帰還命令
ウェスフィアが、陥落した。
……という簡単な(事後)報告のお手紙を、幽霊鳩の鳩便にて陛下へと送り、今は割とのんびりしている。
訓練に参加もしているが、フルは無理。
うちの死霊騎士達は、熱意に溢れて頑張っているが、正規の騎士であり不死生物でもある彼らと、ただの人間である私を一緒にしてはいけない。
何より私を含む上位メンバーは、ウェスフィアでの作戦行動後だ。
強行軍の疲労に加え、私は初の前線という事で、数日は悪夢に悩まされる新兵の定番コースになり、少し寝不足。
見かねたリズが添い寝を申し出てくれたので、昨日は大分マシだったが、それでも夜中に一度うなされているところを起こされた。
必要と信じ、覚悟を決め、けれど心と身体は、そこまで綺麗に割り切れる物でもない。
公衆浴場ではないにしても、お風呂に入ってのんびりとリフレッシュなどしても許されるだろう。
リタルサイド城塞にも、お風呂はある。練兵場に汗を流し疲れを癒やすための浴場が併設されているのだ。
もちろん、ある程度の人数がまとまって利用する事を想定されているので、そこそこ広い。
"粘体生物生成"を含む魔法あってのお風呂普及率。水道管が要らないって素晴らしい。
欲を言えば温泉が湧いていたら嬉しかったが、それは本当に欲を言いすぎだろう。
リストレアのお風呂普及率には、ウーズは水より粘度が高いため、浴槽の水漏れ基準がかなり緩いというのも貢献しているのだ。
後、当然男女は別だ。
男湯も女湯も同じサイズだが、男女比でいうと男性の方が多いので、女性の方がゆったりと使える計算。
そんなわけで今日も、ブリジットとリズだけでなく、アイティースとレベッカに、クラリオンも含むみんなで、訓練後の汗を流し、親睦を深めるという名目でお風呂に入っていた。
ブリジットと共に城壁に登り、湯上がりのほかほかした身体を夜風に当てて夕涼みしていたのだけど。
「マスター、帰還命令です」
リズがお手紙片手に呼びに来た。
「リズ。え、帰還命令?」
「はい」
「じゃあ、名残惜しいけど明日にでも帰ろうか……」
「それが、手紙を受け取り次第、発つように、と……」
「急だね? なんでまた」
「ウェスフィアの件について、早急に会議を行いたいとか……陛下より『作戦後すまないが、至急帰還するように』との事です」
渡された手紙に目を通す。
リズが要約してくれた通りの内容だ。
「これ、明日の朝受け取った事にするのはどう?」
「……まあ、気持ちは分かりますけど」
軽いながらも、それは命令無視だ。面倒な事になる可能性もある。
「仕方ない……か」
ため息をつく。
「ブリジット、そういうわけだから……」
「ああ。陛下の命令では仕方ないな。また、いつでも来い。歓迎する」
「うん」
ブリジットが私を軽く抱きしめ、私もブリジットを軽く抱きしめ返す。
「うちの死霊騎士達は、休ませといてやって。明日からゆっくり、馬車で帰ってくればいいって言ってやって」
「分かった」
「それじゃあ、またね」
「またな」
最後にお互いに手を軽く振って別れ、リズに先導されて城壁を下りる。
部屋に立ち寄って、既にまとめられていた荷物を受け取り、城塞の広場に行くと、アイティースが飛行服に着替えて、リーフの傍らに立って待機していた。
「おう。急だな。けど、準備終わったぞ。いつでも飛べる」
「ありがとう。リーフは、大丈夫?」
リーフがクェェ……と軽く鳴いてみせ、アイティースも頷いた。
「もう疲れも取れたよ。帰って来てからは、軽くしか飛んでないしな」
リズとサマルカンドに助けられながらリーフに乗り、馬上の……いや、グリフォン上の人になる。
ゴーグルを下ろした。
「準備はいいな。――目標、リストレア王都」
全員が乗り込んだ事を確認し、アイティースが前を向いた。
「行くぞ」
リーフがライオンの後ろ足で踏み切って、ワシの翼の一打ちで重力を振り切るように宙に浮いた。
城壁の上で手を振っているブリジットの姿が一瞬視界に映り、しかし、すぐに見えなくなった。
獅子と鷲の合成有翼獣たるグリフォンの肉体は、スカスカの骨をしたまっとうな鳥に比べれば、異常なまでに頑強だ。
まともな物理法則に従えば、鷲部分はまだしも獅子の部分が明らかにデッドウェイトになって飛べるはずもないのだが、そこは主に魔法でなんとかしているという。
大型化すればするほど、魔力容量自体は増える。その分食べなくてはいけない量も増えるのだけど。
ドラゴンはその進化の果てにいるのかもしれない。
平時は、半分眠って過ごす事も多いために、あまり多くの食事を取る必要もない効率の良さを誇る。
しかしひとたび、硬い鱗をびっしりとまとい、骨も筋肉も頑強極まる竜が魔法で飛んで魔法で鱗を強化して魔法で炎の威力を増幅して吐くと……即座に魔力切れに陥る。
竜は魔力吸収能力は持たないが、通常の回復手段は有する。
つまり、『食事による魔力を含む栄養摂取』だ。
リストレア魔王国がパトロールと、大型魔獣の狩猟以外にドラゴンを前面に押し出さないのも、かつてランク王国の最高戦力の称号をほしいままにした"ドラゴンナイト"が切り札として位置づけられたのも、戦闘時の燃費の悪さゆえに他ならない。
飢えれば飢えるほどドラゴンは危険になり……敵軍を喰らえねば、次は味方だ。
本当は竜は、飢えるような生き物ではないのだ。
生態系のピラミッドの頂点に位置する絶対的な頂点捕食者であり、ドラゴンに喧嘩を売る野生動物などいない。
同族同士で争う事も、滅多にない。そもそも、生息圏がまずかぶらない。
力の強大さに比例するような、温和な種族だ。
そんなドラゴンを、戦いに駆り出そうというのならば、相応の覚悟がいる。
リタル様のような上位ドラゴンがいなければ、危なくて仕方ない。
対してグリフォンは、平時もよく食べるが、戦時になれば食事量が増えるかというと、そうでもない。
うちの黒妖犬は一応お肉とかも食べられるが、魔力吸収能力をメインに活動していて、魔獣にも色々いるのだな、と。
……夢、みたいだ。
夜空を、グリフォンに乗って、飛んでいる。
可愛いダークエルフのメイドさんを筆頭に、私を主と言ってくれる皆と一緒に。
私がいる場所は、地獄ではない。
――本当に?
目を閉じると、真っ暗闇になった。
急速に、音が消えていく。
暗い家畜小屋で、何も考えず膝を抱えていた。
城壁の上で、突き落とされるのを待つばかりだった。
悲鳴と怒号と共に、街が一つ、炎に呑まれる。
ずっと夢を、見ているような気がする――
「マスター、起きて下さい」
ゆさゆさと、揺さぶられる。
「ふぇ? あれ……寝てた?」
実際、途中から夢の世界の住人になっていたらしい。
意識が戻って、目を開けた瞬間、眩ゆい光が目に飛び込んできて、思わず目を閉じた。
朝日だ。もう、夜が明けていたらしい。
「よくあんな体勢で寝られますね。ある意味尊敬します」
リズの言葉通り、無理な姿勢で寝ていたらしくなんか首が痛い。
しかし、よく寝たらしく、結構すっきりとしていた。
「まあ、姿勢はどうあれ、寝られるならば寝かせておいた方がいいと思いまして」
「うん、ありがと。乗り物の振動は眠気を誘うねえ」
車とか、電車とか。
特に冬場の、暖房の効いた電車は、疲れていると意識を手放したくなる。
他人を信用出来なかったので、基本的に電車では寝ない派だったけど。
「マスターは繊細なんだか図太いんだか分かりませんね。……まもなく王都ですよ」
リーフはまだ飛んでいる。
少し体温は上がっているが、苦しそうな様子は見せていない。
「――降りるぞ」
アイティースの言葉と同時に手綱が引かれ、翼が畳まれた。
ぐんぐんと地面が近づき、急制動が掛けられるに至って、はっきりと目が覚める。
着地は緩やかで、数歩歩いて止まる。
"病毒の王"の屋敷の前。見慣れた場所だが、グリフォンの上からだと、また印象が違う。
アイティース以外の全員が降り、彼女はリーフの首元に跨がったまま、私達に声をかけた。
「私は、このまま"闇の森"に戻る。……世話になったな」
ウェスフィアに行く前から、そういう約束だったのだ。
リタルサイド城塞から王都へ帰ってきたら、"闇の森"の"第三軍"の元へと帰る……と。
「こっちこそ、ありがとう。ごめんね、寝てて。アイティースは寝なくて大丈夫?」
「半日寝ずに飛ぶぐらい、当たり前だ。……ていうか、グリフォンの上で寝た奴は、初めて見たよ」
まあ、普通はグリフォンライダーを一人だけ乗せるか、"第四軍"死霊軍のように、クロスボウなどの遠距離武装持ちを後ろに乗せるのが普通だ。
寝ていいような状況自体が、まずない。
「新しい飛行服、どう?」
「ん、いい感じだ。サイズちゃんと合ってると大分違うもんだな。手綱も操りやすいし、長い時間座ってても疲れにくい気がする」
アイティースの飛行服は、明らかに(胸の)サイズが合っていなかったので、リズに頼んで、リタルサイド城塞で、魔力布製の飛行服を一着仕立ててもらっていた。
ウェスフィア行きには間に合わなかったが、アイティースが帰るまでに間に合って良かった。
気に入ってくれたようで何よりだ。
「元気で……ね」
「ああ。またなんかあったら……遠慮なく呼べ。私もリーフも、お前達のために、飛んでやる」
アイティースが手綱を引き、リーフが地面を蹴った。
一人と一匹が、朝日を浴びて白く輝く。
「ラトゥースとカトラルさんによろしくね! 私にとって、アイティースが最高のグリフォンライダーだって言っといて!」
ぐんぐんと遠ざかっていく後ろ姿に、両手を口元に当ててメガホン状にして、思いきり叫んだ。
聞こえたかどうかは、分からないけれど。
リーフとアイティースは、途中で旋回し、一度翼をきらめかせてから、"闇の森"の方へと飛んでいった。
頬が熱かった。
新しい飛行服が、サイズ面の改善だけではなく、防寒性能も上がっているのが、裏目に出ているかもしれない。
彼女は、自らの騎獣たるグリフォンに声をかけた。
「……変な奴だったよな。なあ、リーフ?」
返事はない。
グリフォンは人語を解するかどうか、はっきりした事が分かっていない。
定型の命令は聞くし、込められた感情などは理解している節もあるが。
だから、これは彼女にとって、ただのひとりごとだった。
「……あいつには、私が、最高のグリフォンライダーだって、さ」
彼女は、未だ見習いだ。
あくまで候補の一人で、正式なグリフォンライダーとして認められてはいない。
そんな、自分が。
手を伸ばし、ぽん、とグリフォンの首元を軽く叩く。
「どうなるかは分かんないけど、さ。……また、あいつのために飛ぶ時が来たら……よろしくな? リーフ」
リーフが、一声鳴いた。
それ以上はお互い口を開かず、"闇の森"をまっすぐに目指す。
頬の火照りは、帰るまでには落ち着くだろう。
けれど、この胸の熱は。
この胸に灯った火は、きっと消えない。




