特別な時間
私は、門柱に背を預けるようにして、人を待っていた。
肩布抜きの"病毒の王"の装束に、黒妖犬を十二匹仕込んでいる事も含め、いつもの恰好だ。
少し空いた時間をぼんやりと弄びながら、穏やかな初夏の空を見ていた。
「――では、行ってきますね。レベッカ、後をよろしくお願いします」
「ああ、楽しんで来い」
屋敷の扉が開かれ、リズが出てくる。
デートの前の待ち合わせ気分を味わうために、外で待っていたのだ。
「お待たせしました、マスター」
「……リズ」
私の頬は、彼女を見た瞬間に緩んでいた。
爽やかな風が吹き、いつもの赤いマフラーがはためき、彼女は髪を手で軽く押さえた。
いつもと同じなのは、マフラーだけだ。
受け取りから支払いまでサマルカンドに任せたので、私がエリシャさん謹製のデート服を見るのは、これが初めて。
リズがはにかみながら、おずおずと聞く。
「どう……ですか?」
「最高に可愛いよ」
そうとしか、言えなかった。
リストレア魔王国において、高貴とされ、人気のある色は黒か、それに類する濃い色となる。
リズのメイド服も、エプロンとホワイトブリムに白が入っているが、紺を基調にしている。
ブリジットやカトラルさんが着る軍服も、ラトゥースのコートもそうだ。
だから、そういった方向にシックなカラーでまとめるという案もあった。
濃い褐色肌に重い色はしっとりと馴染む。
けれど、私は思うのだ。
ダークエルフの女の子には、淡い色が映えると。
そんなわけで、彼女が着ているのは、ふわっとしてひらっとした、薄い水色のチェック柄ワンピースで、その上に羽織っている薄手のジャケットも純白で。袖口のレース飾りと、生地が薄いのもあって時折肌の色が僅かに透けるのがまた、彼女の愛らしさを引き立てている。
使い方違うけど紅一点って感じで添えられているマフラーは、ファッションデザイナーが、一から彼女の容姿に合わせるなら、選ばないアイテムだろう。
けれど、私の中のリズは、ほとんどいつもマフラーをしている。
それは、常に戦場を忘れないという覚悟でもある。
私にとっては、本人が気付いているのか定かではないが、たまにリズの素直な感情の一端を伝えてくれるありがたい一品だ。
そして、アサシンと、メイドと……今日のようなプライベートとを繋ぐ、大事なアイテムなのだ。
「……うん、いつものメイド服も、暗殺者装束も似合ってるけど。そういう服もすっごく似合ってて、可愛いよ」
「えへへ……」
リズが頬を緩ませた。
エリシャさんは、本当にいい仕事をした。
エリシャさんグッジョブ。
「もっとこういう服買わなきゃかな。全財産エリシャさんの所にぶっ込んでもいい?」
「却下です」
安定のいつもの。
鋭い口調とジト目に癒やされるのはどういうわけだろう。
こちらに来て、性癖が歪んだような気がする今日この頃。
「それに……こういうのは、特別だからいいんですよ」
「うん……そうだね」
今この時間は、私の、私だけの特別。
私は、黒も、濃い色も好きだけど。
それだけではなく。
いつか、リストレア中の女の子が、可愛い服を着て、好きな人と街を歩くのが、当たり前になればいい。
あと、その中に、可愛い女の子同士もいるのが自然だとなおいい。
「さ、行きましょう」
「え、リズ?」
リズが、小振りのバッグを持っていない方の、空いている腕を私の腕に絡めた。
「……行かないんですか?」
「いや……あの……腕」
「ああ。……デートって言ったの、マスターじゃないですか」
リズが絡めてくれていた腕を離し、ちょっぴり不機嫌そうになった。
「うん……ごめん。私だけかと」
リズの目から光が消えた。
"最適化"……精神調整魔法……?
「自分の言った事も覚えられないようなマスターには、おしおきです」
そして、口調が冷たくなる。
彼女が手を伸ばし、思わずびくりとして、反射的に目を閉じた私の手が、そっと取られた。
目を開くと、手に感じた感触の通り、リズの手に、私の手が握られて……つまり、手が繋がれていた。
「え、あの……これ?」
瞳から光が消えたままのリズが、真顔で頷く。
「ええ。部下と、子供のように手を繋いで歩くというおしおきですよ」
「……ご褒美だと思う」
「そう思うならそうで構いません」
ふい、と顔をそむけて、私の手を引っ張って歩いていくリズ。
……やがて、繋いでいる手のひらから熱を感じるようになった。
さらに彼女の耳の先が、少しだけ赤く色づいているような気がしてならない。
「……あの、リズ。もしかして精神調整魔法の勢い借りた……とか」
「うちのマスターは頭悪いですね。そんなわけないでしょう」
状況証拠を並べ立てるのは、やめにした。
先を行く彼女の顔を覗き込むのも。
幸せが怖くなって、繋いだままの手をぎゅっと握り込む。
「……マスター?」
リズが足を止めて、振り向く。
その頬はまだほのかに赤いが、私の雰囲気がちょっと違う事に気が付いたらしく、真面目な顔だった。
「……ねえリズ。そのバッグから、ナイフ出てきたりしない?」
「出てきませんよ。入ってはいますけど」
入ってるのか。
「どうしてそんな事を聞くんですか?」
「幸せのバランスがおかしいから、刺されて死ぬのかもって」
私は、家畜小屋にいた。
私は、城壁の上にいた。
私は自分を家畜小屋に押し込んだ人達を、城壁の上から突き落として、生き延びたのだ。
私は、エリシャさんには、価値基準が、『戦争に勝つため』じゃない世界のために戦っているのだと言った。
私は、私の部下達がどれほどの非道を行ったとしても、幸せになるべきだと思っている。
けれど……責任を取るべき人がいるのではないかとも、思うのだ。
きっと、この世界がこんな風に、人間種と非人間種が絶滅戦争を繰り広げるようになったのは、誰か『悪い人』がいたわけではない。
誰か悪者を見つけて、そいつを殺せば片が付くなんて事は、ないのだ。
それでも、そうする事が『必要』な時がある。
これでもう、悪者はいなくなったから――これでもう、世界は平和で、『そんなものは例外だったのだ』と、言う事が。
そのために処刑台が必要とされた時代が、私の知っている歴史には、幾度となくあった。
そして、もし戦後に『生贄』が必要とされるなら、それは"病毒の王"をおいて他には――
「馬鹿じゃないですか?」
リズが、思いっきり呆れ顔を作って、一刀両断した。
「人生に、バランスなんて決まってませんよ。真面目にやってた人が馬鹿を見る事も、死んだ方がいいクソ野郎がのうのうと生きて幸せになる事だってあります。――だから」
リズが、繋いだ手にしっかりと力を込めて、持ち上げて見せた。
「……だから、私はこうしてるんですよ。守られるべき人を守り、死んだ方がいいクソ野郎を殺す刃となるために」
彼女が暗殺者になった理由を、私は聞いた事がなかった。
けれど少なくとも、彼女がメイド兼、副官兼、暗殺者として私の元にいるのは、そういう理由なのだろう。
「……私、そのクソ野郎じゃない?」
「リストレアでは違いますよ。他の国ではそう思われてるんでしょうが」
「でもほら、現地活動班のみんなが今日も身を粉にして頑張ってるのに、休暇中の部下の可愛い女の子にお願いしてデートとか」
「何を今さら」
もっともだ。
リズが、また呆れ顔になった。
そして、表情を緩める。
「うちのマスターは、本当に息抜きが下手ですね」
呆れ顔からの、極上の笑顔は反則。
「……り、リズだって下手じゃない」
「私は日々のお仕事中に上手く息抜きしておりますので」
しれっと言うリズ。
真顔で首を傾げて見せる私。
「……息抜き出来るような所、あった?」
「それはもう、危なっかしくて目の離せない、言動が珍妙な頭おかしい主にお仕えしておりますので、それが意外と楽しくなって……いいえ、秘密です」
「え、ちょっと今の」
「秘密ですってば。さ、行きますよ」
歩き出したリズに手を引かれ、それ以上は何も言えず、私も歩き出した。
ただ、感謝その他の、言葉に出来ない気持ちを全て込めて、彼女の手を、ぎゅっと握って。
カウンター気味にぎゅっと握り返されて、心をノックアウトされた。




