ウェンフィールド家の屋敷
ウェンフィールド家の屋敷は、王都の外周の、南側にある。
高級住宅地だが、この場所に居を構えるというのは、有事の際に王都の守りを担うという意志の現れに他ならない。
建国以来、未だリストレア魔王国は王都への侵略を許していない。
ゆえに王都は完全な城塞化こそ行われていないが、外周にある古い家は、屋敷と言うよりは一種城塞めいた……というか文字通り小さな城塞として建築された事を窺わせる、威圧的なたたずまいをしている。
ウェンフィールドの屋敷も、深い空堀と重々しい石壁に囲まれ、屋敷そのものも冷たく重い石造りの建物だ。
先日のピクニック日和から一転、灰色の重苦しい空のせいで、まだ昼過ぎだというのに、辺りには冬に逆戻りしたような冷気が漂っていた。
なお、有事の際に王都の守りの中にいたいという意志が現れる場合、王城付近の高級住宅地に居を構える。
そちらは威圧的と言えば威圧的なのだが、軍事的にではなく、経済的に威圧的な豪華なたたずまいをしている。
まあ贅沢したい層が、国内の流通事情に強力に貢献しているというのも、間違いないのだ。
大半は特に不正をしているわけでもなく、あくまで『正当な取り分』を抜いているに留まる。
相場を作ったのはその人達なので、その稼ぎで豪華な屋敷を建てられる事を考えると……ちょっと思う所はあるが。
しかし、そんなに金銭的な贅沢はしていないとはいえ、可愛いメイドさんをはべらせて、お屋敷に住んでいる私が言えた義理ではない。
私に与えられた屋敷も、一応は王都の守りとして建てられてはいるが、それほど物々しくはない。
さらに孤立している立地のため、普通に囲まれて落とされるか、無視して王都に侵攻されるかのどちらか。
強いて言えば、有事には中程度の人員を収容出来る、補給の拠点を担うといった所だろうか。
そんな中途半端な立ち位置の屋敷だからこそ、特に住人のいないまま国の管理下にあったのだろう。
しかし見方を変えて、囮役の住居と見るならば、その中途半端さこそが利点に変わる。
何事も見方によって変わるものだ。
私は、リズ、レベッカ、サマルカンド、ハーケンと、序列第一位から第五位までの全員を引き連れている。
一応今日は『会談』の予定だが。
『粛正』になる可能性も、ゼロからは、ほど遠かった。
「"病毒の王"様でしょうか?」
『城門』の上に設けられた見張り櫓から、声がかけられる。
年老いた男性ダークエルフで、執事服を着ているから順当に執事なのだろう。
執事キャラは強いというのが定番だが、実際の戦闘能力は不明だ。
「ええ、"第六軍"、"病毒の王"以下五名。私は副官のリーズリット・フィニス。門を開けて下さい」
私は仮面を着け、杖を持ち、沈黙を守っている。
「はい、お待ちを……」
執事さんの姿が消えた瞬間に、分厚い板の門が跳ね橋としてゆっくりと倒れ、空堀に渡されていく。
「……普段から跳ね橋を上げておく意味があるとは、思えんがな」
仰々しい緩慢さで下ろされていく跳ね橋を見て、レベッカが鼻で笑う。
リズがたしなめた。
「聞こえますよ」
「構わん」
「レベッカ。……私達は、戦いに来たんじゃないよ?」
音声変換はしていないし、拡声機能も使っていない。
なので小声だ。
「……すまない。だが、主を狙われたのだ。穏便に済ませるつもりなど、ないぞ」
レベッカが左腰の細剣の柄頭に手を置いた。
右腰にも左手用短剣と短杖が下がり、特に鎧を着けない彼女にとっては、フル装備だ。
以前の所属は、王城付きの術式開発部門という事で、研究肌に思われがちな彼女だが、非公式とはいえ"第六軍"腕相撲大会で優勝するほどの筋力を持っている。
剣技自体は見ていないが、リベリットグリズリーに取り付いた際の動きを見れば、その腕前も推し量れようというもの。
さらにそのままゼロ距離"火球"で仕留める様など、まさしくベテラン魔法使いだ。
帝国近衛兵を一人、"鬼火の炎"という死霊術の一種だという魔法で焼き尽くしたのも、記憶に新しい。
その上で、本質は指揮官であり、最も得意とするのは指揮下の不死生物を強化する支援魔法だというのだから、その引き出しの多さと、個々のレベルの高さに驚くほかない。
「反撃は許可する。ただし、挑発するような言動は慎むように。……ね?」
「分かってるよ。だが、な。覚えておけ。――お前は私達の主だ。お前がどう思おうと、お前は"第六軍"の長であり、最高幹部だ。それを狙ったという意味は、軽くない」
レベッカの声は抑えられてはいても、常にない激しさで……彼女が静かに怒っているのだと、はっきり分かった。
初対面同然の頃からそうだったが、彼女は道理に合わない事を嫌う。規律が乱れる事を嫌う。
だからこそ、自分に対する命令権を持つ魔王軍最高幹部である私のふざけた命令にも、言うべき事を言いつつ従ってきたわけだが。
……今回は、私のために怒ってくれているような、そんな気もする。
サマルカンドとハーケンをちらりと見ると、二人は黙って頷いた。
言葉にはしないが、二人も虫の居所は悪そうだ。
しかし、だからこそ私は冷静になれている。
誰か他の人が怒ると、自分が冷静になるというのは、よくある話だ。
命を狙われたのに腹が立たないというのも不思議な話だが、自分で言ったように、リズをはじめとする護衛の事を信じていたからだろう。
『相手を油断させるために全力で囮を演じる』という名目にかこつけて、普通に休日を楽しんだという後ろめたさも、なくはない。
跳ね橋が、重々しい音を立てて下りきった。
執事が渡って出迎えに来る。
「お待たせしました、どうぞこちらへ……」
音声変換を、オンにする。
「ご苦労……」
地獄の底から響くような重低音。
ここからは、"病毒の王"としてのお仕事だ。
執事が先導し、いつもは隣にいるリズを、今日は先頭に置いて私の四方を固めながら、私達はその後を付いていく。
出来れば、誰の血も見たくはない。
とはいえ、こちらは既に相当の譲歩をした。
その上でなお、剣をもって語ろうというのならば。
私が願うのは、ただ、流れる血が部下のものでなければいいと、それだけだ。




