バーゲスト解放
私とクラリオンは、観光客として、街中を歩いている。
地理の把握は終わった。
時間が短く完璧と言うには遠いだろうが、それでも民間区画が、工業区画と軍事区画に接する場所は割り出され、かつ、そこまで怪しまれずに行くルートの選定も終わっている。
夕食後、夜の街を散策するという体を装って、バーゲストの解放ポイントまで二人で連れ立ってやってきた。
そして連絡役として、クラリオンを先行させる。
コウモリになって、ぱたぱたと飛んでいくクラリオン。
後は、大半の者が寝静まるのを、もう少し待つだけ。
そこで私は――自分に近付いてくる者達がいる事に気が付いた。
正確に言うと、バーゲストがいち早く気が付き、ローブの裏の陰から私に警告を発する。
なんと……囲まれている。
いつでもバーゲストを解放出来るように備えながら、胸の奥に湧き上がる不安を懸命に抑え込もうとした。
心臓の動悸が、うるさい。
百匹のバーゲストで切り抜けられないほどの戦力がいるはずがない。しかし――いるかも、しれないのだ。
強者が自分の実力を隠すのは、当然の話。戦闘中でもなければ、各種術式を全力展開するはずもない。魔力反応は、必然的に弱くなる。
さらに、万が一動きが筒抜けだったら……?
網を張っていたかもしれないのだ。
私という、人類の怨敵を討ち滅ぼすために。
私がいるのは、工業区画もほど近い、民間区画と軍事区画が接する場所。
石造りの城壁を背にした、小さな広場だ。
逃げ場はない。
広場に通じる四本の路地から、同時に人影が現れた。
「……おい。お嬢様とメイドって話だったよな?」
「お嬢様はどこ行きやがったんだ?」
ぞろぞろと十人ほどが姿を見せて、私を取り囲む。
とても魔王軍最高幹部を追い詰めたという雰囲気ではなく、むしろのんびりと構えて話しているので、ゆっくり数えてみると、十二人だった。
他の気配は、少なくともバーゲスト達に分かる範囲ではない。
全員男で、ガラが悪く、装備はまちまち。誰も鎧は着ていないし、武器もナイフや小剣、短い曲刀など、軽めだ。
どうも、帝国正規兵には見えなかった。
「……あのー、あなた達は?」
とりあえず聞いてみる。
素直に教えてくれるとも思えないが――
「目立つお貴族様と、その連れに、昨日から目を付けてたんだよ。お嬢様はどこだ? 大人しく吐けば、あんたは生かしておいてやってもいいぜ」
とても素直に、教えてくれた。
「つまり、盗賊さん?」
「まあ、そういうこった」
別口らしい。
魔王軍最高幹部という立場を見破られ、狙われたのではないか――という自意識過剰が、ちょっと恥ずかしかった。
プライドの全てを脇に置き、自分なりに作り上げた『メイドのデイジー』として、クラリオンと共に貴族のお嬢様とそのメイドを演じた。
そこにミスがあったのではなく、むしろ、油断して当然の、無害な存在を演じたゆえ、という事なのだろう。
しかし、という事は、だ。
これは、もしかして。
「え、ごろつき? ならず者? 私、今、絡まれてる?」
「……なんで嬉しそうなんだよ」
「落ち着け私……ええと、そう。――『この命に代えても、お嬢様に手出しはさせません!』」
薄い胸に手を当てて、キリッとした顔で宣言する。
「……で? そのお嬢様はどこにいるんだよ」
「しまっ……このパターンはお嬢様が見てくれてないといけないんだった……」
頭を抱える私。
『ただのメイドに見せかけて実は護衛で凄腕』を、自分でもやってみたかった。
でも、やっぱりリズに任せよう。
「……頭おかしいのかこの女?」
「それはよく言われるけど、美少女じゃないとびっくりするぐらい腹立つな」
仕方ない。
旅先の解放感に任せて遊ぶのは、これでおしまい。
これは予定にないが、選択も、覚悟も、とうに済ませた。
私はこれから――私の意志で、人を殺す。
私は、短いスカートの裾に手を掛けた。
「なんだ? 色仕掛けで命乞いか? まあ、割と見てくれはいいからな。お嬢様の居所さえ吐いてもらえば、命までは取らねえよ」
「そうそう、命まではよ!」
下卑た笑い声を上げるごろつき達。
しかしもう、腹も立たない。
とても静かな気持ちに、なるものだ。
怒りでも、憎しみでもなく、ただ必要だから人を殺すと決めた時は。
「仕留めろ。あまり音は、立てるなよ」
ぞるり。
「何言っ――」
一匹の黒妖犬が、私のスカートの裏の陰からこぼれ落ち、犬の形を完全に取る前に飛びかかりながら、喉笛に食らい付いた。
さらに首を捻りながら引きずり倒す。その際にゴキリリ……と、首の骨が捻り折れる鈍い音を響かせた後は、私の命令に従って、優しささえ感じさせる動きで、死体を横たえた。
残りも影を伝い移動し、丁度潜水艦が急浮上するように影から伸び上がると、口を開きかけた者から優先して、食らい付いていく。
呆けたように固まった者は後回しにし、逃げようとした者には足首に噛み付いて転ばせながら、別のバーゲストが首筋に牙を突き立てて、頸椎を噛み折る。
まともな悲鳴も上がらないまま、十二名のごろつき達はかすかなうめき声だけを残して、物言わぬ屍となって転がっていた。
胸に手を当てると、心臓の動悸が、ゆっくりと静まっていくのが分かった。
厳密には手を下したのは私ではないとはいえ、自分の意志で殺害の命令を下し、その命令に従って目の前で人が死んだというのに、なんというか、思った以上に……心が揺れない。
「……観光地評価……Cかな?」
減点理由は、治安が思ったより悪かったため。
まあただの観光旅行に、裏路地を選ぶ方が悪いと言えなくもない……けど。
いつか、個人的に観光地評価Sの観光地を作り上げてみたいなあ。
ポジティブに考えれば、今日までの観光がいまいちだったのも、攻撃対象に情が移らなくて、良かったかもしれない。
『そう出来る』つもりではいるが、その時私が、本当にそう出来たかは……分からないのだ。
そんな下らない事を考える、余裕さえある。
それでも、あまり気持ちのいいものではないので、物言わぬ元ごろつき達からなるべく視線を外しながら、私は時を待った。
すりよってくる黒妖犬達の首筋を撫でながら、かなり高級品の懐中時計を胸元から取り出して、眺める。
なお、私のこだわりによりランク王国製。
中身まで私の世界と同じかは分からないが、ランク王国の職人達は、いい腕をしているのではないか。
手工業の世界において魔法は決して絶対ではないが、身体能力を向上させれば、より細かい作業を、より正確に行える。
それを考えれば、私の世界より、一部の技術レベルが上でもおかしくない。
最近は『魔法の使い手が減ったせいで』軍事関係からの魔法使いの引き抜きが激しく、こういった直接軍事に関わらない分野は危機に瀕しているとか。
なのでこれは、私達が勝ったら消えゆく技術かもしれない。
人が生み出した沢山の技術が、忘れ去られていく。
「――時間だ」
針が十二時を指した。
これがシンデレラなら、魔法は、終わり。
……夜十二時までやる舞踏会って、ちょっと遅くなーい? と思うのだけど。
そのままベッドに連れ込まれそう。
一体シンデレラのお家がどの程度だったのか、いまいち分からないが。
王宮主催の、王族も姿を見せる、王子様の嫁選びという噂のパーティーに呼ばれる時点で、結構な貴族だったのではと思ってしまう。
あれは、生まれに恵まれたお嬢様が、けれどその後に苦難を経て、最後には全てを取り戻すお話。
童話形式のざっくり語りだと、魔法使いの動機が全く分からないので、どんな見返りを要求されるか、その後が実に不安になるお話でもある。
魔法使いは、どうしてシンデレラを助けたのだろうか。
魔法使いは、シンデレラと、どういう関係だったのだろうか。
お話は、お話以上の事を、何も語らない。
そして私は、シンデレラじゃない。
私は、"病毒の王"。
種族、人間。
目標、人類絶滅。
病と毒の王の名を戴く、最低最悪の、魔法使い。
メイド服のスカートの裾をつまんで振って、残りの黒妖犬を全て展開する。
百匹を超える、一つの群れ。
私を中心とした黒い海の中に、一斉に深紅の眼光が灯る。
「行け、お前達。見張りと起きている人間を優先して処理。眠っている者はそのまま永遠の眠りを与えろ。――全て殺せ」
私の命令で、護衛に一部を残し、ばっとバーゲスト達が散る。
ほとんど足音も立てずに、風のように黒い影が走って行く。
そびえ立つ垂直の城壁を、助走から跳躍して飛びつき、小さな足がかりに爪を立て、重力に引きずり落とされる前にもう一度跳躍して城壁のてっぺんに取り付くと、城壁の上に身体を引きずり上げた。
一部は向こうへ飛び降り、一部は城壁の上を駆けていく。
散らばっていくバーゲスト達を見送った後、私は残ったバーゲスト達と共に、迎えを待つ。
私は、悪い魔法使い。
多分、本当は怖いバージョンのグリム童話にしか、出番がないだろう。




