可愛い女の子とお風呂に入りたいと思うのは当然
ふと思い立った。
「リーズー、一緒にお風呂入ろー」
「……ええ……マスターとですかぁ……?」
露骨に面倒そうな顔をするリズ。
「私、外に控えてますから……メイドですから……」
「でも護衛でしょ? お風呂は無防備になりがちだし」
「だからこそ私は完全武装でいるべきだと思うんですけど」
正論だった。
しかし最近、私はその正論を打ち崩すための手駒を手に入れたばかり。
「それはサマルカンドに頼むから」
「なんでそんなに熱心なんですか」
私は全力で断言した。
「可愛い女の子とお風呂に入りたいと思うのは当然でしょうが!」
「え? ……え?」
当然、リズは混乱する。
「そういうもの……なんですか?」
「うんそういうもの。よし入ろう。ほら入ろう」
そこを勢いで押し切ろうとする私。
「うう……分かりましたよ」
「サマルカンド。聞いてたね?」
背後に控える黒山羊さんに視線をやる。
「御意。護衛として控えております。周辺警戒を厳に」
サマルカンドが頷いた。
まだ部下になって間もないので実力がよく分からないが、とりあえずリズも認める戦闘能力と、高い魔力ゆえの気配感知能力を持つのは間違いない。
「お前が正式に部下になってから、初めて任せる、個人的に非常に重要な任務だ。よろしく頼む」
「万事お任せあれ」
頼もしい返事。
頼もしい部下が増えるというのは、いい事だ。
私を暗殺しに来たという事情ゆえに不安だったのだが、バーゲストともすんなり馴染んでくれたし。
庭をバーゲスト、館内をサマルカンド、それらを統括するのがリズ、という新しい護衛体制は上手く回っている。
リズを伴って浴場へ向かった。
実は、魔族の『お風呂』は変わっている。
いくつかの理由がある。
住み慣れた土地を追われ、他の様々な財産と共に、入浴設備も失った事。
魔法を使わねば、清潔な水さえ手に入らなかった時代を経験している事。
いくつかの生活用魔法によって、ある程度身体や衣服の清潔を保てる事。
ゆえに、一度お風呂文化は死に瀕した。
それでも水浴びの習慣などはあったし、お湯を湯船に張る、という普通のお風呂も絶滅した訳ではない。
温泉がある一部地域では、今でも温泉が愛好されていると聞くし、公衆浴場が街にいくつかある事から見ても、魔族の中核を成すダークエルフと獣人は、割とお風呂好きだ。
ゆえに、お風呂文化は絶滅したのではなく、進化したと言うべきだろう。
しかし今では、お湯代わりがウーズ。
スライム的なモンスターの一種だ。
天然のものもいるが、入浴時は、召喚魔法"粘体生物生成"で召喚したウーズを、やはり魔法で適温に熱して入る。
カルチャーショックの塊のような入浴方法。
今では慣れたし、むしろ好きなのだが。
人類絶滅という、精神的に荒みがちな仕事をしていると、食事や入浴といった時間は本当に大事。
それが可愛い女の子と一緒となればなおさら。
なので上機嫌でいると、リズが話しかけてきた。
「マスターお風呂好きですね」
「日本人はお風呂好きだよ。……まあウーズ風呂はちょっと趣が違うけど……」
初めての入浴時には、魔法を見た時より、ダークエルフを見た時より、はるかに異世界を感じたものだ。
しかし、地球の現代日本基準でも、とろりとした入浴剤を多めに入れたんです、と言われれば信じられなくもない。
あるいは溶け込んだ鉱物がどうのこうの、泉質がどうのこうの言われれば。
見た目は半不透明の薄い黄緑で……入ると、とろりとした感触。
やった事ないけど、ローションとか多めに入れてもそうなるのかも。
少なくともお肌の潤い的には抜群の効果を感じていて、こちらに来てから、化粧品と縁がない生活にも関わらず、肌荒れとか気にした事がない。
「入浴剤にも変わったのあったしねえ」
「にゅーよくざい?」
「入浴用の薬剤の事でね。お風呂に粉薬とか入れて、薬用成分とかを溶け込ませるんだよ」
「へえ……基本はウーズと同じですね」
「うん、まあ……そう言えなくもない」
素直に頷くには、ウーズを入浴剤と認めるには抵抗が大きかった。
水に溶かすというか水そのものが怪しげな訳だし。
「そういやドクターフィッシュって魚もいてねえ」
「躍り食いですか?」
そういえば、たわむれにそんな言葉を教えたような記憶が。
「それは今回は違う。食用じゃなくてね、皮膚の角質とか食べてくれる魚を放したプールに入る治療法があるんだよ」
「へえ……変わってますねえ」
「いや、ウーズ風呂より変わってないと思うけどね?」
天然のウーズは、主に水辺に生息する生き物だ。
死体や落ち葉などを消化吸収し、細かく分解して排出する。
ミミズやバクテリアに近い生き物だ。
入浴の際には、垢や角質なんかも食べてくれているのではないかと思っている。
「私達にとってはお風呂ってこれですから」
「まあそういうものだよね。自分の常識は誰かの非常識。楽しい事も多いけどさ」
「……そういうものですよね」
リズも微笑んで頷く。
その当たり前を分かっている限り、戦争なんて起きないのに。
特に、異種族間の絶滅戦争なんて、最低な戦争は。
「"粘体生物生成"」
呪文を、唱える。
初めて覚えた魔法は、この"粘体生物生成"だった。
その時の感動を、覚えている。
――私の思う『魔法』とは随分イメージの違った、うぞうぞと動く黄緑色の粘体生物を見た時の、コレジャナイ感も。
「"粘体生物生成"。"粘体生物生成"。"粘体生物生成"。"粘体生物生成"。"粘体生物生成"。"粘体生物生成"。"粘体生物生成"。"粘体生物生成"。"粘体生物生成"……」
この家は、家というかお屋敷なので、お風呂も広い。
なので、百回ほどの"粘体生物生成"詠唱をしないと一杯にならない。
温める方は、詠唱すら要らない。
浴槽に張られたウーズに手を突っ込んで、温度の上昇を意識させながら魔力を流していく。
見た目は、お湯の温度を確かめている風だ。
ちなみに基本的に私がやる仕事だ。
『日常生活用魔法』の練習を兼ねているのと、リズは護衛で、彼女の魔力量は、すなわち戦闘で取れる選択肢そのものだという事情がある。
リズなら百や二百"粘体生物生成"唱えた程度で疲れる事はないらしいが。
温まったのを確認すると、改めて脱衣場に戻って服を脱ぐ。
さっきお湯(ウーズ)の温度は確かめたが、一応足先で触れてもう一度確かめながら入る。
身体をぬめった塊に滑り込ませるのは、得も言われぬ感覚だ。
快感と背徳感が入り交じったような。
ちょっと、泥遊びに似ているかもしれない。
魔法をこれだけまとめて使うのは、私にとって入浴時しかないので疲れる。
しかし、詠唱に伴う疲労を湯船で温めて溶かせるとなれば、むしろ入浴の心地よいスパイス。
さらに湯船が天然の大理石製で、それを二人でゆったりと使うとなると、全く贅沢なバスタイムだ。
ゆっくりと浸かっていると、リズが小首を傾げた。
「……マスター、何もしてこないんですか?」
「何か期待してた? 期待に応えるのはやぶさかではないよ」
「いえ、そういう事は全くありませんが」
「それは残念」
お湯を肩に掛けた。どっちかというとぬめっとした粘体を肩に乗せる、という方が正しいが。
「私の国では、入浴は神聖なものだからね」
「宗教上の理由……ですか?」
「ちょっと違う。まあ伝統かな」
ゆっくりと体を沈め、肩まで浸かる。
彼女に言った通り、特にエロい事をするつもりはない。
それはそれとして、お湯に浸かったリズを眺める。
ウーズの透明度が低いのが少し残念だが、肩から腕や、胸のラインなど、眺めていて全く飽きる事がない。
それに血行がよくなってほんのりと上気した頬など、確かに入浴は女の子を綺麗に見せるものだなあとしみじみ。
「……あの、マスター? 何故神聖な入浴中に私を見ているんですか……?」
リズの頬を、一筋の汗が伝う。
「お風呂も入浴も神聖なものだけど、別にそこでエロい事をしちゃいけない訳ではないし。それに、神聖な物を穢すのって興奮しない?」
「マスターの性癖が歪んでいる事は分かりました」
とても辛辣な物言いだが、とてもとても好意的かつポジティブに受け止めれば、遠慮のない関係という奴だろう。
「まあ安心して。手は出さないから」
「視線は向けるんですね」
「それはそれというやつだよ」
「……まあ、いいですけどね。同性ですし……」
指を組んで、手の平を天に向けるように伸びをした。
「はあ~! お風呂は命の洗濯だね!」
「命を……洗濯?」
「私の国の言い回しでね。まあ、お風呂は気持ちをリフレッシュさせてくれるよねって感じの言葉だよ」
「なるほど。独特の言い回しです。マスターの国は変わってますね」
「この国もお風呂に関しては変わってるけどねえ」
ウーズをわきわきと揉んで、指の間からぐにぐにとはみ出て、ある程度したところで、重力に引かれてぬるりとろりと流れ落ちていく不思議な感触を堪能する。
「ところでマスター。私そろそろ上がろうと思うのですが、マスターは?」
この楽園から出たくない。
この至福の時間が終わるのが寂しい。
「後一時間……」
よって、私は自分の欲望に忠実になる事にした。
「待って下さい。長風呂すぎます」
「まあ大丈夫でしょ……」
ちなみにウーズは一時間ほどで消えるので、後一時間は多分無理なのだが。
公衆浴場では、砂時計をひっくり返しながら、定期的に"粘体生物生成"を唱えるお仕事があるらしい。
それ以外は読書やおしゃべりしながらでも務まるので、割と人気の高い職業だと聞く。
番台と兼任したり、しゃべりが上手い人が名物的な存在になっている公衆浴場もあるとか。
「いや、さすがに護衛としても見過ごせません。……マスターは、私の知らない特別な種族特性とか、ありませんよね?」
「ないねえ」
「ほら、出ますよ」
「ええー……」
鼻の下まで浸かる。
息を吐いてぶくぶくーとかやったら窒息しそうなのでしない。
「今日は出ましょうよ。これからもまた一緒に入ったげますから……」
「よし分かった! 今すぐ出るね!」
勢いよく立ち上がる。
全身にまとわりついたウーズが、とろけるようにねっとりと流れ落ちた。
「流しますからね」
「はい、よろしく」
リズの生成したお湯で、髪と肌にまとわりつくウーズを流していく。
魔法で生み出したお湯は、短時間で消滅するために入浴・飲用、共に適していないが、これがあるからこそ、潤沢なお湯(今回はウーズだが)でお風呂に入る事が出来るのだ。
ちなみに召喚生物のウーズや生成したお湯は、詠唱者が即座に消滅させる事も出来るが、ある程度ゆっくり乾かした方が髪や肌に優しいので、普段はそのまま自然乾燥させるか、タオルを使うのが一般的な入浴方法。
「ありがとうリズ。楽しかったよ。また一緒に入ろうね」
お礼を言って、大判の白いバスタオルを受け取ると、リズがじっとりとした目で見ているのに気が付いた。
「……あの、マスター。この展開を狙ってたりしました……?」
私はバスタオルをふわりと羽織ると、微笑んでみせた。
「何のことやら」
なお、全くのノープランだったので、リズの発言に乗っかって意味深な雰囲気を演出してみただけだったりする。