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病毒の王  作者: 水木あおい
5章

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暗殺者の獲物


 人間の暗殺者達は、決して油断はしていなかった。

 魔族は、人間よりも平均的に高い身体能力を持ち、魔力を持つ者の割合も高い。


 だから、『ただの村人』であっても、油断は出来ない。

 そう考えていた。



 相手の暗殺者(アサシン)を想定はしていても、それと戦う事ではなく、それに見つからない事を前提にしていた彼らにとって、一手遅かった。



 そして暗殺者同士の戦いで一手遅いというのは、即ち死を意味する。

 彼らは、決して無能ではなかった。


 ただ強いて言えば、公的な定例会議において、暗殺者を差し向ける事を議論し、決定するような上層部を持った事が、彼らにとっての不幸だったろう。


 人間達には、北方の辺境に住む蛮族共と、魔族を侮るような気持ちがあった。

 それゆえに、張り巡らされた諜報網の深さも、分かっていなかっただけの話。


 あらゆる魔法の目と耳を排除し、精神魔法で間諜の有無を確かめるという、堅実だが使い古された手段が、ずっと有効だと思い込んだ。


 それでも、壁の装飾に張り付いた一匹の蜘蛛に注目しろというのは、酷な話だったかもしれない。

 小さな蜘蛛に、魔法を使わずに変身出来るような種族は、人間にとっておとぎ話でしかなかったのだから。


 しかしそれでも、自然と大規模な動きにならざるを得ない人間達にとっては、情報が漏れる事を前提に動き、情報がある程度漏れても防ぎようのない、大軍をもっての侵攻がベストである事は間違いなかった。

 暗殺者は、その大軍を狙う細かな罠と、夜間の暗殺者達を排除するための戦力として運用されるべきだった。


 相手が取った有効な手段が、あまりに有効であったために、自分達がそれを真似ても、同じような結果が出ると思い込んだだけの話。


 魔族に出来る事を、人間に出来ないはずがないと思い込むに至った者達が、いただけの話だった。


 遠い昔、先人達が魔族を人類の敵と定め、滅ぼさねばならないと断じるまでに恐れた理由さえも忘れ果てて。




 リストレア南部。

 リタルサイド城塞を避け、リタル山脈を越えるルートで侵入を果たした七人の暗殺者がいた。

 少人数ごとに侵入し、小規模な村を見つけ次第襲うという大雑把だが、その柔軟性ゆえに本格的な対策が難しい作戦に基づいて行動していた。


 その内、二人は、どうやって死んだかさえ、分からなかった。


 二人、二人、三人の班に分け、ローテーションで見張りを立てていた。

 そして、見張りの二人が、無音で処理された。


 さらにマントにくるまって寝ていた五人の内一人が、投げナイフ一本で生涯を終える。


 けれどくぐもった悲鳴を上げ、それが警報となり、それでも、もう一人は目を開けた瞬間に額を射抜かれて死んだ。


 飛び起きた三人は、一人が矢をギリギリでかわし、けれどかわしきれず、足をかすめた矢に小さな傷が刻まれる。

 かすめただけの矢には毒が塗られていたのだろう。毒耐性持ちゆえに即死は免れたが、がくりと膝を突き、その胸に吸い込まれるように飛ぶ矢を避けられる道理はなかった。


 背負い袋を引っ掴んで走ろうとした一人が、動きを読み切られ、細い投げナイフが首筋に突き立ち、手に持った荷物ごと倒れ伏し、死体は六つになった。


 最後の一人は、荷物を諦めて、夜の森を走っていた。

 今夜は月が明るく、鍛え上げた暗殺者である彼にとって、夜の森を走る事に支障はなかった。


 しかしこんな明るい月夜だというのに、見張りが警告の声一つ上げられず、死んだのだ。


 完全に先手を取られ、不意を打たれた。

 それでも、逃げるだけなら。

 作戦は完全に失敗したと判断してもいいだろう――いや、そうするべきだ。


 森を出て遮蔽物がなくなった瞬間、矢が飛んできた。

 それは当然予想していたから後ろに跳ぶ事で避け、さらに射線を読んで、木の陰に隠れて。



 背後から、赤い布が巻かれた褐色肌の手が伸びて、首の近くを通り過ぎた。



 骨を避けて、半ばまで切断された首を押さえるように倒れ込む。

 その手に握られた、片刃の黒い大型ナイフが、彼の最後に見た光景となった。


 二つの人影が合流し、ハンドサインで会話をし、森へと消えていく。


 ここは、リストレアの地。


 ただ生きていく事さえ多大な苦労を伴う土地。

 そこで生きていくために、そこに生きる全てを守るために、鍛え上げた者達が守る土地。


 暗殺者(アサシン)の価値は、純粋な戦闘能力では決まらない。

 しかし、暗殺者が暗殺を成功させるためには、自分の存在が知られておらず、先制攻撃出来るという前提が必要となる。


 地の利はなく。

 数の優位もなく。

 敵に情報を知られ、敵の情報はなく。


 全てを知られた暗殺者(アサシン)など、暗殺者(アサシン)の獲物でしかなかった。




「全滅したと……!?」


 帝国の"選帝侯"の一人、ハーシール・アル・カルナクは、持ち込まれた報告に、愕然とした顔になった。

 持ち込んだ文官は、気が重そうに、それでも正確に報告する。 


「……正確には、不明、です。ですが……ごく少数の潜伏している者からの、被害を与えている報告はなく……代わりに、定時連絡が全て途絶えました。少なくとも、帝国の手の者は」


「……潜伏しているだけでは、ないのか」

「その可能性はあります。そうであれば……とは、思いますが」


 沈痛な面持ちで、文官の青年は顔を伏せた。


「連絡が途絶えたという意味は……軽くありません。恐らくは情報が漏れ、魔力反応探知で狩り出されたものと……平時なら、街中でも幻影魔法ぐらいは使えたのですが……」


 意識しての事ではないだろうが、言外に、「暗殺者など差し向けるから、最悪の結果になったのだ」と責められているようで、ハーシールは不機嫌になった。


 そして、ぞっとする。


 僅かながら、情報は入っていた。

 幽霊鳩という、シンプルだが、通常の鳩より強靱な連絡手段を、向こうは持っていて、こちらもそれを借用していた。


 しかし、死霊術(ネクロマンシー)は人間国家では禁忌であり、現物を現地連絡員と同時に失った今、目と耳を塞がれたも同然だ。

 死霊術師(ネクロマンサー)もまた、裁判さえない即時処刑が許されている。

 今となっては、遠い昔の話だが、たった一人の死霊術師(ネクロマンサー)が、死者の軍勢を率いて都市国家を一つ攻め滅ぼした過去があるのだ。


 そして魔族達の間では、死霊術(ネクロマンシー)は別に禁忌ではない。

 不死生物(アンデッド)という生きとし生ける者の敵さえも、国民と認め、街中を闊歩する事さえあるという。



 自分達が負ければ、世界の全てがそうなる。



 その世界では人間は殺し尽くされているか、良くて家畜だろう。

 人間以外の存在を認めれば、そういう世界が、すぐにやってくる。


 人間以外と共存出来ると思うのは、狂人だけだ。


「……報告、ご苦労。下がれ」


 悪い報告を持ってきた部下に当たり散らすほど、無能ではなかった。


「はっ」

 きびきびと踵を返す姿は文官として望ましい機敏さを備えている……が、ここから一刻も早く離れたいという意志が透けて見えなければ完璧だった。


 誰もいなくなってから、彼は吐き捨てた。



「……魔族共め……!」



 眠らねば。

 明日、起きたら。


 早急に、全国家の主要人物から、全面攻勢の確約を取り付けねばならない。


 現地活動員が、排除され。

 暗殺者が、壊滅させられたというのなら。


 もう、安全な場所など、どこにもない。




 ――彼はその夜、息を引き取った。


 暗殺かどうかは、分からない。

 なんの外傷もなく、ただ、ベッドで眠るように死んでいた。


 護衛の中に暗殺者が一人いて、彼は他の護衛と共に「敷地内への侵入者はいなかった」と証言した。


 即時全面攻勢を唱え続ける彼は、帝国の上層部からも煙たがられていた。

 だから、それが暗殺かもしれなかったとして。

 それが暗殺だったとして、出来る事など何一つないという現実を差し引いても。


 帝国有数の貴族、"選帝侯"たるカルナク家の現当主が死んだとは思えないほど、淡々と処理された。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 蜘蛛に変身したドッペルゲンガーでの諜報。流石にこれは防ぎ様が無い。 そして、哀れな暗殺者達と共に、「正しい」リーダーが1人この世から消えた。 着実に未来は変わってきている。 [気になる…
[良い点] 蜘蛛にご注意っていや無理無理 ただこっそり派遣されてたらもうちょっと危なかったかも? [気になる点] 七人の暗殺者はあっさりと始末されましたが、リズの言からするとほかでは抵抗激しかった…
[一言] > 公的な定例会議において、暗殺者を差し向ける事を議論し、決定するような ア、ソウデスネー。 ついスルーしていましたけれど、これはだめですよねー。 > 人間達には、北方の辺境に住む蛮族共と…
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