王城への召集
私とリズは、王城に来ていた。
この国――リストレア魔王国の首都にある、戦略上の最重要拠点。
ここに城が築かれたのは戦時の事だから、それほど豪華な建物ではない。むしろ、最後の砦として築かれた分、質実剛健といった感じだ。
その分物理的にも魔法的にも堅牢を極める……と言いたいのだが、ここで籠城戦をするような事になっては、間違いなく魔族の負けだろう。
リズが軽く衛兵に挨拶し、水の張られた堀に掛けられた、長い跳ね橋をゆっくりと渡る。
さらに城門の衛兵にもリズが挨拶をする。
私はなるべく喋るなと言われているので、終始無言だ。
仮面をしているので、表情を悟られる心配はない。
ただ背筋を伸ばし、ゆったりとした動きで貫禄を出せとの注文がリズから入っている。
くるぶしまである長いローブが微妙に歩きにくいのだが、ここで裾を踏んで転ぶ訳にもいかない。
これでも私は、魔王軍最高幹部なのだ。
リズが勝手知ったるという風に先導し、私は彼女の後をゆっくりとついていく。
やがて控えの間の一つに通された。
応接間としても使われるだけあって、足下の絨毯や、壁に掛けられた絵などが、ほどほどに重厚感を演出している。
なにより、ソファーの座り心地がいい。
隣にメイドさんがいるとなれば、なおさらだ。
「少しの間、気を抜いていいですよ」
「ありがと」
肩の力を抜いた。
「はあ~!」
大きく息をつく。
「……気を抜きすぎです」
「謁見の間ではちゃんと頑張るから……」
ぐてーっと、隣に綺麗な姿勢で腰掛けるリズの肩に、頭を預けた。
さらに目を閉じる。仮面越しなので分かるまい。
「だから気を抜きすぎですってば」
「リズなら気配に気付くでしょ……?」
彼女は私が最も信頼する暗殺者だ。
「陛下直属の暗殺者……私と同レベルになれば、気付けない可能性もありますからね?」
「陛下直属の暗殺者さんぐらいになると、みんな私の正体知ってるよね?」
なにしろ私は、かつてリズを含む、陛下直属近衛師団の精鋭暗殺者さん達に護衛されていたという贅沢な過去を持つのだ。
見方によっては監視だし、陛下の決断によっては暗殺される危険性もあったのだけど。
しかし、その縁が元で、今私が肩にもたれかかっているメイドさんが、私の護衛として配属される事になったのだから、懐かしい過去だ。
「程度の問題です。全員が、"病毒の王"がプライベートではこんな腑抜けた人だと知っている訳ではありません」
「それをはっきり言う方が問題ある気もする。まあ、私も仕事とプライベート分けたいタイプだしね?」
何しろ私のお仕事は、魔王軍最高幹部。
その中でも特殊極まる、敵内政基盤への攻撃を担当する部署のトップなのだ。
部下は暗殺班と擬態扇動班。
聞こえも悪ければ、中身のお仕事も非道な部署だ。
そんなお仕事をプライベートにまで持ち込みたいとは思わない。
「私はマスターほど公私混同と職権乱用する方を知りませんけどね……」
「それはいい上司に当たってきたんだね」
全ての上司がいい上司なら、きっと全国の労働者は幸せな事だろう。
そうでないのは不幸な事だ。
「……そうでもないですよ」
リズが呟くように言う。
そこで、リズの長い耳が微かに動くのを感じた。
「マスター。しゃんとして下さい」
「はい」
すっと彼女の肩から頭を上げる。
ちょいちょいと乱れたフードを整えた。
そして、仮面の音声変換術式をオンにする。
ややあってノックの音が聞こえ、メイドさんが入室する。リズと同じダークエルフだが、アサシンではない一般メイドだ。
ちなみにメイド服がリズとちょっと違う。
ワンピースなのもそうだが、エプロンも胸元を強調していない。
「"病毒の王"様。リーズリット・フィニス様。謁見の用意が整いました。どうぞおいで下さいませ……」
「"病毒の王"様」
リズが立ち上がり、私の『名前』を呼んで、丁寧に促した。
鷹揚に頷いてみせる。
立ち上がると、トン、と杖の石突きで絨毯を突いた。びくり、と一般メイドさんの肩が震え、慌てたように頭を下げた。
私は、黒い革手袋をはめた手を軽く振った。
「ご苦労……」
重々しい声。私本来の声とは全く違う、性別もはっきりしない、地の底から響くような重低音だ。
なおこの仮面は、やばい魔法掛かってそうな見た目なのだが、正直便利機能の塊だ。レアと言えばレアなのだが。
まずは、認識阻害が掛かるようになっている。
私の首元や髪などが見えないように、また見えても問題ないようにしてくれるらしい。
そして、視界に関する術式も優れもの。
この仮面には目の穴がないが、問題なくよく見える。
いや、問題ないどころかむしろ映像が鮮明。他にもズーム機能に暗視機能などなど、「私は狙撃手として雇われたんだっけ?」と首を捻りたくなる機能が満載だ。
術式はどれも、ベテランの弓兵なら生身で使えるレベルらしいのだが、一般人としては凄く便利。
呼吸関係も至れり尽くせり。
口元にも穴がないが、やはり問題ない。呼吸は普通に出来るし、空気の清浄化もしてくれるらしい。
しかし今の所、幸いにして、この機能を試す機会はまだない。
顔に押し当てるといい感じに張り付くようになっているのもポイントが高い。
そして何より、目が光るのが最高だ。
それに実用的な意味はない、全くの趣味要素。
装着すると、仮面の左側に刻まれた目のような紋様が、怪しくオレンジ色に輝くのだ。
装着者の意志や感情に反応して光り方を変えるらしく、楽しくなって鏡の前でいい感じにゆらめかせる練習をした結果、円熟の域。
出来れば人に見られたくない、恥ずかしい練習風景なのは否定しない。
けれど、そういう所もまた、最高幹部のお仕事だ。
指揮官の仕事とは、方針の提示、決断、そして旗印となる事。
最高幹部というのは、本来最前線で旗印となるお仕事だが――私の戦場は、この最後方。
安全な王都で、非道な命令を下す『だけ』の、簡単なお仕事。
魔族をして、『血が凍る』と評される内容のお仕事だ。
だから、ここもまた私にとって戦場。
転んで情けない姿を見せようものなら、どんな噂を立てられるか。
私を信じる部下達のためにも、それだけは出来ない。
気を引き締めて、数歩先を歩くリズに付いていく。
謁見の間までは、それほど長い道のりではない。
石床を一歩一歩、踏みしめるようにゆったりと歩く。
謁見の間の巨大な扉は開かれていた。
リズが扉の脇に控え、私が先にくぐる。
扉をくぐると、赤絨毯を踏みしめた。
私が最後だったらしく、後ろで重々しい音を立てて扉が閉まった。
ここは謁見の間であると同時に、玉座の間でもある。
王城のほぼ中心に位置する、数階分をぶち抜いた巨大な広間だ。
正面には国の紋章――蛇の舌を持つ竜――を黒地に金糸であしらった長い旗が上から下がり、その下に豪奢な玉座が位置する。
玉座に座るのは、王冠に王錫、精緻な刺繍がされた白いローブという正装をまとった魔王陛下。
この国のイメージカラーは黒だが、白は黒を引き立てる色だ。
居並ぶ種族も様々な列席者の装いもまた黒を基調とした物が多く、陛下の白基調の正装は闇の中の一点の光といった風情でよく映えている。
ルート案内を兼ねた赤絨毯を、まっすぐと陛下の御前まで歩いて行く。
もう一枚の赤絨毯が敷かれ、十字に交差していた。
それが示すのは、陛下の御前である最前列。
既に四人が並んでいる列の端に、リズを伴って並ぶ。
私と同じ列に並ぶのは、そうそうたる顔ぶれだ。
事情のあるドラゴンのひとを除いた、最高幹部が勢揃いしている。
魔王軍最高幹部は、六名。
今はおられないが、竜族の頂点としてこの国に住まう全てのドラゴンを束ねている、"竜母"、リタル。女性。
私はまだ見た事がないが、美しい白銀のドラゴンだと言う。
自身の名前と同じ、国境線でもあるリタル山脈にて国境防衛の任に就いているため、こういった場に姿を現す事はない。
単純に王城内に入るには大きすぎる、というのも理由の一つだろう。
獣人族に絶大な信頼を誇る、獣人軍の長にして叩き上げの獣戦士、"折れ牙"のラトゥース。男性。
精悍な黒灰色の狼の頭に、毛むくじゃらの全身。一言で言えば狼男だ。
二メートルを越える長身。金ボタンの黒コートを襟を立てて羽織っているが、前のボタンは一つを残して外され、大胆に開けられている。
盛り上がった胸筋と毛からして、物理的に閉まらないんだろうけど、ワイルドなひとだ。
左右の腰には見た目に似合わず、小剣と短剣を吊っている。
魔王陛下と共にこの国を建国した悪魔軍の主。正統派にして最古参の上位悪魔、"旧きもの"。真名非公開。性別非公開。
隣に立っているラトゥースと並んでなお頭二つ大きい、黒い影のような姿だ。
背には黒い蝙蝠のような翼。ひょろりと細長い体は長い毛で覆われ、頭も山羊らしいが、角が四本ある上に骨。手も細長く、足は長い毛に隠れてよく見えない。
まさしく異形としか言いようがない、異様な風体だった。
武装はなし。だが悪魔は武器の扱いにも長けるが、全員が恐るべき魔法使い。
素手のデーモンを侮る馬鹿はこの世界にいない。
ダークエルフであり、暗黒騎士団を束ねる暗黒騎士団長、"血騎士"、ブリングジット・フィニス。女性。
うちの副官でメイドさんでアサシンのリズことリーズリット・フィニスの姉でもある。
兜のない赤い全身甲冑に黒いマント。腰には長剣を吊っている。
長い銀髪をポニーテールにした凜々しい姿だ。
姉妹だけあってリズと顔立ちは似ているような気もするが、眼光が鋭くて本当に姉妹なのかと。
まあ、リズも本気の時は怖いが、彼女の場合無表情になるのだ。
死霊軍総帥の"上位死霊"、エルドリッチ。不死生物の性別はおおむね主観と外見だが、一応男性らしい。
二つ名通りの上位死霊なのだが、現在彼一人しかいない種族らしく、それゆえに通り名にしているのだとか。
レイスだけあって、全身が透けている。半透明の紫のフードの陰から覗くのは、同じく半透明の骸骨のお顔。暗い眼窩に青緑の鬼火が燃えている。
やはり半透明の骨の手には曲がりくねった杖を持っているが、古び方も様々な布が巻かれていて、杖本体が見えないほどだ。
そして、四百年を超えるこの国の歴史の中、初の六番目の魔王軍最高幹部として叙せられたのがこの私、"病毒の王"。真名非公開。種族非公開。性別非公開。
金で縁取りされたダークグリーンのフード付きローブ。若草色のローブを下にも着ている。
金糸でルーン文字が刺繍された細長い布を肩に掛け、首には三種の護符。
フードの陰から覗くのは、オレンジ色の禍々しい光が眼光のようにゆらめく不気味な仮面。
手に持った曲がりくねった杖には、八面体の細長い青い宝石が互い違いの鎖で繋ぎ止められている。
手には分厚い黒の手袋をして、素肌を一切見せていない。
それゆえの『種族不詳』なのだが、この国ではそれは珍しい……というか、ほぼ存在しない。
この国の成り立ちからして、自分達を排斥する人間達へ対抗するために手を取り合った寄り合い所帯なのだ。
なので『"病毒の王"の種族はなんなのか』というのが、今世間で一番ホットな噂のネタ。
悪魔説が最有力。不死生物説も不動の二番人気。細かい外見や形態でさらに分かれるそうだ。
ダークエルフ説と獣人説は、フードのデザイン上少々劣勢だが、耳を切られたエルフや獣人で、それゆえに隠しているのではないかという意見もある。
ドッペルゲンガー説。召喚生物説。ドラゴン以外の種族全てに支持者が存在すると言ってもいい。
ちなみにドラゴンに関しても、大穴として、突然変異的な人型竜族説もあったりする。
なおこの説が大穴なのは、「別に隠す理由ないんじゃない?」という反対意見に明確な答えが出せないからだ。
まあそれを言い出すと他のも大抵そうなのだけど、そこに関しては、各種族一名が基本だった最高幹部の席に、二名いる種族を優遇していると取られないように種族を伏せている……という説があるので理屈は付けられる。
さらに高次の概念生命体説というなんだかよく分からない説もある。
その場合、"殺戮という概念"が人型を取ったのだとかいう、聞いているだけで頭のくらくらする言葉が続く。
そして根強いものに人間説がある。
私は活動拠点として与えられている郊外の館から出ないので、こういう公的行事では注目の的だ。
ひそひそ声が聞こえる。
「あれが……"病毒の王"?」
「フードの中身は誰も見た事がないそうだ……」
「一体なんの種族なのか……」
「人間だという噂だが……」
「馬鹿を言え。人間にあれほど非道な所行が行えるか……」
部下には素顔を見せてるし、結構な人数が素顔を見てますよ。
それと、純度百パーセントで人間ですよ。
――そして、この六名の最高幹部を束ねるのが、"魔王陛下"。真名非公開。旧世代のダークエルフらしい。年齢不詳だが、約四百年前の建国時から王位に就いている事から、ここにいるほとんど全ての存在よりも年上の男性だ。
全魔族の頂点にして、最強。
老齢で顔には深い皺が刻まれているし、ダークエルフ特有の銀髪は輝きを失って白髪と呼ぶ方が相応しく、肌の色も褪せたように薄い。
それでも、相対するだけで確かに感じる威圧感。衰えていてこれなのか、あるいは老いと共に力を蓄えてきたのか。
どちらにせよ、(私以外は)化け物揃いの魔王軍最高幹部達を束ねるに相応しい貫禄だ。
なんだか、私以外の最高幹部と魔王陛下だけで人間を絶滅させられそうなほど。
しかし人間側の層も厚く、それは不可能どころか、全軍がぶつかれば、まず負けるのはこちらなのだとか。
『いい勝負』は出来るだろう。
『一矢報いる』事も。
けれど、それは戦争で、指導者が使っていい言葉ではない。
陛下の隣に立つ二人の儀仗兵が、二人同時に、旗の付けられた槍の石突きを、思いきり床に打ち付けた。
場が、水を打ったように静まりかえる。
魔王陛下が口を開くのを待つ静寂だ。
「皆、集まったようだな……」
枯れた声。
けれどその声は朗々と響き、皆が居住まいを正す。
「それでは、始めようか……」
視線が、私を向くのが分かった。
「"病毒の王"。前へ出よ」