ガナルカン砦攻略戦と呼ばれたもの
ここ三日ほど、リズとベッドを共にしている。
色っぽい話なら幸せだったのだが、そういう話ではない。
獣人軍駐屯地に『お招き』いただいた夜に誘ってみたら、「添い寝だけですよ」とは言われたものの、素直に受け入れてくれた。
好感度が上がっているからだといいな。
今日も、明かりを消して、リズとベッドに潜り込む。
「でもなんか、懐かしいね」
「何がですか?」
隣に寝転がったリズが、私に視線を向けるのが気配で分かった。
「頻繁に殺されそうになるのってさ」
「……それ、懐かしいって言葉使うのには不適切だと思うんですよ」
リズが正しい。
けれど、私も間違っていない。
「過ぎ去った思い出は、何もかも懐かしいものだよ。それに、私が殺されそうになった時は、その度にリズが頑張ってくれたからね」
「えへへ……」
ほとんど真っ暗だが、リズが頬を緩めているのは間違いない。
暗闇の中そっと手を伸ばして探ると、リズが捕まえて、指を絡めてくれた。
「……でもマスター。私、今回は、本当に怖かったんです」
「リズが? どうして?」
「……あなたを、失うと思いました」
「……大丈夫だよ。いつも、殺されるかもしれないって思ってるけど……いつ死んでもいいとは、思ってないから」
私には、殺されるだけの理由がある。
多分、正当な理由と呼ぶに足るものも、沢山。
「私は、"病毒の王"としての全てで、生き残ってみせるよ」
けれど、それは私が大人しく死んでやる理由には、何一つ足りないのだ。
「……くれぐれも頼みますね」
「ところで、さっきのって告白?」
握っていた手が、ぺっ、と放される。
「勘違いしないでくれますか。というか女同士なの忘れてやしませんか」
「忘れてないよ?」
「じゃあ、ふざけるのやめて下さい」
「私は、ふざけてないよ。――この世界に来てから、一度も」
リズが呆れ顔になった……かは私からはよく見えないが、そんな気配がした。
ダークエルフであるリズは、この暗さでも私がどんな表情をしているかまで分かるはずなので、精一杯、真面目にしている。
「その言葉自体が既にふざけ――……」
途中で、言葉が止まった。
「どうかした?」
「……今まで、どこまで知っていいのかと、思っていたのですが」
「うん」
「マスターはこの世界に来た時、どんな風だったんですか?」
「……どんな風? だいたいリズが知ってる通りだけど?」
「私が知らない時間、ありますよね」
リズが知らない時間。
「……あったっけ?」
私は、"病毒の王"。
私がいつも名乗っている名前は、リズがくれた。
私がいつも着ている服は、リズが作ってくれた。
私がいつも最高幹部として振る舞う隣には、リズがいる。
「マスターがこの世界に来てから……私に会うまでのことです」
「話したような気もするけど」
「ふざけながら、でしたよね」
ふざけた覚えはない。
しかし、少しばかり内容をぼかして脚色した覚えはあった。
「リズが知ってる事は?」
「マスターが、ガナルカン砦攻略戦において多大な戦果を上げたという事。それによって魔王陛下に謁見する機会を得て、その場での提言から取り立てられ……後に、"病毒の王"の名前と、最高幹部の地位を授かった事……です」
それが、私のプロフィール。
リズは『必要』なことは、全部知っている。
「謁見の中身は?」
「知りません。ご存知の通り、謁見までの監視と護衛を務めさせていただきましたが……謁見の場では陛下の護衛担当がその任に就いておりましたので」
ふむ。
そういえば、私がこの世界に来てどんなことをしたのかを、リズと真面目に話す機会は、なかった気もする。
あまり思い出したくない記憶だったというのもある。
けれど、さっき彼女に言ったように、全ては過ぎ去った過去。
たった一年と少しだというのに、今はもう、懐かしさすら感じる。
「……マスター、結局ガナルカン砦で何をしたんですか?」
「ちゃんと話すと、長くなるかもよ?」
「長くなっても、いいです。……マスターの口から、聞きたいです」
真剣な、リズの声。
ベッドの中でその声を聞いていると、私も彼女に聞いてもらいたくなった。
「そっか。じゃあ、そうだね……何から話そうか……」
私は、この世界に初めて来た日の事を、改めて懐かしく思い返していた。
どうせしばらく眠らないのだから、とベッドサイドのランプを点ける。そのまま光量を絞った。
魔力灯自体は一般にも普及しているが、ランプシェードの装飾といい、光量調整機能といい、『光ムラ』のない柔らかな明るさといい、高級品だ。
昔の私には、思い描けなかった未来が、今ここにある。
真剣な瞳で私を見つめるリズの顔を見た後、天蓋ベッドの天井に視線をやった。
「――私は、城壁の上にいた」
私は、あの戦場にいた。
建国以来、唯一魔族が攻撃側に回った攻城戦。
ガナルカン砦攻略戦。
ランク王国を中心に、帝国と神聖王国、三大国の戦力が投入された、国境付近に築かれた大規模な砦。
それは、リストレア魔王国の喉元に突きつけられた刃だった。
幻影魔法を駆使して建設が秘匿され、魔族からすれば一夜にして築かれた砦。
絶対に、攻め落とさなければならない。
本国攻めの橋頭堡となり得るそんな砦を、放置は出来ない。
けれど、魔族が今まで四百年の長きに渡り国境防衛を果たしてきたのは、それが防衛戦であったからだ。
ゆえに、人間は同じ事をしようと考えた。
攻めてくればこれを討ち取り、出血を強いる。
放置されれば、そこを起点にリストレア魔王国に攻め込む準備を、着々と続けるだけ。
現状維持を望む派閥からすれば扱いに困る、戦争を望む派閥をまとめてぶつけ、相手の血を流しつつ、維持するだけで予算を喰う軍隊を適度に縮小する。
……という冷徹な計算すら込みにすれば、一石二鳥どころか一石三鳥の『素晴らしい作戦』だった。
勝利でさえ、きっと勝利とは呼べない。
それでも、その脅威を放置すれば、国境防衛さえ果たせなくなる。
リストレア魔王国は、攻城戦に適した戦力を選抜。"第五軍"に属する魔法使いである悪魔と、"第二軍"暗黒騎士団の連携によるガナルカン砦攻略を決定した。
総指揮は、リストレア魔王国、魔王軍最高幹部、"第二軍"暗黒騎士団の騎士団長、"血騎士"、ブリングジット・フィニス。
私は、その場に召喚された。
私を召喚したのは、リストレア魔王国――魔族の人達『ではない』。
同じ人間に、召喚されたのだ。
どうして私が召喚されたのかは、今でも分からない。
きっと、誰だってよかったのだろう。
だって、私をこの世界に喚び出した人達は、召喚に精度なんて求めなかった。
『魔力袋』として、攻撃魔法と防御魔法の、燃料タンクとして人間を使うという目的だったのだから。
それなりの魔力量があれば、誰だってよかった。
自分達でなければ、誰だってよかったのだ。
そもそも、この世界に召喚されたのは私だけではない。
他にも沢山の人達がいた。
全ては後に知った事になるが、それは現場の独断ではなかった。
対魔族同盟の円卓会議によって認可された上で行われた、正規の作戦だった。
少ない犠牲で、勝つために。
私は、その人達が何と戦っているのかなんて、知らなかった。
ただ、会社帰りのスーツ姿のまま魔法陣に投げ出されて。
精神魔法を掛けられて、後ろ手に縛られて。
食事は口の中に薄いスープを流し込まれるだけ。
しかし、精神魔法を掛けられていたせいで、ぼんやりとした記憶しかない。
多分、それは幸いな事だろう。
もしかしたら、私自身の防衛本能という可能性もある。
召喚の儀式は、適当を極めた。
多少は、魔法を知識として理解した今なら分かる。
喚び出す相手もはっきりしないままの『召喚魔法』など、失敗しない方がどうかしている。
いや、『失敗』はなかった。
召喚魔法における失敗は、大きく分けて二つ。
召喚陣の暴走によって、術者の死亡を含む何らかの損害が発生する場合。
そして、目当てのものではなく、他のものを喚び出してしまう場合。
だから、後者の意味での失敗はなかった。
目当てなど、何もなかった。
ただ、人間でさえあれば、それでよかった。
いや、人間ですらなくても、魔力さえあれば、それでよかったのかもしれない。
魔力を搾り取れるなら、なんでもよかった。
それは、漁業に例えるなら、適当に網を張ってどんな魚でもいいから捕まえるような、資源保護の観点から見ると到底推奨されないやり方。
適当ってレベルじゃねーぞ。
ほんの少しでも『人権』や『倫理』という言葉を適用するなら、人間に対してやってはいけなかった事。
それを、したのだ。
召喚魔法は、発展途上の魔法だ。
私を召喚するのに使われた術式も、喚び出されるのが人間らしいという事以外、それが『どこ』から喚び出されているのかすら分からない、欠陥品だった。
ただ、少なくとも、それは自国民ではなかった。
同盟国の人間でもなかった。
ゆえに、それは実行に移された。
召喚は、召喚される側にとってかなりの負担だ。
記憶は混乱し、意識は朦朧とする。
その状態で精神魔法を掛けられて、抵抗出来た人間はいないと聞く。
そして、人間を魔力袋として見るならば、魔法使いの質で勝る魔族相手に、『量』で対抗出来る。
だから私は、城壁の上にいた。
あの日、曇天の寒空の下で。
染めてもいない、質の悪い白のボロ布に、粗い縫製。服とも呼べない粗末な服を着た情けない姿……人間としての尊厳を剥ぎ取られた姿で。
他の何十、何百という人達と一緒に、城壁の上まで引きずり出されたのだ。