報告会兼慰労会兼お茶会
ハーシール・アル・カルナク。カルナク家当主。――『前当主』と言うべきか。
叫ぶ言葉は過激で。
口汚く人を罵り。
それでも、彼は、権謀術数渦巻くペルテ帝国、及び対魔族同盟の中で、発言権を維持し続けた。
彼の人格を疑う者はいても、彼の力を疑う者はいない。
そして彼は、継いだ家が貴族だったというだけの人間では、なかった。
彼は、未来を見据えていたのだ。
この戦争を、犠牲なしに終わらせる方法などないと、正確に理解していた。
"病毒の王"の登場以前から、ほぼ全軍を動員しての全面攻勢を叫び続けていた。
それは、犠牲を嫌う各国家――帝国を含む――から、煙たがられるだけだと分かっていて、それでも。
"病毒の王"としては、そんな人間がいなくなって、ほっとする。
けれど……敵にそう思わせるような、そんな人間が、誰にも惜しまれず消えていくとは。
私は、ため息をついた。
「人間、腐ってるね」
「ええ、本当に」
久しぶりのメイド服に着替えたリズも、同じくため息をついた。
任務終了に伴い、一部の情報制限が解除され、その共有を行う――という名目で、お茶の時間にしている。
例によってサマルカンドとハーケンは一歩後ろに控えているので、談話室のソファーに腰掛けているのは、私とリズ、レベッカの三人だけだ。
レベッカも、期間限定のメイド服なので、眼福極まる。
「ところで、マスター。近くありません?」
「普通だよ」
リズに肩を寄せてくっついているが、特に抱きしめたりはしていない。
ただしみじみと、肩の触れ合う距離にリズがいるという幸せを噛み締めている。
「全面攻勢が一番正しいのに、それを主張したせいで味方からも嫌われるって切ないよねえ」
微妙に他人事とは思えない。
幸い私は、陛下の理解を得て、囮気味とはいえ、最高幹部の地位を得ているが。
帝国有数の大貴族とはいっても、王国や神聖王国にとっては所詮他国の貴族だ。
確かに話を聞いて、報告書を読む限り『死んだ方がほっとするタイプ』だ。
全面攻勢にしても、国が傾く勢いの規模を主張し続けた。
彼は、正しかった。
後はもう少し口調と物腰が丁寧だったら、受け入れられていたかもしれない。
しかし、恐らく彼の態度の半分は、政敵に舐められないための鎧だ。
彼は、国を――いや、『人間』の未来を、真剣に考えていたのだろう。
人間の未来が明るい物になれば、帝国もまた、より良い国になると信じて。
「報告書読んでる限りは、基本ちゃんとした人だよねえ。――でも、正確なこっち側の戦力は把握してなかったんだね?」
「こちらも正確とは言いがたいですが。それでも、擬態扇動班と、陛下の手の者が集めてくる情報は精度が高いですし、暗殺班による混乱もあって、目隠しされてるも同然の向こうよりマシですね」
「ねえ、それで戦争やるってどういう神経?」
「それは、ちょっと私には分かりかねますが」
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
中国思想家の中でもトップクラスに有名なお人、孫子の言葉の中でも、分かりやすく短いので、覚えやすい言葉だ。
真理を言っているとも思う。
ただ、お互いの戦力を把握すれば絶対に勝てる! というよりは、お互いの戦力を比較して、そもそも自分より強い相手と戦ってはいけないよという意味らしい。
戦争なんて、しないのが一番だ。
それでもするならば、絶対に負けてはいけない。
「まとめると、今回の我が軍の戦果は、越境した敵暗殺者二百余名の殺害、敵の『現地活動班』の影響力の排除、及び、帝国の"選帝侯"ハーシール・アル・カルナクの暗殺……です」
「さすがリズ」
「私だけではありませんよ。馬鹿正直に暗殺者限定で戦う理由もありませんし、主に"第三軍"、"第五軍"より精鋭が選抜されています。……獣の嗅覚と、魔法による魔力探知を同時に掻い潜るのは、私でも難しいですよ」
私は、リズに聞いた。
「……『難しい』なの? 『無理』じゃなくて?」
「草の汁や泥を塗ったり、水に潜ったりして、匂いを上手く消せるかが鍵ですね。魔力探知はなんとかなるので」
「ちなみにどうやって?」
「――その状態で戦闘は出来ない、という前提になりますが。精神調整魔法を使った上で、心拍数を極限まで抑えると、小動物ぐらいまで魔力反応が弱くなるんです。この世の全ての物には魔力がありますからね。ある程度反応の大きい物だけをより分ける魔力探知の仕組みに引っ掛からないまでに、魔力を小さくすればいいという理屈です。当然、魔法道具をアクティブには出来ませんし、目にも見えるので物理的にも誤魔化さなきゃいけませんけど」
すらすらと、魔法初心者の私にも分かりやすく説明してくれるリズ。
とても凄い事を言っているような気がする。
「なるほど……"薄暗がりの刃"の名は、伊達じゃないね」
「そう言って頂けると、光栄です」
リズが微笑む。
「ていうか、揃いも揃って魔力反応の隠匿がなってませんでしたね。……まあ、山越えにせよ、海を渡るにせよ、強行軍で体力を使いすぎていたせいもあったんでしょうけど」
「……前の私を殺しに来た人達みたいに、成功さえすれば、帰りは考えなくていいレベルの重要な目標を狙うならともかくさ。長い期間居座る作戦を立てといて、それはどうなの?」
「ある程度身体を休めてから、動くつもりだったんじゃないですか? 暗殺者の死因で一番多いのは、希望的観測を信じる事だと、知らなかったと見えます」
この世界では、暗殺者の立場が弱い。
密やかな刃によって排除すべき存在とは、往々にして英雄クラスの戦士か魔法使い、あるいはそれらに守られている要人だ。
眠っている時なら無防備のように見えて、英雄クラスともなれば戦士であろうと魔法の使用が前提となるため、魔力反応にも敏感だ。
そして魔力反応と言っているのは、主に生物が生まれながらに持っている生体反応か、魔法道具の反応だ。
オートで発動する魔法道具はもちろん、魔力を流した時に効力を発揮する魔法道具に魔力を流せば、その時点で警戒網に引っ掛かる。
私が首から下げている護符は、装着者である私から魔力を供給されている、常時発動型の魔法道具だ。
私は、寝る時は負担を軽くするために外しているが、常に戦場に身を置く者ならば、似たような物を装備しているだろう。
特に剣などは、魔力を注ぎ込む事で切れ味や強度を増す仕組みになっていて、名剣を持てば誰でも強いわけではない。
そしてこれらは魔力を注ぎ込んだ時点で魔力反応を気取られる。常時発動型も同じ事だ。
つまり、魔法道具を装備している相手に対して、魔法道具なしか、攻撃時の瞬間にだけ使用出来る武器を使用して対抗しなければいけないのが、この世界の暗殺者という事だ。
戦場なら敵も味方も多数の魔力反応が入り乱れるのでそれらも使えるだろうが、深夜に皆が寝静まって……といった状況だと、それは目立つ。
なので、私のとこには『暗殺』と言いつつ、魔法で門をぶち破って鎧姿で侵入し、直接切り伏せようとする『暗殺者』が派遣されたのだ。
人間達にとって暗殺者は――ごく一部の魔族にとっても――政争のための戦力という位置づけだ。
暗殺者を使って厄介な相手を殺す側に回るか、それとも殺される事を防ぐための護衛として暗殺者を置くかは、人それぞれだが。
多数のノイズがある戦場で指揮官を刈り取る役割も暗殺者には期待されているのだが、大抵周囲の護衛は精鋭で、それを命じるかは、そこでアサシンさんがどれぐらい大事にされているかと、その戦場がどれほどの意味を持つかによるだろう。
「全面攻勢は、あり得ると思うか?」
あまり口を挟まずに聞いていたレベッカが、口を開いた。
リズが頷く。
「即座に、という事ならないでしょう。ですが……人間側にも、危機感を持つ者は多い。早ければ……今年中に。来年以降の可能性も高いですが、数年もすれば、ほぼ確実に。待つ理由が……いえ、待てる理由がない」
戦争が、始まる。
いや、始まるというのは間違いだ。
とうの昔に開戦したまま、終わっていない戦争が、もう一度本格的な物になる。
リストレアの地が、戦火に呑まれる。
「早ければ今年の……夏か?」
「ええ。北の地を攻めようと思うなら、そうするしかないでしょう。冬に全面攻勢を挑むほど愚かではないはずです」
食料事情が逼迫しつつある事実は揺るがない。
リズは希望的観測が暗殺者の死因に一番多いと言ったが、多分それは暗殺者に限らない。
一年でも全面攻勢を遅らせてくれればいいと思うが、それを期待するのも希望的観測が過ぎる。
「止める事は、出来ると思うか?」
「無理でしょう。下手に賛成派を殺せば、逆に燃え上がります。擬態扇動班でも……無理ですよね?」
「クラリオン達に相談はしてみるけど、無理だと思うよ。私は悪い魔法使いだけど……『なんでも出来る魔法使い』じゃないもの」
全てを綺麗に解決出来るような魔法を、私は知らない。
「出来る事を、一つずつやるしかないよ。戦争が本格的に始まるその日まで。戦争が終わる、その日まで……」
私は"病毒の王"として、戦果を積み重ねてきた。
各国家の農村に死と恐怖をばらまき。
王国の"ドラゴンナイト"を、消滅させ。
神聖王国の"福音騎士団"を全滅させ。
帝国の"帝国近衛兵"を壊滅させた。
そして、"第六軍"が関わっているとはいえ、厳密には私の戦果ではないが、今回二百を超える暗殺者を討ち取った。
『敵国の現地活動班』と、最も好戦的な帝国貴族の首という、素晴らしく重要な『オマケ』付きで。
私は"病毒の王"を名乗り、魔王軍最高幹部の地位を拝命してはいても、軍事に詳しいわけではない。
ただ、数が絶対的に違うのは分かる。
向こうの質を侮るわけにもいかない。精鋭部隊をいくつも失ったとはいえ、それだけが精鋭なら、私達はこうまで追い込まれていない。
それだけの力を魔族の絶滅に振り向けず、他に使っていれば、果たしてどれほどの事が出来たかと思うと、向こうの世界で培ったもったいない精神が暴れ出してしまいそうだ。
しかし人間がそれだけの力を得たのも、魔族という共通の敵あっての事かもしれない。
ままならないものだ。
「――報告は、とりあえずこんなところですね。また陛下の方からも、最高幹部向けの情報が来ると思います。……少し部屋で休んでもよろしいですか?」
「うん、ゆっくり休んで。改めて……おかえり、リズ」
微笑んだ。
「はい、ただいま、マスター」
リズも微笑み返してくれて……そこでちょっと、微妙な顔をした。
「……どうかした?」
「あ、いえ。てっきりまた抱きしめるぐらいされるものかと」
「ごめんねリズ。珍しく休みたいって言うから、本格的に疲れてるんだと思って。でもそう言ってくれるなら遠慮なく」
と言いつつもちょっと遠慮しながら、けれど本質的に遠慮はせず、リズをぎゅーっと抱きしめた。
「いえ、別にしてほしいってわけじゃ……うん、まあいいです」
リズが私を軽く抱きしめ返して、肩の力を抜く。
そしてしみじみとした調子で言った。
「帰ってきたって感じがしますね……良くも悪くも」
嬉しい事を言ってくれる。
しかし、付け加えられた最後の言葉が、ちょっと気になった。




