ただの余興、あるいはプライドを賭けたレクリエーション:2回戦
私の、『お前が勝ったら、一日だけ私を好きにしていい』という発言に、サマルカンドがやる気を見せた。
「まあ、良識には期待しよう。もちろん、あまり非常識な願いはダメだぞ。だがそうだな……"病毒の王"の名において、最高幹部の休日を、丸一日くれてやろうではないか」
「レベッカ様。――負けられぬ理由が、出来ました」
まとう空気が、普段の、むしろのんびりとしたゆるい物から、肌が粟立つような鬼気迫る物に変わった。
いまいち表情の読めない眠そうな横三日月の山羊の瞳が、色を変え、眼光が赤く燃え立つように強く輝く。
そこにいたのは、小間使いの黒山羊さんではなく、私に忠誠を誓う一匹の悪魔だった。
「……ああ、お前はデーモンだったな。そうしていると、普段の腑抜けた姿とは別人ではないか」
その姿を見て、なおレベッカが笑う。
「――倒し甲斐、というものがあるな」
幼女の顔で、彼女は笑うのだ。
にやりと。口元を緩めて。口元を歪めて。
不敵な笑みを、浮かべるのだ。
きゅっ、と、彼女は手に黒手袋をはめた。
その五指全てに、青緑の怪しげな鬼火が灯る。
ゆっくりと握り込んで……拳が青く燃えた。
その炎が収まっていき、凝縮された鬼火で、拳の輪郭が青白く光る。
「最近は後方での支援と指揮が多いが……な? これでも伊達に建国前から、幾多の戦場を経験していないぞ」
彼女はこの中でハーケンと並ぶ最古参だ。
リベリットグリズリーをゼロ距離"火球"のただ一撃で仕留めた際の身のこなしも、指揮官や固定砲台のイメージが強い魔法使いの物ではない。
ウェスフィアでも、彼女が召喚した不死生物達は、使い捨ての肉壁として数の不利を覆す要因だった。
……とはいえ、結局レベッカが剣で戦う事はなかった。
ハーケンとペアを組み、さらに途中からブリジットとリズ、それに私の護衛役のバーゲストが加わったのだから、後衛として振る舞うのが当然だ。
私は彼女に、自信に見合うだけの『腕力』があるのかを知らない。
「我が主に勝利を捧げましょう」
「経験という黄金の重さを、ひよっこデーモンに教えてやろうではないか」
……なんで、腕相撲なのにこんなに火花を散らすのかなあ。
先の戦いを受けて、最初から左手でテーブルの端を掴んでいるレベッカ。
身を大きくかがめて、明らかにサイズの違うレベッカの手を覆うように握り込むサマルカンド。
サイズ差がひどくて心配になる。
ていうかサマルカンドはレベッカの三倍ぐらいあるように感じる。
身長では二倍もないが、体積や体重なら、あり得る話だ。
「あー、二人共? ひどい怪我だけはないようにね?」
「無論」
「心配するな。わきまえているさ」
本当に?
内心とても心配だったが、それでも私は手を振り上げた。
「では――レディー、ゴー!」
上に上げた手を、振り下ろす。
「無様だな、サマルカンド。力だけで勝とうとすれば……より強い力に敗北する。それが道理だ」
鬼気迫るオーラを発し、全力でねじ伏せようとするサマルカンドに、レベッカは笑ってみせた。
うん、そういう競技だからね?
それはもちろん、先程リズがハーケンを倒して見せたように、身体の使い方が物を言うが、それは前提に近いものであり……結局は腕力が強い方が勝つ。
それが道理であり……、私は単純な体格差で、サマルカンドの方が有利だと思っていた。
しかし目の前の光景は予想とは真逆で、レベッカは体格差をものともせず、サマルカンドと拮抗している。
「道理は、覆らない」
ギリ……と均衡が崩される。
後、ほんの数ミリで敗北するというところで、サマルカンドがこちらを見た。
「我が主。……これはルール違反なのかもしれませぬ。ですが、どうかただ一言――『勝て』と仰せになって下さい」
「えーと……」
「構わんぞ。"血の契約"の基礎能力向上は、身体強化系魔法の範囲だろう。つまり、ルールの範囲内だ。応援してやるがよい」
あくまで余裕のレベッカ。
「分かった。サマルカンド。――『勝て』」
血の内に脈打つ契約を通して、彼に命じる。
全身の血が、熱くなった。
「御意」
「……ほう」
数ミリで、止まった。
サマルカンドの輪郭が、ほどけた。
黒く艶やかな毛が、どことなく現実感をなくして、末端が白く霞む。
角がねじくれて長く伸び、眼光が一際赤く輝いた。
「"血の契約"の重さに懸けて。我が誓いの重さに懸けて。我が主への愛の重さに懸けて。――勝たせていただくっ……!」
サマルカンドの全身の筋肉が膨張する。
赤黒い血管が浮き出て、ぴくぴくと震えた。
この世の物ではないような非現実感と、生々しい躍動感。
上位悪魔としての全能力が、注ぎ込まれていた。
「サマルカンド。そう強い言葉を使うな。これはあくまで遊びだ。……嘘になってしまうぞ」
だが、最後の数ミリから、動かない。
「それに、言ったはずだがな」
レベッカが、悠然と微笑んだ。
「――道理は、覆らないと」
レベッカが、最後の数ミリを、サマルカンドの巨体を地に落とすように、押し込んだ。




