獣人軍食堂
「リズ、あーん!」
私は、ナイフで切った肉の内、ランダムに選んだ一つをフォークに突き刺して、リズに差し出す。
長机と長椅子が並ぶ、食堂での食事中だ。
そしてリズ手作りではないので、毒味が必要となる。
という名目があると、可愛いメイドさんに『あーん』と言って食べ物を差し出す行為が正当化される。
「……"第三軍"の軍団長様の前で、"第六軍"の軍団長が、副官とは言えメイド相手にやることじゃないですよ?」
「ならばその慣習の方が間違っている」
「……マスターはブレませんね」
「それが取り柄だからね」
「……あーん」
リズが早々に諦めて、口を開けた。
じっくり味わった後、頷く。
「ん……問題ないです。すみませんねラトゥース様」
「いんや。お前らのイチャイチャにも慣れた」
対面に座るラトゥースがあっさりと言う。
「いや、毒味の件について謝ったつもりだったんですけどね」
「食い物を粗末にしなきゃ、ひとの食事にケチつけようなんざ思いやしねえよ」
「心広いねえラトゥース」
「当たり前だろ?」
「それが、その当たり前が出来ない人が意外と多くてね」
私は、そこそこの量、記憶を失った。
しかし、フィンガーボウルの水を顔面に叩き付けたい人が何人かいた事は、覚えている。
こういう記憶がなくなればよかったのに、と思う。
「では改めて……いただきます」
ナイフとフォークを構える。
さっきリズに食べさせた肉を、もきゅもきゅと噛んでいくと、すぐに口の中で肉の繊維がとろけるように消えて行く。
「おお柔らかい」
「お前は人間だし、メイドの嬢ちゃんはダークエルフだからな。いつも俺達が食ってるのより、柔らかいの用意させた」
そう言うラトゥースは、私の前にある肉の五倍はありそうな骨付き肉の塊に、がぶりとかぶりつき、引き裂いて噛んでいく。
ああ、肉食動物だなあ。
「これ何の肉?」
「ふつーに牛だよ。仔牛だけどな」
「実はこっち来てあんまり牛食べてない……故郷にいた時の方が食べてたかも」
実はリストレアでは、牛肉はちょっと高級品だ。
農耕用に飼われていないのもあり、乳牛がそこそこと、肉牛が少し。
鶏や豚、それに羊や山羊はそれなりに数がいるが、品種を問わなければ、魔獣のお肉の方が市場に多いほど。
危険視される魔獣は、大型が多いというのもある。
「ん? ……普段、何食ってるんだ?」
「メイドさんの手料理を」
「……メイドの嬢ちゃん?」
「いえ、つい食べ慣れたものを。例えばお肉だったら、市場に出てるお買い得品って言うか」
リズが目をそらす。
「それ、その時の狩猟の獲物で、多く狩られた奴じゃねーか?」
「ええ、そうですね」
リズが頷く。
「庶民的なこった……悪い事じゃねえがよ」
ラトゥースが、私の方を見た。
「嬢ちゃんは暗殺者が本職だが、料理も上手いのか?」
「自分のために不慣れな家事を頑張ってくれるメイドさんって可愛いよね」
「料理の感想を言えよ」
「一生懸命なのが嬉しいよ」
「味の感想を言え」
「美味しいよ? 最近は焦げの味しないし」
「ま、マスター!」
ドジッ子メイドと言うほど壊滅的ではなく、しかしいまいち料理に不慣れだったリズの最初の頃の料理は、主に加熱調理されたものが、頻繁に焦げていた。
後、たまに分量を間違えたり。
一度きりだが、塩と砂糖を間違えた時は感動した。
なお、スープだったので、私が彼女と共に台所に立ち、別の大鍋で材料を増やして煮込み直して調整し、美味しく頂けたのは幸いだ。
「今さらだが、なんで嬢ちゃんにメイドさせてるんだ?」
「理由はいくつかあるよ。単純に私に関わる人間は少ない方がいいのが一番かな。最近まで、屋敷はリズと二人きりだったぐらいだし、専用のハウスメイドを置くのは、色んな意味で危険すぎた」
「……メイド服を着せる意味は?」
「彼女が護衛だという事は、一部の者しか知らない。――護衛の隠れ蓑として、身の回りの世話をするメイドだと思わせるカモフラージュは当然だと思うが?」
「妙に嘘くせえのはなんでだ?」
「嘘はついてないけど」
「つまり隠してる事はあるんだな?」
「隠してるってほどじゃないけどねえ」
嘘をつく事は、難しい。
本当の事を言わないのは、それに比べれば簡単だ。
「……私も、聞きたいです。マスターがメイドさん好きなのは……もうよーく分かってますけど、どうして私だったんですか? 王城付きのメイドには、何人か、身分を伏せて近衛師団の者も混ざっております。特に陛下身辺など、ですね」
「それは、後で聞いたけど……」
微笑む。
「でも、私がリズをメイドに望んだ時、それは言わないでくれたんだね?」
リズのマフラーが、ふるふると揺れた。
私は、隣のリズに身体ごと向き合い、彼女の黄金色の瞳をまっすぐに見た。
そして彼女の手に、自分の手を重ねる。
「私は……馬鹿かもしれないけど、人を見る目は、あるつもりだよ。私には、リズが必要だった。私の事を助けてくれた人は、沢山いる。……でも、私のそばで、時に作戦立案に協力し、時に護衛として、私を狙う暗殺者を排除して……そんな風に、一番身近で支えてくれた君の事を副官にと望むのは、おかしいかな?」
「おかしく……ないです」
リズの耳が、ちょっと上がる。
マフラーの先っぽが、ぴこっと跳ねた。
「で、メイド服着せる意味は?」
ラトゥースが、冷静に突っ込む。
顔だけを彼の方に向けて、微笑んだ。
「それはね。この子にメイド服着せてみたいって思ったんだよ。私が会った中で、一番メイド服が似合いそうな美少女だったから」
「さっきまでの話が台無しだな」
「……別に私じゃなくてもいーんじゃないですかね。メイド服着てくれれば」
リズが拗ねたようにぼやき、つんと顔をそらす。
「リズが嫌なら……私服でもいいよ」
「え?」
「以前にも、言ったけど。嫌なら……改めるよ。私は――君が望むなら、何の非の打ち所もない最高幹部を演じて見せよう」
「ま、マスターは、癒やしと潤いが足りないって、いつも言ってるじゃないですか。出来る訳ありませんよ」
私は、軽く首を横に振って見せた。
「それでも、そんなつまらない事で、最も信頼のおける副官を失うよりはいい」
「出来る……んですか?」
「やってみせる。"病毒の王"の名に懸けて」
「私、メイド服じゃないんですよ? ご飯も、おやつも、手作りしませんよ?」
「……市場で、何か買ってきて貰う事にしよう」
「添い寝も、しませんよ?」
「……分かってる」
「お風呂もいつも一人ですよ?」
「ああ」
「レベッカとか……他の女の子にちょっかい出すのも、もちろんダメですからね?」
「もちろん」
頷く。
「ちなみにバーゲスト相手は?」
「それはいつも通りでいいですけど」
リズの耳が、ちょっと下がった。
「……それで、ふざけた事も何も、言わないんですね?」
「……そう、なるな。私は、"病毒の王"なのだから。常に、そのように振る舞おう。――それが、私の副官が望む事なら」
しばし、沈黙が落ちた。
ラトゥースも食事の手を止めて、周りの喧噪が遠く聞こえる。
「『"病毒の王"様』に、真面目にお仕事は、して欲しいですけど」
リズの耳が、彼女の微笑みと共に、ゆっくりと上がる。
「そんなの、マスターじゃありませんよ」