破壊力のあるギャップ
「私は、"病毒の王"。"第六軍"の長を務める、魔王軍最高幹部だ」
食堂の長テーブルが脇によけられた中央で、注目の的になっているのは、私と一匹の黒妖犬だ。
「なあリズ。食事が終わった後で、幹部級メンバーと本格的な打ち合わせって話だったよな? なんでこうなった」
「マスターが考えなしにバーゲストを袖から出したせいです」
レベッカとリズのひそひそ声が耳に届く。
とりあえずそれは気にしない事にして、私は話を続けた。
「そして"第六軍"には現在、黒妖犬が所属している。もちろん陛下は承知済みであり……"第三軍"の魔獣師団の魔獣と同じような扱いだと思って頂きたい」
取り囲んだ皆は、聞きたい事が、いっぱいありそうな顔をしている。
特にカトラルさん。
「しかし、知りたいのはもっと別な事だろうな」
私は笑った。
そしてバーゲストに手のひらを見せて、命令する。
「おすわり」
しゅたっ、と素早く命令に従うバーゲスト。
私はしゃがみ込んで、手のひらを上にして差し出した。
「お手」
てし、と右前足が載せられる。
「おかわり」
入れ替わりで、左前足が。
「はい、よくできました!」
ガシガシと撫でられ、気持ちよさそうに目を細めるバーゲスト。
毛足の長い尻尾が振られる様も、愛らしくてたまらない。
最近わざわざしないが、リズが驚いて目を見開くレアな表情を見せてくれた事もある、由緒正しい思い出の芸だ。
「黒妖犬が……芸を?」
「酒飲みすぎたかな……」
「馬鹿、現実だよ」
周囲の獣人達から、どよめきが上がり、ささやき声が聞こえる。
「……とまあ、このように、頭もいい事はお分かり頂けただろう。そして、間違いなく安全だ。少なくとも私の命令なしに牙を剥く事はない。……私や、私に連なる者が害されようとする場合は、別だが」
最後に一撫でして、立ち上がる。
「私は、"第三軍"の協力を取り付けるためにここに来た。特に魔獣師団に、黒妖犬の話を聞き、情報を得るためにだ」
ぐるりと見渡す。
「リストレアの黒妖犬を、全て私の支配下に置く。この国が恐れるべき魔獣を一種減らし、この国の力になる魔獣を一種増やすために」
ぽん、と、私の足下に座り込んだバーゲストの頭を軽く叩く。
ぶんぶんと尻尾を振るバーゲスト。
「協力関係を築くためには、まずそれを知る事が大事であると考える。どなたか、先の私のようにバーゲストに触れたいという方は――」
「はい!」
カトラルさんが、食い気味に答えて、手を高々と上げながら一歩前に進み出た。
「是非私に! ――是非!!」
「あ、はい……」
思わず素で頷く。
「出来る限り要望に応えてやりなさい。嫌なら、そう態度で示すように」
軽く隣のバーゲストの首筋をぽんと叩く。
先程までの態度から、すぐに触りに来るかと思ったカトラルさんだったが、キリッとした顔になって、ゆっくりとした歩みで私の近くまで来ると、胸に手を当てて口を開いた。
「ありがとうございます、"病毒の王"様。改めて自己紹介を。私はカトラル。"第三軍"の魔獣師団の師団長の地位を拝命しております」
「はい、存じ上げております……が?」
素早く、そして完璧な切り替えに、気圧された。
「まずは主へ、ご挨拶をと。この子が慣れる時間もあるに越した事はないでしょう。その間、いくつかお聞きしてもよろしいですか?」
「……構わない」
あんまりにもカトラルさんが"第三軍"、魔獣師団、師団長としてのお仕事モードなので、私も最高幹部モードに切り替える。
「今"病毒の王"様の支配下にいるバーゲストは、全部で何頭ほどなのでしょう?」
「現地活動班の方は、今の正確な数を知る術を持たない。だが、百頭を超えたぐらいだろう。私の手元には、十五頭いる」
周囲が軽くざわめく。
そこでふと、いつの間にかカトラルさんが、手をグーにして、足下に寄ってきたバーゲストに自然な動作で差し出しているのに気が付いた。
ふんふんと鼻を鳴らして匂いを嗅いでいるようだ。
「撫でても、よろしいですか?」
「どうぞ」
カトラルさんが、視線は私に向けたまま、握った手で足下のバーゲストの、背中や首元を軽く撫でる。
「……私は、多くの生き物を見てきました。魔獣も、そうでないものも。全てを手懐けられると思うほど傲慢ではありませんが、動物には好かれる方でしたし、知識と技術を……学びました」
彼女はバーゲストに視線を向けた。
そして口元を緩める。
「……黒妖犬をこんな風に触る事が出来る日が来るとは……思ってもいませんでした、が」
「お前達。この人に触られるのは、嫌じゃないか?」
こくり、と頷くバーゲスト。
「サービスしても?」
またこくり、と頷くバーゲスト。
「意思疎通も……?」
カトラルさんの目が、驚きに見開かれる。
やはり黒妖犬をよく知る人にとっては、驚嘆に値するらしい。
「おいで、『お前達』」
私は、ローブの裾を掴んで、バーゲストを振り落とした。
連れている残り十四匹、全てを。
「……なあ。副官の嬢ちゃんよ。さっきは見えなかったが、見ても分からんぞ。どういう手品だ?」
「私にも分かりません、ラトゥース様。これは機密ゆえではなく、純粋に理由不明につきお答え出来ません」
リズが、呆れ果てた声のラトゥースに、懇切丁寧に答える。
「分からねえってなんだ」
「まだまだこの世界に分からない事ぐらいあります。ただ事実のみを述べますと、我らが主、"病毒の王"様は、ローブの裏に黒妖犬を潜ませる事が可能です。魔力反応はごく僅か。元々複数の魔法道具を装備している関係で、感知出来ませんね」
「収容出来る限界の数は?」
「不明です。十五頭が参考記録としての最大収容数となります」
カトラルさんに、わらわらと群がるバーゲスト達。
無秩序のようでいて、お互いに干渉しないギリギリを見切っているのは流石だ。
「……あの……"病毒の王"様?」
「カトラルさんは、多分、ちゃんとした知識を持っていて……相手の事も、考えて、自分の好きなように触ったり、出来ないと思うんだけど」
私は微笑んだ。
「今だけ、この子達を好きに撫で倒していいよ。触れるのが好きな所や嫌いな所は普通の犬と同じみたいだけど、軽くなら、耳も、尻尾も」
「本当に良いので?」
「私は、嘘は言わない」
「ありがとうございます!」
とっても、良い笑顔だった。
そしてまず頭を撫で、次に首筋を撫で、背中を撫で、尻尾を触ると見せかけて腹毛を下から撫で、尻尾を軽く一撫でし、がっしりした後ろ足の筋肉を確かめるように撫で、前足をさすり。
目を合わせながら、軽く耳をつまんで、弄ぶ。
さらにすり寄ってきた一匹を捕まえて、首筋の毛に顔を埋めながらぎゅっとした。
リズが、私の元に寄ってきた。
「気のせいですかね。カトラル様がいつものマスターそっくりに見えるんですよ」
「うちの黒犬さんのもふもふを前にして、理性を保てる動物好きなんていません」
カトラルさんは、それこそとろけそうな、無防備な笑顔で、リズがいなければ惚れそうなほどだった。
「カトラル様って……あんな可愛かったか?」
「すまん。俺、お前らがカトラル様は動物の前だと可愛いって言うの本気にしてなかった……」
「いや、あれは私達も見た事ないレベルよ」
「うちの師団長様は本当に動物好きよね……」
カトラルさんもまた、部下に慕われているようで何よりだ。
「ギャップってやっぱり破壊力あるねえ」
「……そういうものですか?」
「うん」
微笑んだ。
そしてリズの長い耳に口を寄せて、ささやく。
「うちの副官さんが、メイドで暗殺者だったり、ね」
「……それも、ギャップですか?」
「中々見る機会がないけど、私リズが暗殺者として振る舞う時の、無表情な目も好きだよ。こう……この子になら殺されてもいいってぐらいには」
リズが呆れ顔になる。
「……うちの最高幹部様の趣味が、特殊だという事はよく分かりました」
リズのマフラーが、ぴこっとした。




