手の中の幸福
私は、リズとブリジットと一緒に湯船に浸かっていた。
浴槽の縁に腕をもたせかけ、頭をのせてぐったりとする。
「あー、気持ちよくひどい目にあった……」
「気持ちいいんだかひどいんだかはっきりして下さい」
「両方だよ」
リズに返しながら、先程までの事を思い返す。
リズとブリジット、タイプの違うダークエルフの美少女二人に、良く言えば優しく背中を流され、悪く言えばおもちゃにされた事を。
冥土の土産は、郵送で送れるだろうか。
ちょっと手持ちではきつい分量になってきたかもしれない。
ああ、でも、そんなに沢山を持つ必要は、ないのかもしれない。
私が、持っているものは。
この世界で、手にしたものは。
私は、リズとブリジットに向き直って、微笑んだ。
「……二人共、大好きだよ」
「ふぇっ!?」
「な、なんだいきなり」
二人が唐突な私の言葉に驚き、頬を赤くする。
「言いたくなったの」
言えるうちに、とは言わない。
リズに怒られるから。
でも私は……殺されてやるつもりはないのだ。
私を殺そうとする人達に、正当な理由はあるだろう。
私が死ぬべき理由も。
私のような人間が、生きていていい理由など、何一つないのかもしれない。
世界の全てを敵に回しても生きたいとは、言わない。
けれど、私が好きな人が、私を好きでいてくれる間は……生きてやるのだ。
そこでリズとブリジットが同時に、真面目な顔になって、壁の方を見た。
「心配ないよ」
「どうしてですか」
「リズ。私が前に出る。ロー……彼女を守れ」
「はい、姉様」
二人が言葉通りの位置取りになり、全身のしなやかな筋肉が緊張し、いつでも動けるように身構える。
さっきまでの二人が愛らしい子猫なら、今は獰猛な虎だ。
大型肉食獣の風格がある。
「だから、心配ないって」
二人は少しの間油断なく構えていたが、ややあって、息をついた。
「さすがに武装なしは……緊張するな」
「ええ……」
「二人の裸見られるのは嫌だなー」
「そういう問題じゃないでしょう」
「ああ」
「……それでマスター。どうして、心配ないと?」
湯船に浸かり直すリズとブリジット。
その動きに押されて、にゅるん、とウーズがうごめくのを感じた。
「私は『お友達』みんなの事を信じてるよ」
ここが敵地ならいざ知らず。
ここは、リタルサイドの街。
ここは、リストレア魔王国。
そして私は魔王軍最高幹部であり、"第六軍"の長だ。
陛下と、最高幹部全員と個人的な親交を結び、各軍の精鋭が私を狙うのは、限りなく低い可能性となった。
さっきのは人間だったのではないかと思っているが、どれだけ注意深く潜んでも、ここは敵地だ。
人間と、ダークエルフや獣人に魔力反応の差はほとんどないとはいえ、幻影魔法なしでは街も歩けない。
情報を得るのにも、武器を手に入れるのも……潜んで生きていく事にさえ、多大な労力を支払わねばならないだろう。
対してこちらは、リタルサイド駐留軍に全面的な協力をしてもらい、重層的な警戒網を敷いている。
大軍を動かせるはずもないし、少数でレベッカとサマルカンドの魔法の目と耳を誤魔化し、ハーケンに剣の腕で勝り、ついでにリタルサイドの弓兵さんの鷹の目から逃れられる暗殺者がいるとも、思えない。
世界で五指に入る暗殺者は、全てリストレアにいるのだ。
目の前にも、一人。
そして世界最強を決める時、間違いなくその候補に名を連ねるだろう暗黒騎士の長もいる。
「でも、ありがとうね。心配してくれて」
「当然でしょう」
「心配するだろ、普通」
「……うん」
きっと、さっき私を殺そうとしたのは、人間だっただろう。
私をこの世界に喚び込んだのも。
私を城壁の上から突き落とそうとしたのも。
私を幾度となく殺そうと刺客を差し向けたのも。
全て、人間だ。
サマルカンドを始め、私を殺しに来たリストレアの人もいるが、人間に殺されそうになった方が多い。
それなのに、今目の前のダークエルフの美少女姉妹が、私の事を心配する事を『当然』であり、『普通』と言ってくれる。
「本当に、ありがとうね」
私は、手を伸ばした。
「……なんでいい笑顔でお礼を言いながら、私の耳の付け根を揉むんですか?」
私は伸ばした手で、リズの両耳の付け根をもみもみと揉んでいた。
「リズ。私はここに、入浴に来たんだよ」
「存じております」
そして無言になった私に、リズが首を傾げた。
「……それだけですか?」
「え? それ以上の理由が必要?」
「必要だと思います」
「そう。じゃあちゃんと説明すると、お風呂はリラックスするための場所だから、さっき気を張って疲れただろう可愛いダークエルフさんの耳の付け根をマッサージする事で疲労回復を図ろうと思うんだ」
「実にすらすらと下らない理由を語れるものですね。ある意味尊敬します」
ばっさりと切り捨てようとするリズ。
一刀のもとに切り捨てられるのもそれはそれで楽しいものだが、いつもいつもそうするのも芸がない。
なので私は微笑んで、問いかけた。
「本当に下らないって、思う? やめた方がいい?」
「っ……」
リズがのぼせたとは思えない風に顔を赤くする。
もみもみ。
「も、もう十分疲労回復しましたから、離して下さい」
「そっか」
手を離した。
リズは逃げるのが上手い。
猫みたいだ。
ちょっと近寄ってきたと思ったら、するりと身を翻して離れていってしまう。
いつか、つかまえたい気もするし。
ずっとこの距離を維持したい気もする。
でも、いつかは。
最後にリズの耳に軽く触れると、私はブリジットに向き直った。
「さ! どっちがいーい?」
「え、どっち? それ何の二択?」
私はこんなじゃれあいが楽しくて仕方がないので、にっこーっと、相応の笑みを浮かべる。
「耳のマッサージ。前からやる? 後ろからやる?」
「まえ……いや、後ろからで頼む」
「うん、分かった」
頷いて、ブリジットの後ろに回る。
彼女の耳の付け根に指を添えて、親指と人差し指で挟むように揉む。
「ところでね、私は女の子の身体の部位の中で、うなじがすごく好き」
「なんで今言った!?」
「姉様のその顔を見たいからだと思いますよ」
呆れ果てた声のリズ。
「その位置だと、顔は見えないだろ」
「想像する楽しみがあるよ」
実際、耳に触れているから、耳に血が巡って熱くなっていくのが、手に取るように分かる。
それはマッサージのせいもあるだろうけど。
長い髪がポニーテールに結い上げられているせいで、隠す物のないうなじまでが上気して、すごく色っぽかった。
「後で、髪も洗ったげるね」
「い、いや。それは自分で」
「洗ったげるね」
「……頼む」
有無を言わせないのがコツ。
「……私の髪も、洗ってくれるんですか?」
「もちろん」
リズに頷く。
「……じゃあマスターの髪は、私が洗ってあげます」
「え? 別にそれは」
「洗ってあげます」
有無を言わせないのがコツ。
間違いない。




