可愛いメイドさんと貝を焼く
「はーい! お待たせしました!」
にこやかな声が聞こえたのでそちらを見ると、大きめのブリキのバケツを片手に下げ、片手のお盆にジョッキを四つ載せた、先程の女の子がやってきた。
ちょっと頬を上気させているが、バランスを取って一度に運ぶ技は職人芸だ。
「まずお酒どうぞ~。貝焼いていきますからねー……"炎耐性付与"」
当たり前のように唱えられた魔法が効果を発揮し、淡い赤の光が彼女の手に灯り、馴染むように消えた。
素手で焼き網にひょいひょいと、バケツの中に入っていた貝を並べていく。
ガチャガチャという音の正体は、バケツの中の貝殻がこすれる音だったらしい。
「みなさん、"炎耐性付与"、使えますか?」
「問題ありません」
リズが代表して頷く。
「では食べる時どうぞ! 焼けたら口が開きますので、そこをこのスプーンで、黒いとこはよけて、貝柱を切るようにほじりだして頂いて……」
「美味しそうなのがよく分かりました」
「あはは! お塩置いておきますね!」
女の子が笑って、小さな壷を置いて店の奥に消えていく。
食い逃げとかを考えていない、牧歌的な空気だ。
しかしリストレアで『食い逃げ』その他の犯罪は、恐ろしく割に合わない。
本当に食い詰めたなら泣きつけば、日雇いの仕事ぐらいはどこにでもあるし、何より、周囲にどれだけの強者がいるか分かったものではないからだ。
例えば今、私の隣でベンチに腰掛けているメイドさんが、"第六軍"の序列第二位にして、近衛師団所属の暗殺者だと、何人が想像出来るだろうか。
「リズ……一口飲んでいいよ」
私は、毒味のために断腸の思いでビールジョッキを差し出す。
「あ、はい」
リズが、特に遠慮せず、ぐいっとあおる。
「ぷはっ……ん、問題ありません」
こほん、と咳払いするリズ。
さらに自分の方をぐいっとあおる。
腰に手を当ててほしいぐらい、いい飲みっぷりだ。
「これ、二杯目おかわりってあり?」
「……二杯までですよ」
「よし分かった」
リズに返されたジョッキを、ぐいっとあおる。
「はー! この一杯のために生きてる!」
「安いな」
「そんなもんだよ」
アイティースに軽く頷く。
ぱかり、と焼き網の上の貝が口を開けた。
「お。焼けた? どれ……」
「マスター」
リズに、伸ばした手をがしりと掴まれる。
「なんでそんな危なっかしいんですか? ――"炎耐性付与"」
私とリズの手が重なり合う部分が、赤く光る。
「レベッカに教えてもらって出来るようになったのに」
「効果のほどが不安なのと、さっき言われたばかりの事をうっかり忘れるマスターの事を信用出来ません」
私は微笑んで誤魔化す。
そして改めて口の開いた二枚貝を焼き網から直に手に取った。
この、地球では火傷をするから絶対に出来なかった、今も熱い焼き網から素手で食材を取る事に、奇妙な背徳感を覚える。
「この国に来て良かったなあ」
陶器に入った壷から塩を振りかけて、スプーンで貝柱を狙い、身を殻から引き剥がしに掛かる。
「……貝をほじりながらでなければ嬉しい言葉なのですが」
リズが私を呆れた目で見ながら、自分も貝の身を引き剥がしに掛かる。
「貝は、毒味いいの?」
「……まあいいでしょう」
ビールが安全だったからか、誰がどれを取るかはランダムな上に先程までしっかりと閉じていたからか、分割するのが難しいからか、どれだろう。
私は、どんな風に食べるか一瞬迷った後、スプーンで肉厚の身をすくいあげ、あーんと口を開ける。
「口の中は耐性付与が効いてないんだから、気を付けて下さいよ?」
「危険を承知で、行動せねばならない時があると、信じる」
私は力強く断言して、貝を頬張った。
「あふっ……」
閉じ込められていた汁が口の中を蹂躙した。
半分は熱さ的な意味で。
半分は旨さ的な意味で。
しばらく味を堪能した後、飲み込んで、舌を突き出して冷ます。
「火傷したかも……」
「言ったじゃないですか……」
「覚悟の上だから……」
少し冷めた貝殻に残った、濃厚な貝汁のスープを口に含むと、貝の出汁の効いた旨味に、ほうっと息をついた。
さらにそこにぐいっとビールを流し込む。
そのまま二個目の貝を引き剥がしに掛かる。
そこでふと、同じく美味しそうに汁をすするアイティースと、手の巨大さからすると驚くべき繊細さで貝を引き剥がしているサマルカンドを見やる。
「……幸せだねえ」
「どうしたんですか? 急に」
「生きてると、いい事もあるもんだってね」
二個目の貝から身を引き剥がし、再び火傷覚悟で頬張る。
そしてそこで貝汁とビールのコンボに繋げたところで、ビールが切れた。
三個目を引き剥がす前に、隣のリズを見た。
「リズ。ビールの残りくれる?」
「はい、どうぞ」
リズが、毒味で私の分から飲んだ一口分相当を残したジョッキを差し出す。
そこで、ふと思いついたように、悪戯っぽい笑みを浮かべるリズ。
「一口目は、美味しゅうございましたよ、マスター」
「……私だってね」
貝の後に飲もうと思っていたが、気が変わった。
「あー、うちのメイドさんと間接キスで飲むビールは美味しいなー」
これ見よがしに、リズが口を付けた場所から、ゆっくりと飲む。
「え? ――は!?」
一瞬きょとんとしたリズの顔が、私の言葉の意味を理解した瞬間、熱せられた焼き網のように真っ赤になる。
「か、返して下さい! そんな事言う人に預けておけません!」
「それはちょっと難しい」
リズが手を伸ばすが、明らかに本気ではない。
ひょい、と手が届かない位置にビールジョッキを高く掲げる。
「リズが貝をあーんして食べさせてくれたら考える」
「……本当ですね?」
「私は、リズに嘘は言わないよ」
「…………」
リズが貝の身を引き剥がし、スプーンに載せて差し出す。
目と目で会話すると、リズが諦めた。
「……あーん」
「あーん!」
ぱくりと食いついて、貝を頬張る。
貝も美味しいが、それより今の状況が楽しい。
「さ、よこして下さい」
「まだスープが残ってるから」
ジト目のリズを眺めながら、差し出される貝殻に口をつけ、貝の旨味が凝縮されたスープを飲む。
その余韻が残っているうちに、ぐいっと残ったビールを流し込んだ。
可愛いメイドさんを肴にして飲むお酒は、至福の一言に尽きる。
「え!? 貝を食べたら渡すって言ったじゃないですか!」
「考えたけど、やはり無理だという結論に達した」
「……外道! うちのマスターは、ほんっとうに外道ですね!」
リズが顔を赤くして、周囲を気にしてか抑えた声で叫ぶ。
私は微笑んだ。
「それはむしろご褒美です」
「……なあ、こいつら、いつもこんな風か?」
「うむ。我が主は、部下を慈しまれる方ゆえに」
アイティースに聞かれたサマルカンドが、頷いた。
「そして、このような姿をお見せ頂ける事が、我ら部下にとって喜びであり、誉れなのだ」
アイティースが何かを言おうと口をぱくぱくさせていたが、言葉を見つけられなかったらしく、黙り込んだ。




