ただの余興、あるいはプライドを賭けたレクリエーション:決勝戦
「申し訳ありませぬ……我が主の応援を頂いてなお、敗北の恥をさらした身。申し開きのしようもありませぬ。いかような処罰もお受け致します……」
サマルカンドが、いつもの姿に戻り、すっかりしょぼくれていた。
その落ち込みようは、身体が一回り縮んだかと思えるほど。
「あーいやサマルカンド。処罰とかないから。これ、ただのレクリエーションの腕相撲だから」
「いいえ。私は誓いに懸けて戦い、そして敗れました。"血の契約"の恩恵を受けてさえ……さぞ失望された事でしょう……」
「失望とかないから」
ぽんぽんと肩を叩く。
「ほら、最終決戦、一緒に見よ? ね?」
「はい、我が主」
「レベッカ。中々やるじゃないですか?」
「悪いがなリズ。お前の技術は暗殺に特化している。私の敵ではないな」
「それを言うならレベッカもでしょう。近衛師団の暗殺者が、指揮官たる魔法使いに、身体能力で劣るという烙印を押されるわけにはいきません……!」
烙印とか押さないよ?
「悪いが、今回の事は、あくまで内々のレクリエーション……。近衛師団のメンツを考えてやる義理はないな」
内々のレクリエーションだって、本当に分かってるのかなっていう気合いの入りようしてるけど。
「――考えていただかなくて、結構ですよ」
リズが、右腕を掲げ、マフラーをほどいた。
そして再び巻き付ける。
肘から、人差し指と中指にまで、丁寧に巻いていく。
ぎちぎちと、筋肉が締め上げられる音が聞こえた。
「ほう? 考えたな。だが、指への負担が大きいのではないか?」
「腕相撲の一回ぐらい、もちますよ……」
不敵に笑うリズ。
レベッカもまた不敵な笑みを浮かべ、二人の間に、バチバチと火花が散っている光景を幻視する。
力の出し時を間違えていないかなーと思うのだが、ここまで盛り上げた手前、今さらそんな事を言い出せる雰囲気ではなかった。
今度は理不尽なサイズ差はなく、がしりとリズとレベッカの手と手が組み合う。
赤いマフラーと、黒い手袋が、重なり合った。
「――いくよ」
手を振り上げる。
「では――レディー、ゴー!」
そして、振り下ろす。
全く、動かなかった。
「さすがリズッ……!」
「レベッカも……まさかこれほどっ……とは……!」
絞り出された声が、込められた力の強さを物語っている。
なのに、手と手が組み合わされた一点は、ぶるぶると震えるだけで、どちらにも動かない。
「私には、意地があるっ! ……そして、勝って、マスターにいい加減不真面目な生活態度を改めてもらうようにお願いするんです――!!」
え、リズ?
「私にだって意地ぐらいあるっ! そして、普段さすがに上官だから飲み込んでる不満! を! 叩き付ける――!!」
レベッカ?
おかしい。
いつの間にか、あくまでサマルカンドのやる気を出すために言った『一日私を好きにしていい権利』が、優勝者に与えられる権利になっている。
さらに、その使い方が、どうも私の勤務態度改善に向けられそう。
私はどっちを応援すればいいのかなこれ。
「ふむ。お二人とも実力が拮抗しておられるようだ」
「まさに英雄。筋力でなら勝てると思い上がった私が愚かでした」
ハーケンとサマルカンドの二人は特に疑問を持たず和やかに観戦している。
「思いの強さが鍵になるだろう。リズ殿が勝たれると見た」
「いえ。私はレベッカ様かと」
「ほう?」
「このままの膠着状態が続けば、間違いなく」
お互いに自分に勝った相手を応援する図式になった。
そして、サマルカンドの予言が現実になる。
「うっ……ぐうぅ……」
「飛ばしすぎたな、リズっ……!」
均衡が崩れた。
じわり、じわりと、リズが押され始めた。
そうか。
リズは生身。
レベッカは不死生物。
生身の疲労が、ない。
連戦のダメージも、リズの方に多く残っているはず。
「今さら……ここまで、来てっ……!」
そんなに大層なところには来てないよ? とは言えない気迫。
リズが、左手で頭上のホワイトブリムをむんずと掴んだ。
そして、ホワイトブリムは淡く白い光の粒子になって、消えた。
「え?」
私が目をぱちくりさせていると、リズが続いて右肩のフリルを掴んだ。
メイド服もまた、ホワイトブリムと同じように淡く白い光の粒子へとほどける。
肌の露出が大幅に増え、黒のレザーで出来たアサシン装束になった。
「っ……! そのクラスのアイテムを、使い捨てるだとっ……!?」
リズに聞いた話が本当なら、あれはかなりの高級品。
リズ自作の魔力布製メイド服にして、防御性能に優れ、いざという時には魔力への全還元も可能な、特殊なアイテムだ。
けれど、たとえ布一枚とはいえ、魔力布製の服は防具でもある。以前見た、館に侵入した人間の英雄とのギリギリの戦いでさえ、彼女はボロボロのメイド服を着たまま戦っていた。
つまり今は、それほどの戦いだという事。
腕相撲だけど。
「…………」
そしてリズの瞳から、光が消える。
精神調整魔法――"最適化"。
感情の揺らぎを廃し、最適解を選択し、自らを一人の暗殺者であり、一本の刃と規定するための魔法。
何と引き替えにしても、自らの使命を果たすという覚悟の具現。
暗殺者として、本気だ。
腕相撲だけど。
本気のリズが、じりじりと押し返し――レベッカが、ふっと笑った。
「それが奥の手なら――終わりだ」
そうだ。
魔力量を回復させても、つぎこんだ全てで勝てなかった以上、ジリ貧状態には変わらない。
感情調整も、判断基準に余計な感情が混ざる事を排除出来る事から、限界ギリギリの実戦……ことに殺し合いにおいては強い。
けれど、今は腕相撲。純粋な、筋力の比べあい。
筋力は互角。
体力の面で、不利。
道理は、覆らない。
最後の最後まで、リズは力を抜かなかった。
「――勝者、レベッカ」
敗北する、その瞬間まで。
その瞬間まで、表情を変えなかった。
「……うう……負けました……」
負けた後は、表情豊かなリズに戻る。
だらりと右腕を垂らしている。
「……マスター。すまないが、後で魔力供給を頼めるか? 限界寸前まで使ってしまった」
レベッカは、言葉通りすまなさそうな表情だ。
今、誰かに攻め込まれたら、この二人使い物にならないかも。
「二人共、本気出しすぎ」
「だって、マスターが生活態度を改めるチャンスですよ?」
「ああ。勤務態度への不満を無理なく叩き付けられるチャンスなどそうあるものではない」
「そこから誤解だと思うな。……まあ、サマルカンドにだけご褒美ってのも変だから、優勝者にってところは分かるんだけど……私は『休日をくれてやる』って言ったよね?」
リズとレベッカが、二人して目をそらした。
「じゃあレベッカ。近いうちにお姉ちゃんと一緒に一日お出かけしようね♪」
「リズ。私は優勝を辞退する」
「レベッカ。それは敗者への侮辱ですよ」
そんな申し出を、プライドの高いリズが受け入れるはずもない。
ちょっと羨ましそうにはしているが。
それには気付かなかった振りをして、レベッカの方を向く。
「後、それはそれとして、今日、ベッドで一緒に寝て魔力供給しようね。優勝の副賞って事で」
「え?」
「ふむ。魅力的な申し出ではないか。レベッカ殿、楽しまれるがよい」
「ハーケン。代わってやろう。何、部下をねぎらうのも上官のつとめだ」
「ハーケンにもするよ。明日起きてからになるけど」
私はレベッカに笑いかけた。
「部下をねぎらうのも上官のつとめだからね」
こうして、思ったより熱い戦いとなった突発的レクリエーション、腕相撲大会は終わった。
「私は……勝ったんだよな……?」
最後に優勝者のレベッカが遠い目をしていたのは、気にしない事にした。




