『お姉ちゃんの事が大好きな妹』
「フレー! フレー!」
「頑張れー!」
「お姉ちゃん! 頑張って!!」
「私のために頑張って……!」
多種多様な応援が、私の耳を幸福で満たす。
レベッカの愛らしい声は、いつもの冷めたどことなく厭世的で皮肉気でひねくれた、まあそれはそれで大好物のトーンではない。
本来の子供らしく愛くるしくてきゃるっとしていて、聞いていると平和の尊さをしみじみと感じるようなトーンの声だ。
細かい所は任せているが、基本的には『勝ち目のない相手にそれでも挑む姉を応援する、お姉ちゃんの事が大好きな妹』でお願いしている。
多少……いや、かなりヤケクソ気味に思えるが、その演技は完璧で、妙な力が湧いてくる。
ハーケンが鋭く突き出した木剣に、自分の木剣をぶつけるように突き出しつつ横に動き、そらしながら避けた。
「ふむ、動きは相変わらずのろくて仕方がないが、それでも中々様になってきたではないか」
ハーケンの打ち込みは、私がギリギリ受け止められる、あるいは避けられる程度の速度に調整されていて、遊ばれて……いや、『訓練されて』いる事が分かる動きだった。
庭で、ハーケンと剣の訓練中だ。
レベッカは見ての通り応援中、サマルカンドは屋根の上で警戒しながら万が一に備えるという名目で訓練を眺めていて、死霊騎士達はレベッカがこの姿を見られたくないという事で呼んでいない。
「えーと、褒めてるんだよね?」
「無論である。動きも以前より良くなっておられるし、強化効率も僅かだが上がっておられる。リタルサイド城塞での再訓練は、身になったようだな」
「ブリジットのおかげだよ。もちろん、みんなのおかげもあるけど」
ブリジットはとても優しいので、しばらくリタルサイド城塞を留守にしていて、いつもより忙しいのに時間を見つけては、丁寧に訓練してくれた。
それはもう、護符ありでなかったら死んでるし、彼女がその気なら木剣でも私を殺っちまえそうなぐらいに丁寧に。
「精進されよ。せっかく素材は悪くないのだ。……ただ」
「ただ?」
「もう十年は早く修練を始めるべきであったな」
十年前、私は何をしていただろう。
高校生で……妹の世話をして……。
妹の世話をして……。
……あれ、妹のために時間を使った事しか思い出せない勢い。
少なくとも、運動系の部活動で青春の汗を流した記憶は、存在しなかった。
それでも、結構楽しかったような気もする。
可愛い妹はいたし、友達だっていたのだ。
友人達の名前も、妹の名前さえ分からないが、それでも、確かに私がいた学校が、あった。
私が一生を過ごすはずだった、世界が。
いつもは割り切っている過去の全てが、ふっと蘇り、全身が重く感じた。
視界に炎が揺らめき、耳に悲鳴が響くような幻さえ感じる。
あの世界にいれば、私はきっと、誰も殺さなくてよかった。
「あるいは、手っ取り早く我のように骨になられるがよろしい。動きも実に軽快である」
「それ一般的なスケルトンの動きじゃないからね! 騙されちゃダメだよ!」
ハーケンとレベッカの声に、ふっと現実に引き戻される。
そう、これが現実だ。
かつての自分が望んだものではないし、夢にさえ見た事もなかった……けれど、私の選択が形作ってきた『現実』。
当時の私が、向こうの世界で得た全てを引き替えにして、この世界で得るだろう全てを欲しいかと言われれば……首を横に振っただろう。
けれど、もう。
現在の私は、こちらの世界で得た全てを引き替えにして、向こうの世界で得るはずだった全てを欲しいかと言われても、首を横に振るだろう。
「分かったよ私の可愛い妹! お姉ちゃん頑張るからね!」
「そういうのはいいから前見て!」
可愛いけどやっぱりレベッカだ。
ハーケンの振り下ろす剣を、後ろに跳びすさって避けた。
もちろん手加減はされているが、ハーケンから「主殿は、まともに受ける事など考えない方がよろしい」と言われていて、私がまともに受けるのを選択肢から外すために、一部の攻撃はかなり力が入っている。
木剣同士の試合である『合同訓練』前の訓練とは、前提からして違うのだ。
そのために今は護符を装備している。
しかし、下手に受ければ手が痺れるぐらいはする。
木剣以外に当たれば、怪我はしないまでも、かなり痛いだろう。
「ところで、これいつまで続けるの?」
「限界が来たらお止めしよう。後は、マスターが自分の限界を決められるがよい」
いい言葉だ。
自分の限界を決められるのは、自分だけ。
「……いつもなら適当なところで切り上げるだろうけど……今日は私の後ろに、私を応援してくれる、超可愛い妹がいる!」
しかもチア衣装。
あの衣装は訓練に対するモチベーション向上という理由付けで着てもらっている物であり――つまり、レベッカがチアガールになってくれるのは、真面目に訓練している間だけ。
それも多分、今日限りの事だろう。
私は、自分の欲望に忠実な人間だ。
そして――人間の欲望に限界はない。
「そんな妹に、情けない背中を見せられるものか!」
「その意気である」
ハーケンが力強く頷いた。
「……お姉ちゃん! もう無理しないで!」
演技とは思えない悲痛なレベッカの声を振り切るように、私はハーケンがわざと隙を見せて打ち込みの練習をさせようとしている場所へ、気合いを込めて木剣を打ち込んだ。
足が震えて、動きが鈍くなってきた。
頭上に振り下ろされる一撃が、見えているのに避けきれない――
と思ったところで、数センチの余裕を持って、ぴたりと止められた。
「……ここまでにいたそう」
「ありがとう、ハーケン。――あー、疲れた!」
一礼した瞬間全身から力が抜けて、私は木剣を落としながら、自分の身体も芝生に放り出した。
「はー……」
レベッカが寄ってくるのが、夕日に照らされた影が伸びて分かる。
「日暮れまでやるとはな……」
「……応援終わり?」
「あの演技は疲れる。もういいだろう」
「レベッカ、膝枕してー」
「……それは『命令』か?」
レベッカが、静かに問う。
「ううん。命令じゃないし、もう、拒否してもやる気なくしたりしないよ」
「……ふん。ほら」
膝を揃えて座り、軽くぽん、とふとももを叩いて示すレベッカ。
フードを脱いで、細くて華奢なふとももに頭をのせると、火照った身体にひんやりとした柔肌が気持ちいい。
「はー……汗かいててごめんね。後で一緒にお風呂入ろう。自分では入ってないんでしょ?」
「まあ、別にこまめな入浴とか要らないしな……」
自分は不死生物だから毎日の入浴は必要ないと言うレベッカの意見も正しい。
それでも一週間に一度ぐらいはと説得し、タイミングを見計らってレベッカを誘うのが常だった。
そしてこの一週間、私はリズ成分の欠乏でちょっと駄目ないきものになっていたので、レベッカと一緒にお風呂に入った記憶がない。
「お姉ちゃんと一緒に入りたかったら、いつでも言ってくれていいんだよ?」
「その設定もういいから」
「……最後に演技じゃなくてさ。お姉ちゃんお疲れっていう風に言ってくれる?」
「演技は要らないんだな?」
「要らないよ」
あれはあれで楽しいが。
私にとってのレベッカは、外見相応の愛くるしい少女ではなく、外見に似合わない大人びた話し方をする女の子なのだ。
「……お疲れさま、『お姉ちゃん』」
いつものように、あえて年頃の子供の声帯を殺しているような冷めたトーンでかけられたねぎらいの言葉が、今日のどんな応援よりも心に響く。
「はぁ~♪ うちの妹は可愛いなあ! しかも演技じゃないんだよハーケン!」
「随分と仲良くなられた。本当の姉妹のようであるぞ」
「待て。さっきのは演技ではないが演技以外の何物でもないぞ!?」
勢いよく立ち上がるレベッカ。私はあえてごろごろと転がって頭が地面にぶつかるのを防ぐ。
そして、ごろんと寝転がったまま、首をだらりと真後ろに下げて、反転した視界に、夕日に照らされたチアガール姿のレベッカの背中を収めた。
「――大体、お前のような姉など要らん!」
その言葉が、語調の強さとは裏腹に、なんとなく……。
……なんとなく、寂しそうな気がしたのは、私の気のせいだったろうか。
私が、地球に置いてきた妹の事を思い出したように。
彼女も、今はもういない姉の事を思い出したのかもしれない。
彼女の姉は、どんな人だったのだろう。
向こうの世界で、私の事を思い出してくれる人は、いるのかな。




