バッドランズ
雪が未だ残る地域が多い中、そこは奇妙なほどに乾いていた。
ただ、荒涼とした荒野が広がる。
グリフォンのリーフに乗り、リーフを操るアイティース、そして私、リズ、サマルカンドの四人は、その荒れ地の上を飛んでいた。
吹く風も、妙な生暖かさで、怪談の始まりに吹いてくるのはこういう風なのではないだろうかと、思ってしまう。
それは、私がこの地について聞き及んでいるせいかもしれない。
リストレア東部に広がる、荒廃の大地。
"第四軍"本拠地。
"荒れ地"。
リストレア魔王国のアンデッドの大半が常時駐留する、数だけならリタルサイド城塞をも上回る軍事拠点だ。
不死生物とは、生者の敵だ。
――というのは人間の言い分だが、間違いではない。
不死生物は、生者の生命エネルギーを吸収する事でしか、永らえる事が出来ない。
人間がこの光景を見れば、それ見た事かと言うだろう。
乾いて、命の気配のない大地。
アンデッドを滅ぼさねば、いつか世界の全てが、このようになると。
最後はアンデッドさえも奪うべき生命を見つけられず、この地上は、何も動く物のない死の世界になると……。
それがありえない未来だとは思わないが、人間国家の方がアンデッドによる被害が多い。
リストレアでも、ないとは言わない。
しかしそれは、ほとんどが動物型だ。
『発生』したアンデッドが、元ダークエルフや獣人だったなら。
彼らは、まず暴れたりしない。
皆、不死生物がどういうものかは、理解しているのだ。
生前ほどの自由は望めないかもしれない。
けれど、暴力的な手段で飢えを満たす理由も、即座に狩られる事に怯える理由も、何一つないのだと。
ちなみにリストレアでは、『発生』したアンデッドは、まず手近な魔王軍へ出頭する事が義務付けられている。
生まれたばかりの不死生物は、明確な自我を持たない場合もあるので、そういった場合は、手近な人が連絡する。
レベッカのような死霊術師の支配下に入りつつ、自我の目覚めを待つという形になるようだ。
基本的には、希望を聞きつつ適性を見て、魔王軍への配属や、鉱山や石切場などの、"荒れ地"での各種労働へと割り振られていく。
ちなみに"荒れ地"は元から荒れ地という事で死霊軍の駐留場所に選ばれた過去があり、不死生物のせいでこうなったわけではないのだとか。
この国では、不死生物といえども、ひどく自我をなくしていたり、飢えていて人を殺していない限りは、いきなり討伐されたりしない。
なお、生前の名前や記憶を留めている場合もあるが、以前の知り合いと交流を続けるかは、人によるらしい。
ハーケンやレベッカによると、『あくまで違うもの』というスタンスだが、現実として懐かしい記憶があれば簡単に割り切る事も出来ず、また新しい関係を築く事もあるのだとか。
四百年以上の長きに渡り、リストレア魔王国は他種族に対する意識改革を図ってきた。
この辺は陛下や"旧きもの"リストレア様が頑張った所。
悪魔も、不死生物も、決してダークエルフや獣人の同胞ではなかった。
竜が国を守るなど、ありえなかった。
完全ではないし、理想でもないだろう。
けれど、確かにこの国は、違う種族同士が手を取り合う事で、どれだけの事が出来るか示した。
人間側がリストレア魔王国を恐れるのは、歴史上バラバラだった各種族がまとまって国を作り、彼らが言うところの『脅威』として存在しているからでもあるのだろうが。
人間でない種族を、『魔族』とひとまとめにしたのは人間側の都合で、非人間種は、元々バラバラだった。
紆余曲折がありながらも、今ここまで連合しているのは、人間側も歴史上バラバラだったのが、かなり統合されて脅威として存在しているから、というのもあると思う。
人間側は魔族の脅威に対抗するために連合したと主張するが……原因と結果が、逆だろう。
少なくともエルフやダークエルフとの連合は出来たはずだ。
世界は今、二つの色に分かれている。
人間と魔族。
十六の人間国家からなる対魔族同盟と、リストレア魔王国。
そしてお互いが、お互いの色で塗り潰そうとしている。
平和とは、もしかしたら虹のように、様々な美しい色が世界を彩るものなのかもしれないけれど。
リストレアという色が消える事だけは、許せない。
それがこの国の象徴である黒であったとして。
人間の目指す世界が虹色をしているとは、思えないから。
「――五騎、上がってくる。"第四軍"のお迎えだと思うが、いざという時は振り回す。ベルト確認しろ」
アイティースの指示に従い、落下防止用のベルトがしっかり留まっている事を確認した。
ここは叩き込まれた部分。
空で一番偉いのは、アイティースだ。
彼女の指示に速やかに従う事、というのが『ルール』だと。
船の上では船長に従え、という事だと思う。
そして顔を上げると確かにぐんぐんと速度を上げて接近してくるのは、不死生物特有の青緑のオーラをまとった黒い影。
アイティースの言う通り、数は五。この距離では遠くて詳細までは分からないが――
「軍旗確認。リストレア王国紋章と、"第四軍"紋章の折半です」
リズがこともなげに言う。
アイティースが、視線はそらさずに、ぼやいた。
「……どういう目してるんだ?」
「ゴーグルのサポートありますからね」
「私もあるんだが……」
目をこらすが、私にはまだ、ごま粒よりは大きい程度にしか見えない。
「私見えないけど……というかこれ視力増強あった?」
「マスターのは魔法道具じゃありませんよ?」
「え、なんで?」
「なんで、仮面で事足りるのに、『お揃いがいいからゴーグルタイプにしたい』って言った人のために高級品用意しなきゃいけないんですか?」
「…………」
正論だった。
「仮面、つけておいて下さいね」
「ん」
ゴーグルを外すと、入れ替わりで懐に入れてある仮面を取り出す。
手のひらに吸い付くようなそれを顔に押し当てると、やはり吸い付くように張り付いた。
落とさないか不安にならなくていいのは、有り難い所だ。
この仮面をつけると、身が引き締まる。
……自分が、『より"病毒の王"らしく』なっていくような気もするのだけど。
実は装着する度に少しずつ洗脳されるような精神魔法掛かってるんじゃないか、と思った事すらある。
念のため、一度サマルカンドに鑑定させた事があるが、結果は白だった。
文字通り仮面効果なのだろう。
そもそも、私は素顔で人類絶滅を宣言したし。
お互いに高速で飛んでいるせいか、ぐんぐんと近付いてくる。
血に流れる契約を通して、サマルカンドが静かに魔力を練るのが分かる。
そして私にもリストレアの王国紋章『蛇の舌の生えた竜』……の左半分と、"第四軍"紋章『交差した二本の骨の間に剣と横棒』……の右半分が、ハーフアンドハーフで縫い込まれた、幅広で二又の旗が見えた時、その旗が大きく振られた。
「"第六軍"の"病毒の王"様とお見受けする! "第四軍"より出迎えに参った! ――所属と姓名を名乗られたし」
声の主が乗っているのも、グリフォンだった。
ただし骨だけの。
さしずめスケルトングリフォンといった所か。
乗り手たるグリフォンライダー、その後ろに旗持ちが一人。杖持ちが一人。
乗り手もまた、乗騎と同じく、骸骨と死霊のようだった。
さらに付き従う四騎はライダーが一人で、後ろに二人。こちらはそれぞれ、クロスボウ持ちだ。
鞍には投げ槍らしい短い槍も固定されていて、投擲武器が充実している。
まだ引き金に指こそ掛かっていないが、各騎二つずつ、合計八つのクロスボウがこちらを照準していた。
「返事頼む」
「分かった」
アイティースの言葉に頷き、こほん、と一つ咳払いする。
仮面に触れて、音声変換と拡声機能をアクティブにした。
拡声魔法は、素でも多少は使えるようになっているが、やはり魔法道具の補助があると凄く楽。
「こちらは"第六軍"、"病毒の王"以下四名……。お招きにあずかり参上した……!」
重々しく、地獄の底から聞こえるような重低音。
久しぶりの、『"病毒の王"の声』だ。
再び旗が振られる。
「ようこそ"荒れ地"へ! ――先導させて頂きます」
そして反転する。
さらに四騎がそれぞれクロスボウを空に向け、滑るように一定の距離を取って並んだ。
アイティースが、静かに息をつく。
「……よく訓練されてる。いい腕だ。グリフォンがアンデッドってのを差し引いても、惚れ惚れするよ」
「元グリフォンライダーとかなのかな」
「……そうかもな」
かつての獣人にとって、不死生物は認められるものではなかった。
生ある限り、戦いの中に身を置くのが彼らの生き方であり……死後の『延長戦』など存在しないというわけだ。
しかし今では、長たるラトゥースが、死霊騎士のハーケンを戦士として認めるほどに、そういった偏見は薄まっている。
「私も、死んで不死生物になったなら……また仲間のために、そしてリストレアのために、飛びたいよ」
まっすぐで誇り高い獣人の女の子に、そんな風に言わせるほどに。
それは、四百年前にはありえなかった未来。
少しずつでも。
ほんの少しずつでも。
この国は、前に進んできた。
違うものを受け入れて。
違うもの同士を、認め合って。
私もまた、そうなれるだろうか。
違うものを、違うままに滅ぼす事を選んだ、私でも。
……まあ、毒をもって毒を制す、と言うし。
人間側も同じ考え方なのだから、仕方ない。
この人達は優しくて、誇り高いから。
きっと一人ぐらいはそういう存在が味方にいた方が、いいのだ。
毒を食らわば皿まで、とも言うし。




