人間としての責任
昼風呂は正義。
心もほこほことした湯上がり気分の上機嫌で、リズとブリジットと共にリタルサイド城塞に戻ると、レベッカが出迎えてくれた。
「おかえり。楽しめたか?」
「うん。……お仕事、お疲れさま」
レベッカが目を見開く。
「……気付いて、たのか?」
「半分はカマかけだけど。私が気付いたと言うより、リズとブリジットが気配に気付いてね」
「……そうか。暗殺者二名だ。種族は……」
「人間でしょ?」
「ああ。睡眠魔法で捕らえ、拘束してある。尋問はまだだ」
「その辺は任せるよ。リタルサイド駐留軍の人達と協力してね」
「分かった。ブリングジット殿。そういう事でよろしいか」
「無論だ」
レベッカの言葉に、ブリジットが頷く。
さっきまでまったりとお風呂に浸かっていた彼女とは、別人のようだ。
「例のレンズで、弓の射程が伸びて以来、城壁の向こうには偵察が近付かないからな。恐らく手練れを潜ませて、探りを入れに来ているとは思っていたが……こうもあっさり尻尾を出すとは」
「美味しそうな獲物を見つけたんじゃないかなあ」
「……あんまり無茶はするなよ」
そう言うレベッカに、私は首を横に振った。
「無茶をしたのは私じゃないよ。万が一の時は、裸で戦わなきゃいけなかったリズとブリジットだから。……ごめんね、無茶させて」
「私達はどうとでもなる」
「ええ。魔王軍最高幹部と、近衛師団所属の暗殺者を舐めないで下さいますか」
「その理屈で言うと、私も魔王軍最高幹部だから舐めないでよね」
リズが呆れ顔になる。
「……バーゲストを連れていないマスターに戦闘能力があるとお思いですか?」
「それは思ってない」
一応バーゲストは脱いだローブの方に潜んでいたが、呼んでから来るまでにはタイムラグがある。
いつもの、バーゲスト達の自己判断による迎撃体制と比べると、雲泥の差だ。
「……もうちょっと自分を大事にして下さいよ」
「全くだ」
「これでも結構、自分を甘やかしてるつもりだけどねえ」
油断させるためが半分とはいえ、可愛い女の子とお風呂に入るのを、お仕事に組み込んだり。
二人が、若干呆れ顔になる。
やっぱりこの二人姉妹だけあって、こういう顔までよく似ている。
「ブリングジット様……」
そこに、"第二軍"の人らしい兵士さんがやってきて、ブリジットを呼んだ。
そして私と彼女とを何度か見比べる。
「用件は分からんが、ここにいる者は信頼出来る。不都合がありそうなら止めるから、言ってくれ」
「はい。"病毒の王"様と、どちらに報告するべきか迷ったのですが……"第六軍"の方がお見えです。クラリオンという方で……」
「クラリオンが? 今、どこに待たせている?」
「部下だという方と共に、死霊騎士の方々と近い宿舎を割り当てさせて頂きましたので、そちらに」
「分かった、ありがとう。――リズ、どうする? 私はクラリオンの元に行くが」
「私は捕らえられたという暗殺者の元へ参ります。お一人で、大丈夫ですか?」
「城塞内ならね」
まだ百匹のバーゲストがローブの裏に控えている。
この子達の鼻も耳も、並の暗殺者では誤魔化せないし、並の戦士ではこの数の黒妖犬に対抗出来ない。
安全面は、あまり気にしなくていいだろう。
「では、案内を頼む」
「はい。こちらです」
ブリジットと私に一礼して、兵士さんが私を先導して歩き出した。
案内の兵士さんが、一つの部屋の前で立ち止まり、扉をノックする。
「"病毒の王"様をお連れしました」
フードを目深にかぶった女性ダークエルフが、扉を開けて私を出迎えると、片膝を突いてひざまずいた。
「"病毒の王"様。クラリオンであります」
一々名乗るのは、彼女がドッペルゲンガーだからだ。
「楽にしてくれ、クラリオン。――案内ご苦労。下がってくれ」
「はっ」
クラリオンに招かれて部屋に入る。
士官用の個室だが、飾りっ気はなく、石壁もそのままな殺風景な部屋だ。
家具は、ベッドと書き物机、それとセットの椅子だけ。
「椅子をどうぞ」
「クラリオンも。ベッド座っていいよ」
勧められた椅子に座ると、クラリオンが立ったままだったので、ベッドに座るように促した。
「ありがとうございます。……こちらにいらしていたのですね」
「うん。バーゲストの増強の目処がついた」
「それは良いニュースですね。十匹ほどは期待してよろしいでしょうか」
「よろしくない」
私は首を横に振った。
「そうですか……五匹、いえ、一匹でも貴重です」
「百匹いるから、配分は応相談という事で」
「……今、なんと仰られました?」
「現地活動班がお仕事してる間にね、私も頑張ってたんだ。国内で番犬代わりに使われてるバーゲストを引き取ったり、野生の群れを私の群れに組み込んだり。"荒れ地"で五十匹ぐらいの群れを組み込んで、一気に増えたね」
「ごじゅ……!? が、頑張り方が、おかしくはありませんか」
「これでも頑張ったつもりだったけど……」
「いえ、それを否定するものではなく……。あの……百? 黒妖犬が?」
「うん」
「我らが主は、おかしいでありますよ……」
呆れ声。
声は姿ごとに違うが、口調や間の置き方など、クラリオンだなあって。
「それは知ってると思ってたけど」
「……知っていたつもりになっていただけだったようです」
もっとおかしいという事か。
「暗殺班が喜ぶでしょう。それだけの数があれば、薄く広く配備するにせよ、一点集中するにせよ、戦略に幅が出るでしょう」
「せっかくまとまった数がいるんだから……そうでないと出来ない事をしたいなって思うんだけどね」
私は口元を歪めるように笑った。
「それはそうですが……あの、"病毒の王"様?」
「なにかな?」
「私、"病毒の王"様がその笑顔だと、嫌な予感しかしないのでありますが」
「そっか」
にっこりと笑う。
「慣れてね」
その後、内容を聞いたクラリオンは、顔色を悪くした。
「マスター。どうか……考え直しては頂けませんか」
クラリオンの言葉に、私は断固として首を振った。
「それが必要だと信じる」
「ですが。それは……それは、あなたが人間であるという事実を……利用するという事です」
「必要なら、そうする。私は君達へ種族特性を利用した任務を命じた。……出来るからと、必要だからと、そう命じた。自分を例外にするつもりはない」
私は、静かに宣言した。
私の命令が、人を殺した。
私の手はもう、人を殺した。
罪のない人間として死ぬ事なら、出来ただろう。
いつかの城壁の上で、何もしなければ良かった。
何も思わず、精神魔法でぼんやりとした意識のままで死ぬ事も出来た。
自分の意識を取り戻した後も、理不尽を嗤って、いつか良い世界になる事を信じて殺されるか、自分で城壁の下に身投げするぐらいの自由は、あったのだ。
ただ私は、人間であるためには、理不尽に抵抗すべきだと信じる。
……たとえ自分自身がその理不尽になり代わる形であっても。
「……リーズリット様と、レベッカ様のご許可を頂く事が、条件です」
「分かった。プランに必要なものを集めてくれるように通達。すまないが、休暇の予定を遅らせてくれ」
後で、擬態扇動班の休暇ローテーションを組み直さないと。
「はい。休暇を返上いたしますよ」
「それはダメ。休む時は休んで。……じきに、休めなくなるかも、しれないから」
ドッペルゲンガーは、替えが利かない。
そして、数が少ない。
感情的な理由を全て除いても、使い潰すような真似が出来るはずもない。
「はい。……それで、本当にこのプランを進めるのですか?」
「もちろん」
頷いた。
「誰が、同じ責任を負わない上司を信頼するものか」
「……上司に何かあっても、責任あるから困るんですけど」
正論だ。
「そこは信じてね」
「あ、はい……」




