朝メイドさんをベッドへ引きずり込む類のあやかし
魔王軍最高幹部には、いくつかの規定がある。
魔王陛下の命令を絶対とする、といった命令系統に関する規定。
どの程度までの権限を持つのかを定めた規定。
そして、ちょっと変わった規定もいくつかある。
一つ。可能な限り副官を置く事。
一つ。配下に最低一人の異種族を置く事。
これらは、各軍の統率者である最高幹部の、視野が狭くならないようにするための規定だ。
"病毒の王"は、私が人間で、副官のリズがダークエルフなので、これらの規定を同時にクリアしている。
ちなみに私の"第六軍"と、ドラゴンのひとの"第一軍"以外は、副官と最高幹部が同じ種族だ。
"第四軍"、死霊軍のひとは厳密には違うが、まあ不死生物というくくりには違いない。
副官の種族に関しての規定はないのだが、単純に各軍に多い種族のひとが功績を上げて登り詰めたりするポジションなので、よく最高幹部と副官は同じ種族になるのだとか。
寝ぼけた頭で、どうしてこんな事を考えているのかというと。
魔王軍最高幹部に、起床時刻に関する規定はない。
「そろそろ起きて下さい!」
……なのに、うちの副官さんはなるべくきっちりした時間に起こそうと、毎朝私の部屋にやってくる。
引っ張られた布団を逃がさないように掴んだ。
「ええー……今日はまだ起きたくないなー」
何を寝ぼけた事を、と言いたげにリズが少し声を荒げた。
「上に立つ者がそれでどうするんですか!」
正論だった。
しかし、屁理屈というものは正論に対抗するために存在する。
「前に、上に立つ者はどっしり構えているものだって言ってたよね……」
「うっ……それはそうですけど」
「じゃ、もう少し……」
引き剥がされかけていた布団を掛け直し、ぬくぬくとした布団の感触を楽しむ、崇高な作業に戻る私。
「い、いや! ベッドでごろごろするのは構えてるって言いません!」
やはり正論だった。
しかし、私にも言い分はある。
「でも今日のお仕事ないよ」
"病毒の王"の仕事量は、基本的に日によって違う。
まずしなければならないのは、報告書を読む事。
必要なら現地活動プランの見直しを行う。
これらの計画立案が、"病毒の王"のお仕事の八割以上を占める。
が、それは報告書が届かない間、暇になる時もあるという事でもある。
最高幹部の休暇に関する規定がない現状、こういったあまり忙しくない時間に、骨休めという名目において、愛らしいメイドさんとたわむれて英気を養うのも、また最高幹部の義務であると信じている。
次に、数は少ないが対外的なお仕事だ。
陛下に呼ばれて、王城で謁見したりするのがそれに当たる。
つまりお飾りの仕事だが、極端に言えば"病毒の王"とは張り子の虎なので、あまりそちらを軽視する訳にもいかない。
「攻撃計画考えるとか、ありますよ! ほら、人類絶滅まで……いや、最後の一人になるまで頑張りましょう!」
言い直してくれたリズの気遣いが少し嬉しい。
だが、それはそれとして、言わねばならない事もある。
「最高幹部級の攻撃計画がそんなポンポン思いついたら苦労しないって」
「……まあ、それはそうですが」
しぶしぶと認めるリズ。
"病毒の王"の仕事は、計画の立案・命令。
逆に言えば、私の考える計画には、命令するだけで最高幹部の仕事とみなされるだけの革新性が必要になる。
……あるいは、残虐性が。
私のプランはとてもオーソドックスだし、地球の歴史に照らし合わせるとそんなに残虐でもないのだけど。
しかし、会話を楽しんでいる内に、段々と目が冴えてきた。
けれど、ここで素直に起きるとなんだかリズの思い通りになってしまい、それは少し面白くない。
「それよりほら、リズも一緒に寝ない?」
なので、掛け布団をまくって、一人分のスペースを手でぽんぽんと叩いて示して誘ってみた。
「ええっ!? えっ、あのっ、それはっ」
「……あったかいよ?」
彼女に弱点があるとすれば、職務に忠実すぎる、という事だ。
完成された暗殺者である彼女にとって、通常それは弱点と呼ぶには脆い穴。
アサシンとしての技量と精神性が要求される戦場において、彼女は決して間違わないだろう。
必要とならばあらゆるものを切り捨て、断固として目標を排除し、任務を完遂するだろう。
しかし今ここで、彼女が私のくだらないお誘いをはねのけられないのは、単純にして根深い理由がある。
リズは私の、副官であり、護衛であり、お目付役であり――そしてメイドだ。
つまり、『私に気に入られる事』及び『私の機嫌を良くしてスムーズにお仕事させる事』もまた、彼女の仕事であり任務。
もちろん彼女には、ある程度までの拒否権が存在する。
この命令ですらないお誘いを拒否する事に、何の問題もない。
だが、やはり彼女はどこまでも『優秀』なのだ。
考えてしまう。
どうすれば私に気に入られるか。
どうすれば私の機嫌を損ねないか。
どれぐらいのお誘いをはねのけ、どれぐらいのお願いを受け入れるのか、常に頭の中で天秤に掛ける。
ついでに、彼女はとても真っ当な趣味嗜好の持ち主だ。
美味しい食事、ゆったりとした時間。そういった物を愛しているという点で、とても気が合う。
それは、あったかいお布団も愛しているという事だ。
「やる気……出ます?」
「めっちゃ出るよ」
そしてこれは『仕事』であり『任務』。
通常ありえない、まともな軍人ならば一生悩まないだろうおかしな状況だ。
彼女は優秀さゆえに、その高負荷に、耐えられなくなる。
数秒の逡巡の後、靴を脱いでメイド服のままベッドに潜り込むリズ。
秋口のひんやりとした空気をまとった彼女が入った事で、布団の中が一度冷え、熱量が二人分になった事ですぐにまた温かくなる。
冷徹な暗殺者としての一面も併せ持つ彼女を、甘やかし、堕落させる事に楽しみを覚える自分がいる。
「お布団って素敵ですね……」
「素敵だよねえ……」
頭のとろけた会話を出来る幸せ。
これがもし計算された発言なら、私はリズの事が恐ろしくてたまらない。
まあそんな事はないだろう。
でも、それはそれで腹黒さが可愛くて、あえてそういう選択をしてくれるいじらしさがたまらない。
つまり、切っ掛けはどうあれ、今の私はリズのほぼ全てがストライクゾーンだ。
しばらくそうしていると、ノックの音がした。
「我が主。入室の許可を頂けますか」
渋い声。サマルカンドだ。
「入れ」
寝転んだまま、断固とした"病毒の王"の口調で命令する私。
「え、ちょっ、まっ」
わたわたと慌て、ベッドの上で身体を起こし、寝乱れてくしゃくしゃになった服を隠そうと布団を肩まで引っ張り上げるリズ。
当然、うちのきびきびした動きの黒山羊さんが許可を貰って入室するまでの数秒で、身支度を整えられる道理もなし。
「……失礼した。我が主とそういう関係であったか」
結果として、見た目は事後。
何もやましい事がないのだから、そのままにしていれば良かったのに。
私も身体を起こして、サマルカンドに向き直る。
「サマルカンド。誤解じゃないけど多分誤解だよ」
「そうですよ! 誤解じゃないと言えなくもないですけど誤解です!」
「……つまり?」
「誤解かな」
「誤解です」
「ちょっと息抜きしてただけだよ」
「ええ。マスターの要望で……添い寝をしていただけです」
誤解させたままにするのも面白そうなのだが、後が怖いのでとりあえずきちんと誤解は解く。
やっぱり微妙に誤解ではないのだが。
「リズ。いっそ誤解じゃなくしちゃう?」
「どういう意味で言ってますか?」
「――どういう意味だと、思う?」
そっと手を伸ばして、壊れ物に触れるように、リズの頬に触れる。
いや、実際、壊れ物なのだ。
この関係は、この時間は、ひどく危うくて脆い。
「っ……」
彼女が頬を少しだけ赤くして、言葉に詰まる。
それに、もしかしたら彼女自身の感情が込められていると思うのは、私の傲慢だろうか?
けれど、私は最高幹部が務まるぐらいに頭がいいし、リズの事をよく見ているので分かるのだ。
彼女が言葉に詰まり、沈黙したのは、任務ゆえだという事を。
はねのける言葉は言えない。
私の機嫌をひどく損ねる事は言えない。
――同時に、私に『全て自分の思い通りになる』という錯覚を抱かせても、いけない。
私は、魔王軍最高幹部。
数々の危ない権限を持っている私を増長させる事も、刺激する事も、共に危険だと、彼女は正確に理解しているはずだ。
けれど私は、リズにそんな顔をさせたい訳じゃないから。
「ごめんね」
何を謝ったかについては触れず、彼女の頬に触れていた手を、彼女の首の後ろに回し、軽く抱きついた。
リズが、ほっと肩の力を抜くのが分かる。
「……我が主。お楽しみのところすみませぬが、お耳に入れたい事が」
しばらくそうしていると、遠慮がちにサマルカンドが口を開いた。
真面目なトーンだ。
「お楽しみってなんですかもう……」
腕の中でぼやくリズをとりあえず解放し、ベッドに腰掛けて姿勢を正した。
「――なに?」
サマルカンドが、手に持っていた手紙を差し出す。
「獣人軍より、招待状が届いております」