致命的な欠乏
リズを皆で見送る。
「レベッカ。くれぐれもよろしくお願いしますね。私は陛下よりちょっと本職の方の業務を仰せつかっていますので」
「ああ、任せろ。サマルカンドとハーケンもいるしな」
「そうですね」
リズが頷く。
「それでは最後に。今回の任務の詳しい事は、おおむね機密です。王城のメイドの手が足りなくなったという名目で呼ばれているので、そのように。情報が漏れれば漏洩ルートとして疑われるので、疑われるような真似は慎んで下さいね」
なのでリズは、いつも通りメイド服だ。
「分かっている」
「承知しました」
「安心めされよ、リズ殿。そのような不心得者はこの場におらぬ」
「……それは心配してないんですけどね。そこの人がちょっとですね……」
リズが私をジト目で見る。
「――まあ、いいです」
リズは軽くため息をつくと、一転して笑顔になった。
「それでは、"病毒の王"様。行って参ります」
「うん。リズ。必ず無事に帰ってくるように」
「……はい」
彼女は最後に軽く手を振ると、振り返らずに歩いていく。
私は、彼女の姿が見えなくなるまで、その後ろ姿を見ていた。
いや、見えなくなってもそのまま、そうしていた。
大分経ってから、レベッカが前に回って、私の顔を下から覗き込む。
「……大丈夫か?」
「レベッカ。さすがに、見送った直後だよ……」
「それでは主殿、リズ殿がいない間どうされるのだ?」
ハーケンの質問に少し考えたが、ちゃんとした答えは出てこなかった。
「別に……予定ないもの」
予定は自分で立てる物であり、作る物であり、入れる物だが、リズがいないのでは仕方ない。
真面目なお仕事にせよ、新しい作戦の計画を立てるにせよ、プライベートで遊ぶにせよ……彼女がいないのでは。
「庭でバーゲストと遊んでくる」
「……嘘でも魔力供給してくると言ったらどうだ?」
「それはしてるけど、大体頭とかお腹とか撫でてるだけだし」
「それではお側に控えさせていただきます」
「……うん。よろしく、サマルカンド」
「私は実験室にいる。何かあれば呼べ。ハーケン、サマルカンド。敷地内の事はある程度分かるが、何分地下だ。何かあれば初期対応は任せる。状況の変化があるまで、護衛に専念していていい」
「承ろう」
「はっ」
リズの不在が、どれだけになるかは、分からない。
けれど、少し留守にするだけだ。
レベッカは大丈夫かと聞いたけど。
私は少しの間ぐらい、リズがいなくても、やっていける。
――そう思っていた頃が私にもありました。
一日目。
バーゲストを撫でる事に専念する。
二日目。
現地活動班の報告書チェックというお仕事があるので気を紛らわせる。
三日目。
改めて現地活動班のシフトや担当地域を見直してみるが、そこまで劇的な改善が見込めるはずもなく、途中から『何故か』ベッドでごろごろしていた。
四日目。
しんどい。何故だかとてもしんどい。
五日目。
バーゲストが、どうも私の事を心配そうにし始めた気がするのは気のせいか。
六日目。
バーゲストの腹毛に顔を埋めるだけのいきものになる。
七日目――
「……なあ。大丈夫か?」
レベッカに、ガチで心配される。
「あ、レベッカ……。うん……だいじょうぶ……だよ?」
ぼんやりと焦点の合わない目で彼女を見ると、本当に心配そうにしていた。
「大丈夫に見えない。日を追うごとに弱りすぎだろ」
談話室のソファーは、座り心地も寝心地もいいし、お気に入りだ。
しかし、今は身体に力が入らず、ぐてーっとして、宙を仰いでいた。
「大体、バーゲストが寄ってこないって相当だぞ。何があった」
バーゲストが、いつもは「撫でれ」とばかりに寄ってくるのだが、今日は遠巻きにするばかり。
普段、私がふと寂しくなったり、元気がない程度の時は、それを察して甘えるように寄ってきてくれるのに。
「……何も、ないよ。本当に」
「『ない』からか……」
レベッカがため息をつく。
「……リズの話は聞いた。作戦行動の詳細は話せないが、しばらく留守にする、と。それだけなのだろう?」
「うん。それだけ……だよ」
頷く。
そしてまた、ぐてーっとした。
「……本当にリズの事が大好きだな、お前は」
「私も、ちょっとびっくりしてる……」
一週間で、リズ成分が枯渇した。
正確に言えば、欠乏が耐えられない段階に達した。
不便らしい不便は、実の所ない。
彼女は副官であり、アサシンであり、メイドだ。
現在、世界で一番頼りになる副官が必要とされるほどのお仕事はない。
アサシンとしては出張中だが、そもそも私は、私の護衛以外に彼女のアサシンスキルを求めた事はない。
メイドさんとしてもリズはよく務めてくれているが、別にメイドがいなくては身の回りの事を何一つ出来ない深窓の令嬢ではなし。
普段、リズに構ってもらっている分の時間を、自分一人の世話に回せばいいだけの話。
食事は、サマルカンドに色々と市場で買ってきてもらっている。
私は元々、手作り至上主義者ではない。
そもそもファンタジーな異世界に来たら、市場を歩いて食べ歩きとかしたかった……が、そこまでの自由が、今はない。
だからこそ護衛が充実していて、かつ、家でご飯を作れない旅先では、積極的に食べ歩きしたりしていたわけだけど。
今回だって、せっかくなので、この状況を楽しもうと思ったのだ。
しかし、いつもと違う雰囲気を楽しめたのも一日二日の間だった。
リズのご飯が恋しくなり、食卓に彼女の姿がない事が辛くなり。
ぽっかりと胸に穴が空いたよう、という言葉の意味を、実感する。
むしろ、穴しかない。
それを埋めるには、何もかも足りなかった。
せめてもう少しお仕事があれば良かったが、今回の暗殺者の対処に"第六軍"は、リズしか呼ばれていない。
副官がいない事を、当然陛下はご承知なので、仕事が振られる事もない。
彼女に思いつきを打診する事も出来ず、新しい仕事をスタートさせるのも躊躇われるし、それ以前に思いつかない。
「きちんと……しなきゃね」
それでも、彼女にはサボるなと言われているのだ。
帰った時こんな調子では、リズに怒られる。
いや、怒られるのは、いいけど。
もしも、ポーズではなく、本当に呆れられたら。
……彼女に失望されるのだけは、嫌だった。
「ハーケン……呼んでくれる?」
「ハーケンを?」
「剣の訓練でも、って」
「……そうか。そうだな。訓練で身体を動かせば、気分も変わるだろうさ。私も付き合おう」
レベッカが微笑む。
「何か、出来る事はあるか? なんでも言ってくれ」
「なんでも?」
「ああ」
ふっと、胸の奥に火が灯る。
「なんでも言っていいんだね?」
がしり、とレベッカの腕を掴んだ。
「……え、あの?」
レベッカの笑顔が固まる。
「あー、その、そういえば……試してみたい術式……が……」
レベッカが素早く踵を返そうとしたが、既に黒妖犬に取り囲まれていた。
その内の何匹かが私の方に寄ってきて、空いている手で顎下をわしゃわしゃすると、嬉しそうに尻尾が一斉に振られる。
そして私はレベッカを捕まえた手を離していないので、逃げられるはずもない。
バーゲスト達を見回し、観念したように視線を戻したレベッカに、私は先程までの倦怠感を振り払うように笑顔を向けた。
「ありがとうレベッカ。元気出たよ。――では、訓練のモチベーション向上のために温めていたプランのテストにご協力願おうか」
仮面の音声変換こそないが、"第六軍"序列第一位、"病毒の王"としての口調で宣言する。
「り、リズがいないだろう。そんな重要な計画――」
「レベッカ?」
私はレベッカにみなまで言わせるつもりはなかった。
「私は"病毒の王"。"第六軍"の序列第一位を陛下より拝命している。また、君は私によって序列第三位を与えられている。その二人が揃っていて、対外的な軍事行動でもない、正式に与えられた敷地内での訓練の計画を立て、そして実行する事に何の許可がいるというのか? もちろん、危険はない事を保証しよう」
「…………」
黙り込むレベッカ。
反論を探しているのだと思うが、それを悠長に待つ理由もなく、私は追い討ちを掛けた。
「それにレベッカは『なんでも言ってくれ』って、言ってくれたよね♪」
正論なのは、私の方だ。
大人げないのも。




