バーゲスト追跡
"闇の森"の覇者は、獣人だ。
魔獣の生息数は森林地帯が最も多く、この森には獣人を獲物に出来る魔獣も多数生息する。
そして、獣の中には、群れで動くものがいる。黒妖犬もそうだ。
それでも、闇の森の覇者という称号が相応しいのは、獣人の戦士団をおいて他にない。
彼らもまた、『群れ』なのだから。
それぞれに戦士としての鍛錬を積んだ上で、連携する。
本能ではなく、訓練によって得られた連携だ。
そして彼らを率いる長は、恐らくは、単独でもこの森最強だろう。
「ラトゥース様。足跡、見つけました。この軽さ、まず黒妖犬のものです。追っている群れと同じです」
まだ季節柄雪も残り、雪のない所もぐちゃぐちゃの地面に這いつくばるようにしていたカトラルさんが、軽く身体を起こして、群れの長を見上げる。
今は軍服ではなく猟師風のぴったりした恰好で、武装は最小限だ。
「足跡の残り方からして、かなり近いです。二時間以内まで詰めました」
「おう、よくやった。全員、聞いたな? 足跡を追っていく。カトラルと"病毒の王"だけは何があろうと守れ。後は自分でなんとかしろ」
短くざっくりとした指示を出したのは、"折れ牙"のラトゥース。
魔王軍でも、彼を一対一の決闘で打倒出来るのは、同じ最高幹部であり、暗黒騎士団長を拝命する"血騎士"、ブリングジット・フィニスだけと噂されている。
二人が戦うドリームマッチは一度見てみたいが、お互いのメンツもある上に、鍛え上げられた肉体を身体強化して、最高級の魔法道具で固められた装備を叩き付け合う……つまり、手加減なしの実戦で二人が戦う事はありえないのが残念だ。
正確に言えば、あってはいけない。
二人が味方で良かったと、しみじみ思う。
敵に彼女達ほどの戦士がいるのかは、実際の所分からない。
名高い騎士や戦士は多いが、リストレア魔王国の最高幹部とは、人間よりも数が少ないが、平均的に優れた身体能力を持つ『魔族』の中の頂点だ。
一応、魔王軍最高幹部の選定基準は貢献度と指導力だが、獣人に関しては、最強の戦士以外長とは認めない風潮があるので、ラトゥースが現時点で獣人最強と言い切っていいだろう。
ブリジットも、暗黒騎士団の中で最強と呼ばれて久しいようだが。
そして、戦闘能力や、性格や、素行が選定基準に含まれない以上、貢献度と指導力を兼ね備えれば、人間である私が最高幹部になる事も許される。
未だに自分に指導力があるのかは分からないが、これだけ非道な作戦展開と無茶振りをしながら、これまで、自分の部下に命を狙われた事はないので、そういうものなのかもしれない。
「マスター、気を付けて下さいね。バーゲスト、いつでも出せるようにしていて下さいね」
「分かったよ、リズ」
隣のリズに頷く。
反対隣にはレベッカ、後ろにはサマルカンド、前にはハーケンと、四方向を固められている。
今は黒妖犬の足跡を探るために意識を集中させているカトラルさんには、ラトゥースを含む三人が、進行方向を塞がないように、かつ足跡を消さないように慎重に位置取りして護衛についている。
さらに、一部は樹上を移動しているので見えないが、二人一組が四組、合計八人が周囲を警戒している。
"第三軍"と"第六軍"合わせて十七名。かなり豪華な布陣だ。
相手が黒妖犬というのがネックだが、長が直々に出向く狩りという事で、獣人の人達の志願者はかなり多かったと聞く。
また、一部がカトラルさん目当てという噂だ。
ラトゥースによれば、強い順から選んだというわけではなく、経験を積ませる意味もある人選との事だが、文句を言う筋合いはない。
何しろ、最高幹部と、師団長様が直々に手を貸してくれるというのだ。
カトラルさんは、立場と権限と正論を駆使した志願組だが。
しかし、微かな足跡や痕跡から相手を追う技術を持つ、追跡者としても一流だとは知らなかった。
バーゲストを使って追っては、向こうも同族ゆえに、それを察して逃げられるかもしれないとなった時、これはチャンスとばかりに自分を売り込んだのはカトラルさんだった。
最初は、本当に必要だったのかと思うほど順調だった。
なにしろ、まだ雪の多く残る季節の事。雪の上にくっきりとついた、犬の足跡を見つければよかった。
しかし途中から、追われている事に気が付いたのか、雪に足跡が残らなくなった。
木の根や石の上を踏んで、はっきりとした足跡を残さないようにしていく相手を、泥まみれになる事も厭わず、丁寧に追い詰めていく。
リズもそうだが、魔法という便利かつ強力な手段のある世界で、魔法によらない技術持ちは、魔法使いと同じぐらい重要だ。
そのカトラルさんの動きが止まる。
しばらく行ったり来たりしていたが、また、動きが止まった。
そして這いつくばるような姿勢から、顔を上げた。
「……足跡が消えた……多分、潜んでます」
「潜んで?」
「黒妖犬の足は速いですが、激しい動きは気配を露わにするように、魔力反応も増大させます。……私達の実力を察し、勝てないと踏んで、息を潜めている……」
「なるほど……潜まれたらね」
黒妖犬は、影に潜む特性を持つ。
……というのは、私の支配下にあるバーゲストが明らかにした事実だ。
そうと知っていれば、追っている魔力反応がいきなり消えたなら、反応を隠しているのだと踏んで、草の根分けても探し出すだけだが、そうと知らなければ『潜んでいる』事にすら気付かない。
自分より強い相手にも襲い掛かるような魔獣ではないから、遭遇や討伐の事例は、あまり多くない。
その中の一部が捕獲され、番犬として運用されてきたが、探知系の術式の改良も進んだ昨今では、人気は落ちる一方だ。
"第六軍"のような、ちょっと扱いに困る部署だからこそ与えられたという経緯がある。
それが今では、戦力的な意味でも、癒やし的な意味でも、欠かせない存在になっているのだから、巡り合わせとは不思議なものだ。
ラトゥースが、カトラルさんに聞いた。
「何か手は?」
「二つあります。一つは、周囲を攻撃魔法で焼き尽くす事。影に潜むというならば、それを全てなくして、炙り出す」
「却下だ。森をそこまで吹き飛ばせねえよ」
「では、"病毒の王"様のバーゲストにお願いするしか――」
黒い影が、彼女の足下から、伸び上がった。
私の群れのものではない、黒妖犬。
爛々と輝く目から、深紅の軌跡を残しながら牙を閃かせ、彼女の喉へ食らい付こうとする。
皆の反応は、ほぼ同時。
カトラルさんは防御の構えを取り、ラトゥースは小剣を抜き打ちに振るい、皆はそれぞれの武器を構えて戦闘態勢を取り――
私だけが、反応出来なかった。
そして、黒妖犬の喉に、黒妖犬が食らい付く。
潜ませていたバーゲストが、私のフードの影から私の横をすり抜けるように一直線に飛び出し、今にもカトラルさんの喉元に牙を立てようとしていた黒妖犬を叩き落としたのだ。
ぞるり、とさらに二匹が私のローブの裾辺りからこぼれ落ち、囲んだところで、私の支配下にない黒妖犬は暴れるのをやめた。
深紅の鬼火のような眼光が収まっていく。
「よくやった、お前達」
激しく尻尾が振られているのは、私の言葉に喜んでいるのか、戦いの興奮に打ち振られているのか、微妙な所だ。
「一匹確保、か? 早技だな」
「蛇の道は蛇、と言うだろう。……言うよね?」
「なんで不安げなんだよ」
「ちょっと個人的事情で」
この世界では、日本のことわざが結構通じるのだが、全部通じるかはまだ確かめていないのだ。
「うちのバーゲスト達には、独自行動を許してある。同族の気配に一番早く気付けるのも当然というものだ」
「……おい。こいつらに、そこまで許してんのか?」
「何かあれば、私の首をあげるよ、ラトゥース」
「なんでそんな要らねえもんを貰わなきゃなんねーんだよ」
ラトゥースが素っ気なく言って、抑えられている黒妖犬を見る。
「全員、警戒を怠るなよ。俺達ですら、反応が間に合ったか分からん早技だったぞ」
確かにあの動きをされると、かなり厳しい。
ラトゥースは間に合っていたような気もするが、殺さないという選択肢はなかっただろう。
「で、どうすんだこいつ?」
「実はノープラン」
「おい待て」
「いや、ノープランって言い方は悪いな。この子達がなんとか出来るかなって」
「それをノープランっていうんじゃねえのか?」
「うちの子達に任せる、っていうプランがあるよ」
「なるほど他力本願なこって……」
「指揮官の基本だよ」
私は微笑んだ。
それはもちろん、ラトゥースのように自らの力を示し、引っ張っていくタイプのリーダーもいるだろう。
けれど私は、そうではない。
少なくとも、戦闘力ではない。
私が恐れられている理由の一端は、私が"第六軍"……つまり部下からの評判はいいから、でもある。
私は、部下に対しては、自分で言うのもなんだが、『優しい』方だ。
だからこそ、私はこの国で、恐れられている。
部下に対してそう振る舞える存在が、人間という敵に対しては、血も凍ると噂される所業を行えるから。
それは、ほぼ全ての指揮官が備えているべき素質だ。
同時に、きっと全ての人が備えている素質ではないのだろう。
「『お前達』に任せる。『その子達』に、出来るなら、私と、お前達の意志を伝えろ。拒否したなら……食い尽くせ」
説得とすら言えない。
けれど黒妖犬は……私達の『敵』なのだ。
味方にならないものは、敵。
そんな論理が、まかり通る世界がある。
そして軍隊とは、国家とは、そういう世界の産物だ。
――バーゲスト達の間で、いかなる対話がなされたのかは、私には分からない。
けれど、私の群れが、四匹増えたのだけは分かった。
するりと、制圧していたバーゲストが離れる。
そして先程までは確かに何もいなかった木の陰から、三匹のバーゲストが現れ、私に向けて歩を進める。
「手を出すな。――成功だ」
「信じて……いいんですね?」
リズが私を不安そうに見る。
「もちろん。私の首を賭けてもいい」
「それ噛み殺されるってだけですよね」
「大丈夫だよ。嘘なんてつけない。この子達は、そういうものじゃない」
この子達は、そういう生き物ではない。
この子達は、黒妖犬たらしめている特性を除けば、犬と同じだ。
群れ、連携し、狩りをする。
本来は、それだけの生き物。
群れの主に嘘をつく舌など持たない。
カトラルさんの喉元に食らい付こうとし、制圧されていたバーゲストが、私に歩み寄る。
「……この子達は、ただの、黒犬さんだよ」
私は、それが幾度となく繰り返した自然な動作であるかのように手を差し出し、その子の顎下を軽く撫でた。




