リタルサイド再訪
一足早く、春が訪れているリストレア南部。
南の守り、リタルサイド城塞の城壁の上で、二人のダークエルフ女性が語らっていた。
一人は暗黒騎士団付きの女性弓兵で、もう一人は、暗黒騎士団の長、ブリングジット・フィニスだ。
今は二人共休憩時間であり、揃いの支給品である金属のコップを手に、城壁の出っ張りに軽く背を預けている。
見張りの時間中にそんな姿勢は取れない。他ならぬ暗黒騎士団長であるブリングジットと弓兵の彼女が叱責する側だが、二人共、オンとオフの切り替えというものを心得ていた。
弓兵がぴくりと長いダークエルフの耳を動かした。
「失礼を、ブリングジット様」
背を預けていた側とは反対の城壁までの短い距離を横断し、何度か目をぱちぱちとした。
目元に淡く光る小さな魔法陣が連続して展開され、視力補助を担う。
さらに目を細めたり、見開いたりして、調整していたのが終わったのを見計らって、ブリングジットが声をかけた。
「何か、見えたか?」
「グリフォンのようです。木箱らしき荷物と、旗が見えますので、野生のものではないと思いますが」
そこで、城壁の急な階段を、伝令が駆け上がってくる。その手には、ごく小さい手紙筒が握られていた。
「団長! 鳩便です。"第六軍"から!」
「――紋章確認、"第六軍"です」
「……ああ、つまり、先触れの幽霊鳩に追いついたのか」
ため息をつく。
「一応、引き続き監視頼む」
「承りました」
伝令から受け取った手紙を開く。
数秒後、彼女は深いため息をついた。
「……何と書いてあったので?」
その様子に、伝令がおずおずと聞く。
「到着したら詳細を知らせる、とだけ。グリフォンで向かうから、そのように取りはからってほしい……との事だな」
手紙を軽く畳んで、ポケットにしまった。
「――取り急ぎ、第一報を通達せよ。グリフォンが接近中。"第六軍"よりの来訪者だ。丁重に扱えとな」
城壁に手を置いて、近付いてくるグリフォンを見る。
「はっ!」
見ている方が心配になる勢いで急勾配の石段を駆け下りていく伝令の背を見ながら、弓兵が口を開いた。
「何と書いてあったので?」
「『詳しい事は着いてからね! グリフォンで行くからよろしく!』だ」
リーフの身体が、じんわりと熱を持っている。
平常の体温よりも高いのは、この子とアイティースにとって今日は『移動』ではなく『飛行訓練』だからだ。
乗っているのも、グリフォンライダーたるアイティース、私、リズ、サマルカンドの四人に、レベッカが加わっている。
負荷を増す事が目的ではないので、ハーケンは召喚具の背骨状態だ。
さらに、『荷物』がある。厳重に梱包された木箱を、固定用のロープを鷲の前足で掴んで飛んでいるが、これもそれなりの重量だ。
限界ではないだろうが、安全にのんびり飛ぶのとは違う。
下が、なんとなく最高幹部を満を持してお出迎えという感じではないのは、速度が出ているため、連絡から間もない到着になったせいだと思う。
アイティースやサマルカンドが若干緊張しているのは、ここがリタルサイド城塞……南の守りだからだろうか。
きらっ、と時折構えられた弓矢のやじりが太陽を反射する。
弓兵に攻撃魔法使いはもちろん、要所要所に固定式の弩弓まで備えられ、かつて"ドラゴンナイト"との交戦さえ想定されて組み上げられた迎撃網は、万が一その全てが牙を剥けば、グリフォン一頭とその乗り手達を容易く蜂の巣にするだろう。
とはいえ、万が一、幽霊鳩を追い抜いたとしても、ブリジットがちゃんとしてくれてると信じている。
現に――
リーフが翼の動きを止め、滑るように、リタルサイド城塞の、馬車が一時駐車する円形広場への侵入コースに入った。
複数台の馬車はもちろん、グリフォンやドラゴンも一応想定されてはいるので、土が剥き出しの広場のスペースは大きく取られ、余裕がある。
そして広場上空で、翼を広げて速度を殺しつつ、高度をギリギリまで下げると、吊っていた木箱を落とす。
緩衝材は多めに入れてあるが『中身』にダメージがないといいのだが。
そして反動で浮き上がったリーフ自身も、僅かな距離を滑空し、広場へと着地した。
獅子の後ろ足が、地面を踏みしめて抉り、鷲の前足と共に安定姿勢に入る。
騎乗用のベルトを解いて、メイド服をふわりとさせながら先に降りたリズの差し伸べる手を取って、とん、と降り立った。
そして、実用性半分、みんながゴーグルなのに自分だけ仮面だと仲間はずれで寂しいと死んじゃうウサギ的な理由半分で装着している飛行用ゴーグルを外すと、懐にしまった。
サマルカンドに預けていた杖を受け取ると、軽く乱れたローブの裾を払い、広場の端に控えていた一団へ向かう。
現に、こうして紺の軍服に、剣を吊った姿で、ブリジットが出迎えに来てくれているのだ。
戦場で、敵にも味方にも目立つためだという、高い位置で結い上げられた銀髪のポニーテールのおかげで、空の上からでも彼女と分かった。
ちなみに部下の女性騎士さん達の話では、プライベートではファン心理でポニーテールにしてもいいが、軍務中はポニーテールにしないのが今の暗黒騎士の心構えだという。
私は、リズ、レベッカ、サマルカンド、召喚具から実体化してもらったハーケン、それに一足遅れてリーフから降りたアイティースの五人を背後に控え、一人でこちらに歩み寄ってくるブリジットに向き合った。
丁度いい距離になったところで、口を開く。
「急な来訪ですまない。本日は"第六軍"及び"第三軍"の合同任務であり、グリフォンの飛行訓練だ。連絡は、間に合っただろうか?」
「リタルサイド駐留軍を代表して、来訪を歓迎する。かろうじて間に合った。それで……他には?」
「彼女、"第三軍"魔獣師団のグリフォンライダーのアイティースが、訓練を希望している。暗黒騎士団の胸をお借りしたいとの事だ」
手でアイティースを指し示すと、彼女が一歩進み出て、頭を下げた。
ブリジットが少し困り顔になる。
「グリフォンライダーの訓練にご協力出来るかは分からないが……」
「ああ、あくまで"第三軍"の戦士として、剣や格闘の腕を鍛えたいという事だ。通常の訓練の範疇で構わない」
「そういう事なら、問題ない。歓迎しよう、アイティース」
「あ、えっと……」
私はブリジットの方を見たまま、口だけを小さく動かして、彼女に小声でアドバイスする。
「『訓練の参加を快諾して頂いてありがとうございます。暗黒騎士団と共に訓練出来る事を光栄に思います』」
「……く、訓練の参加を快諾して頂いて、ありがとうございます。暗黒騎士団と共に……訓練出来る事を、光栄に思います」
アイティースが、ちょっと間が空く時がありつつも繰り返し、頭を下げた。
周りの反応は、獣人のひとが礼儀正しい事に、ちょっと驚いた様子だった。
「丁寧な挨拶、痛み入る。こちらこそ"第三軍"の戦士をお迎え出来て光栄だ。……だが、あまり固くならないでいい」
そしてアイティースに、優しく笑いかけた。
ブリジットの距離だと、私の声も聞こえているだろう。
出来る上司だなあ。
「……それで、今回の急な来訪は、本当にそれだけなのか?」
「耳をお貸し願いたい」
そっと距離を詰め、抱きしめていると見えるほどに――実際軽く腰を抱いているが――近付いて、彼女の長い耳が、フードの陰に収まるほどに口を寄せた。
「ちゃんとしたのは、また後でね。ブリジットに、久しぶりに会えて嬉しいよ」
ブリジットが、耳を押さえて離れる。
重々しい顔で頷いた。
「……そうか」
他の人が見れば、どんな厄介な、あるいはどんな重大な用件を持ち込んだのかと思うような表情だ。
しかし、私の見解は違う。
リズの、恥ずかしかったり嬉しかったりするのを真面目な態度で誤魔化す時の顔にそっくりだ。
姉妹だなあ、としみじみ。




