が言うには、全くもって皮肉な台詞だった。


「……一つ問おう。貴官は、この戦争を、いつから始まったものとする?」

「……三年ほど前、でしょうか。貴方が始めた戦争です」


 ぎしり、と空気が軋んだ。

 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"を除いた、居並んだ者達全員が、視線だけで殺せそうなほどの感情の塊を乗せて、一斉にこちらを睨み付けていた。


 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"が、軽く手を振る。


「よせ。我らは使者に手を出すような蛮族ではないのだぞ。……だが、この話は終わりだ」


「……何故ですか?」

「この戦争は、歴史を紐解くに、四百年は前から続いている」


 四百年前。それはもう――人の身には、遠い時間だった。

 少なくとも人間にとって、生き証人は誰もいない。 


「その頃の国境線と言うのならば、まだ交渉のテーブルに着く事は出来るが、な」


「……"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"殿。貴殿が望む、現実的な、講和条件とは……?」


「現実的な、か。……貴官に言っても仕方ない事と、思われるのだがな」

「お互いに条件を出し合う事が、交渉の開始地点であると考えます」



「では、ランク王国、エトランタル神聖王国、ペルテ帝国、全ての国土を頂こう」



「……は?」

 何を言っているのか、分からなかった。


「賠償金も相応に。食料も限界まで供出して頂く。武装は全て、これを認めない。魔法使いと呼べる者は、全て処刑して頂く事になる」


 言っている内容が脳に染み渡っていくにつれ、脳が理解を放棄する。


「勿論、王族や貴族、指導者層の命は保証しよう。歯向かわぬ民も、な。小国家群まで取ろうとは言わぬ。大陸の端とはいえ、温暖な地だ。そこで暮らされよ」


「――それは、それはっ……!」


 思わず、悲鳴のような声を上げていた。

 どうやったら、こんな発想が出てくるのだ?


「そのような、それこそ愚にもつかぬものを、貴殿は『現実的』と!?」


「そうだ」


 軽く頷いて……そしておそらくは、首を傾げて見せた。

 分かりやすいジェスチャーが、かえって理解を拒ませる。


「これでも、最大限の譲歩だが?」


 彼の心中に、怒りが湧いた。

 非人間的な存在であるという事は知っていた。しかし、知っていただけだったのだと、分かる。


 こんなものを最大限の譲歩と言うのか。こいつは、この悪鬼は!


「……これは、我らが先程突きつけられた要求に等しく……そしてこの四百年に渡り行われてきた事だ」


 怒りを叩き付けようとした瞬間、気勢が削がれる。


「我らは大陸の北方に押しやられた。かつて住み慣れた土地を追われ、この地で生きる事を余儀なくされた。これ以上、何も奪わせない」


 仮面に刻まれた『眼』が、強く輝く。


「――リタルサイドを放棄? 言ってくれるではないか。お前達は、リストレアの全ての民に死ねと言った。そのような者達の言葉が、届くものか」


 彼は気圧されつつ、懸命に食い下がった。


「……あの条件が愚劣だった事は……あくまで個人的にではあるが、認めてもよい。しかし! 私が言ったのは、あくまで現状維持だ。リタルサイドの放棄など求めてはいない!」


「……これは『交渉』だ、と認識していたが?」


 心底不思議そうな――声。

 人間の物とは思われないような重低音なのに、そこに人の感情が込められている事が、分かるようになってきた。

 同時に背筋が寒くなる。


 それは彼にとって、人でないものが人であるかのように振る舞っている証拠としか、思えなかったからだ。


 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"が素っ気なく言い放つ。


「貴官の提案は、所詮何の裏付けも、重みもなく、それでさえそちらに都合が良い妄想に過ぎぬ。私は、しかるべき責任と権限を持った使者との交渉を期待していた。このようなお遊戯会ではない」


 あまりに辛辣な、嘲りさえ込められず言われた内容のあまりの酷さに、羞恥と屈辱に彼の顔が赤く染まった。

 本来言うつもりではなかった、人間全てが抱えている鬱憤を叩き付けるように叫んだ。



「……"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"殿。貴殿は、我らが国の国民を殺している。戦士ではない、力を持たぬ者を、無辜の民をです! どうお考えなのか!」



「私には、何を責められているのか、分からない」

 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"は、本当に言葉通り、彼が言っている内容が分からないかのように、首をゆるゆると横に振って見せた。



「――人間が始めた戦争だ。戦争で人が死ぬなど、当たり前ではないか」



「戦争で死ぬのは戦士だけであるべきです!」

「誰が、そのように決めたのだ?」


「……誰、が?」


 彼は、呆けたようにオウム返しにするしか出来なかった。


「それは、貴官の、勝手な思い込みに過ぎない。少なくとも、人間の共通認識ではないな」


 一瞬"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の視線が落とされ、光り輝く紋様と単眼が、フードの陰に隠れ、光を失った事で薄暗い部屋がさらに暗く感じられる。

 視線が上げられると、『目が合う』。


 単眼が一際強く輝き、揺らめいた。

 その眼光だけで、気圧される。



「戦士ではない、力を持たぬ者。非戦闘員が殺されぬ戦争など、そのようなお行儀のよい戦争など、私の知る限り、人間が行った戦争の中に、一度もなかった」



 その『お行儀の悪い戦争』を主導している張本人の言いぐさとは思えない言い方は、神の言葉を預かった神官が言葉の如く、厳粛に響き渡る。


「主に、我が国の、貴官の言うところの『無辜の民』が殺された。戦士ではない、力を持たぬ者が、戦士であり、力を持つ者に殺されていった。ゆえに我らは……種族の垣根を超えて、国としてまとまった……」


「……謝罪はしませぬ。それが、現実であったでしょう。ですが、それをよしとしてはいけませぬ!」


 彼の言葉に、病と毒の王は、小さく笑った……ようだった。



「……私も、かつては、その中の一人だった」



「っ……」

「その論理は、弱者に黙って死ねと言うのと同じだ。そしてお前達人間にとっては、いつも自分達人間が強者であるのだろうな。そうでなければ、気が済まないのだろうな」


 人間でないものが、人間を語る滑稽さに、歯噛みした。


 けれど何故だか、反論出来ない。

 心の底の何かが、その言葉が真実だとささやく。


「貴官の言葉は、私の人間らしい心を潤すようだ。人間全てが貴官のようであるならば、この戦争はもう少しマシなものになっていたかもしれないな。……私達は、戦わなくても良かったかもしれないな」


 人間と魔族は、戦争をしている。


 けれど……『魔族』とは、人間でない種族の総称なのだ。


 ダークエルフ、獣人、不死生物(アンデッド)悪魔(デーモン)、そして(ドラゴン)



 リストレア魔王国では、違う種族同士が、手を取り合っている。



 もしかしたら、その中に人間がいたかもしれな――


「だが、現実は違うのだ」


 思考が、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の言葉に強制的に打ち切られる。


 そうだ。

 現実は変わらない。

 人間と魔族は、敵同士なのだ。


「では、この戦争を、どこで終わりにするのです……?」


 彼は、思わず、ささやくように問うていた。


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― 新着の感想 ―
生まれたときから魔族と戦争をしていて 魔族は敵であると教えられ 守るために戦わなければ殺される そして三年前から人間に大きな被害が出始めた 生き証人も真実が記された歴史もなく... 北にいる魔族と触…
[良い点] なんで人間は魔族とたたかっているの? 基本問題。そこからかぁ~ [気になる点] 三年前て認識の違いが凄いですね。 しかし自国に被害がでだしてからの換算とすれば納得。 [一言] 最後それ聞…
[一言] 「戦争で死ぬのは戦士だけであるべきです!」 この台詞に対して、この戦争でエルフが滅亡した理由を聞いてほしかったですね。 死ぬのが戦士だけなら種の滅亡はありえないですから・・・
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