獣人軍からの招待
サマルカンドは現在、"病毒の王"陣営の護衛班という立場にある。
お仕事は、陰日向なく"病毒の王"を守る事。
しかし、護衛のお仕事というのは、そう忙しいお仕事ではない。
元々ある程度、軍人というのはそういうものだが、有事に備えるだけではもったいない。
なので、護衛と副官とメイドを兼任しているリズのように、護衛と王城の連絡係も兼ねてもらう事にした。
そのサマルカンドが持ち帰ってきたのは、獣人軍よりの招待状。
「獣人軍から招待?」
「はい。いかがいたしますか?」
差し出された封書を受け取る。
「ふーん……獣人軍の長って、あの"折れ牙"さんだよね?」
狼の獣人で、体格の良い獣人の中でも一際大柄なひとだ。
武功の誉れ高い、魔王国有数の戦士として、魔王軍最高幹部を務めている。
「はい、"折れ牙"のラトゥース様です」
「なんか嫌われてる気がするんだけど。公的行事でよく睨まれるというか」
「反"病毒の王"派ですからねえ……あの方は、竹を割ったような性格の戦士ですから、無理もありません」
洋風の異世界で、『竹を割ったような』という表現が使われる不思議。
本当にこういう世界なのか、不思議機能の味付け翻訳なのかは気になるところだ。
開封して中身を確認する。
「用件は……書いてないね。というか、修飾語を省くと『来てほしい』としか。何のお誘いだろ?」
「私にも見せてください、マスター」
リズが渡された手紙を読み込むのを待った。
「リズはどう思う?」
「なんか罠の匂いがしますね」
「うん、なんかこの機会に邪魔者排除しようとか、そういう雰囲気がする」
しかし。
「でも……これ、公的な申し込みだよね?」
「王城に一度届けられたものです、我が主」
つまり、この招待は王城に記録が残っている。
「はい。……事故に見せかけるにしても、責任問題に発展しますよね……」
しかも自分達の本拠地だ。
そんな所に招いた『客人』が……『事故死』でもしようものなら。
この館に刺客を差し向ける方が百倍マシ。
「うーん……ま、行ってみよっか」
「そんな軽く仰って」
「まあ、最高幹部とはなるべく仲良くしておきたいし、さすがにこんな公式の招待状出しておいて罠に掛けるって事もないでしょう」
「だと良いのですが」
"闇の森"。
昔からずっとそう呼ばれているので、誰も特に正式な名称を付ける必要を感じなかったらしい。
もう一つの呼び名は、"大森林"。
その名の通り、王都より北方に広がる、かなり広大な森林地帯だ。
どこからどこまでを闇の森、あるいは大森林と呼ぶかは微妙なところ。たまに途切れたりするが、この国の半分は森に覆われているのだ。
その中でも、特に地域を指定せず"闇の森"と言った場合は、"獣人軍駐屯地"を意味する。
国境付近の砦に暗黒騎士団と共に多数が詰めているが、獣人軍の本部はここ、闇の森に他ならない。
獣人。
男性はほぼ直立した獣に近く、女性は人間の耳に加えて獣の耳が生えている以外は人間とそう変わらない。
獣のタイプは様々なように見えて、犬科と猫科しか確認されていない。
今の最高幹部"折れ牙"のラトゥースは、狼の獣人だ。
事情が少々特殊な不死生物を除けばの話だが、この国の住人の約半数を占める、ダークエルフと並ぶ多数派種族だ。
「まもなく駐屯地です、我が主」
「ありがとうサマルカンド。ご苦労だった」
「過分なお言葉……」
御者を務めているサマルカンドをねぎらう。
王都から馬車だ。街道は舗装されていないが、雪で閉ざされていない今なら、半日かからない日程となる。
「やっぱり、王都から少し離れただけで、雰囲気が随分と変わるね」
「あそこは、徹底的に開拓されていますからね。……これが、この国の原風景と呼べるかもしれません」
鬱蒼とした森が、視界のほとんど全てを占める。
空を見上げれば、木々の梢以外に視界を遮るものがない。
農耕や牧畜に適した平野など、望むべくもない。
この土地は、人が生きるのに厳しい土地だ。
ごく少数の獣人が元々住んでいただけの、大陸北端の地に、魔族は追いやられた。
「私の故郷も、このような所でした。もう少し、北の方ですけどね」
「私の故郷は……どんなだったかな……」
森は、あったろうか。
思い出せる光景は、ほんの僅か。
何パターンかに分類出来る、よく似た家が立ち並ぶ住宅街。
少し街の方に足を伸ばせば、そびえたつビルに空は切り取られている。
県名すらも、覚えていない。
「忘れちゃった……」
それでも、断片的な光景を懐かしく思い出せるのは、やはりそれが故郷だからだろうか。
「マスター……」
腕にそっと触れる手を感じて、嬉しくなる。
なので、そのまま腕を伸ばしてリズを抱きしめた。
「まあ今はここが故郷だし!」
「マスター、しんみりするならちゃんと最後までしてくれません?」
呆れ果てたリズの声。
不意に、リズの表情が険しくなる。
そんなにいけない事を言ったかなーと思ったのは一瞬。
「サマルカンド! 周辺警戒。マスター、仮面着用。指示があるまで動かないで下さいね」
「分かった」
目的地へ到着するまでは要らないだろうと、馬車の座席に置いていた仮面を着用する。
この瞬間から、私は"病毒の王"だ。
リズが、シャッと目隠しのカーテンを引く。
外の様子が分からなくなったが、サマルカンドの言葉で状況は知れた。
「――獣人軍の方々か。出迎えにしては、物々しい。日程はそちらが通達したもの。どなたが乗っておられるかぐらい――分かっているのだろうな?」